cinemania 映画の記録

cinemania’s diary

トレヴェニアンが、初心者のために選ぶ1970年以前のベスト映画100

「これら約100本の映画は、昨今の、意識に訴えかけるのではなく、末梢神経を刺激するようにデザインされた、騒がしくインパクト重視で暴力的な映画に曝されることで映画のリテラシーが変化してもなお、一般大衆にとって、娯楽としての価値と重要性を維持している可能性が高いものを選出した。かつて映画史と批評の教授だった者として、私はこのリストが、多くの批評家や芸術家の古株たちからの怒りを買うことは心得ている。

 残念なことに、現代の、目利きというわけでもない英語圏の視聴者が入手できる映画に限定するとなると、非英語映画はかなり少なくなり、サイレント映画は非常に少なくなる。しかし、これらの映画が、言葉の壁やさらに大きな沈黙の壁を通してさえも感動を与えてくれることについて、称賛を惜しむことはない。

※印は、低予算なため、公開当時に成功しなかったため、あるいはスノビズムのために、多くの映画専攻の学生を驚かせるであろう作品を示している」

 

 

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決断の3時10分』(デルマーデイビス、1957)※
勝手にしやがれ』(ジャン=リュック・ゴダール、1960)
『地獄の英雄』(ビリー・ワイルダー、1954)※
『想い出』(アナトール・リトヴァク、1954)
アフリカの女王』(ジョン・ヒューストン、1951)
イヴの総て』(ジョセフ・L・マンキーウィッツ、1950)
西部戦線異状なし』(ルイス・マイルストン、1930)
『オール・ザ・キングスメン』(ロバート・ロッセン、1949)
『巴里のアメリカ人』(ヴィンセント・ミネリ、1951)
或る殺人』(オットー・プレミンジャー、1959)
アパートの鍵貸します』(ビリー・ワイルダー、1960)
毒薬と老嬢』(フランク・キャプラ、1944)
アスファルト・ジャングル』(ジョン・ヒューストン、1950)
『日本人の勲章』(ジョン・スタージェス、1954)
『我等の仲間』(ジュリアン・デュヴィヴィエ、1936)
自転車泥棒』(ヴィットリオ・デ・シーカ、1947)
三つ数えろ』(ハワード・ホークス、1946)
『THE CARD』(ロナルド・ニーム、1952)※
カサブランカ』(マイケル・カーティス、1942)
『CHICAGO CALLING』(ジョン・ラインハート、1951)※
市民ケーン』(オーソン・ウェルズ、1941)
酒とバラの日々』(ブレイク・エドワーズ、1962)
『手錠のまゝの脱獄』(スタンリー・クレイマー、1958)
探偵物語』(ウィリアム・ワイラー、1951)
『大地』(オレクサンドル・ドヴジェンコ、1930)
『エルマー・ガントリー』(リチャード・ブルックス、1960)
『脅迫者』(ラォール・ウォルシュ、1950)※
『群衆の中の一つの顔』(エリア・カザン、1957)※
『野火』(市川崑、1959)
地上より永遠に』(フレッド・ジンネマン、1953)
キートン将軍』(バスター・キートン、1926)
『ゴールド・ディガーズ』(マーヴィン・ルロイ、バスビー・バークレー、1933)
大いなる幻影』(ジャン・ルノワール、1937)
怒りの葡萄』(ジョン・フォード、1940)
大脱走』(ジョン・スタージェス、1963)
『ガンガ・ディン』(ジョージ・スティーヴンス、1939)
真昼の死闘』(フレッド・ジンネマン、1952)
ハイ・シエラ』(ラオール・ウォルシュ、1941)
『ハッド』(マーティン・リット、1963)
『ハズバンズ』(ジョン・カサヴェテス、1970)
『仮面の米国』(マーヴィン・ルロイ、1932)
『生きる』(黒澤明、1952)

夜の大捜査線』(ノーマン・ジュイソン、1969)
『墓地への侵入者』(クラレンス・ブラウン、1951)
『のんき大将脱線の巻』(ジャック・タチ、1949)
『日は昇る』(マルセル・カルネ、1939)
『喜びなき街』(G・W・パブスト、1925)
『殺人者』(ロバート・シオドマク、1946)
『KIND HEARTS AND CORONETS』(ロバートヘイマー、1949)
『嵐の青春』(サム・ウッド、1941)※
マダムと泥棒』(アレクサンダー・マッケンドリック、1955)
『THE LAST FLIGHT』(ウィリアム・ディターレ、1931)※
『トゥ・ターズ』『ビッグ・ビジネス』『ラベンダー・ヒル・モブ』(チャールズ・クライトン、1928,1929、1951)
偉大なるアンバーソン家の人々』(オーソン・ウェルズ、1942)
『マルタの鷹』(ジョン・ヒューストン、1941)
『アラン』(ロバート・フラハティ、1934)※
『愛の絆』(ガイ・グリーン、1961)※
『マーティ』(デルバート・マン、1955)
『ミッキー・ワン』(アーサー・ペン、1965)
『MOONTIDE』(アーチー・L・メイヨ、1942)※
『スミス氏都へ行く』(フランク・キャプラ、1939)
狩人の夜』(チャールズ・ロートン、1955)
『悪魔の往く町』(エドマンド・グールディング、1947)※
『汚名』(アルフレッド・ヒッチコック、1946)
『邪魔者は殺せ』(キャロル・リード、1946)
二十日鼠と人間』(ルイス・マイルストン、1939)
『波止場』(エリア・カザン、1954)
牛泥棒』(ウィリアム・ウェルマン、1942)
『突撃』(スタンリー・キューブリック、1957)
『ピクニック』(ジョシュア・ローガン、1965)
『ミス・ブロディの青春』(ロナルド・ニーム、1969)
『霧の波止場』(マルセル・カルネ、1938)
『REQUIEM FOR A HEAVYWEIGHT』(ラルフ・ネルソン、1962)
『輪舞』(マックス・オフュルス、1950)
『年上の女』(ジャック・クレイトン、1958)

『罠』(ロバート・ワイズ、1949)※
『五月の七日間』(ジョン・フランケンハイマー、1964)
七人の侍』(黒澤明、1954)
雨に唄えば』(スタンリー・ドーネンジーン・ケリー、1952)
『らせん階段』(ロバート・シオドマク、1946)
『道』(フェデリコ・フェリーニ、1954)
『THE STRANGE ONE』(ジャック・ガーフェイン、1957)※
『見知らぬ乗客』(アルフレッド・ヒッチコック、1951)
ストライキ』(セルゲイ・エイゼンシュテイン、1924)
サンセット大通り』(ビリー・ワイルダー、1950)
ひとりぼっちの青春』(シドニー・ポラック、1969)
『第三の男』(キャロル・リード、1949)
アラバマ物語』(ロバート・マリガン、1963)
黒い罠』(オーソン・ウェルズ、1958)
『黄金』(ジョン・ヒューストン、1948)
『TUNES OF GLORY』(ロナルド・ニーム、1960)
十二人の怒れる男』(シドニー・ルメット、1957)
『恐怖の報酬』(アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、1951)
『白熱』(ラオール・ウォルシュ、1949)
『THE WILD ONE』(ラズロ・ベネディク、1954)
『目撃者』(アルフレッド・サンテル、1936)
『用心棒』(黒澤明、1961)
その男ゾルバ』(マイケル・カコヤニス、1964)

『アベンジャーズ/エンドゲーム』脚本家 クリストファー・マーカス、スティーヴン・マクフィリー インタビュー

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◯ターニング・ポイントの設定

ーー『インフィニティ・ウォー』と『エンドゲーム』において、大きな出来事を、どのように配置していったのでしょうか。

クリストファー・マーカス:最大のポイントは、スナップ(指パッチン)ですね。『IW』の最後にやっておかないといけないと、私たちは早い段階で気付いていました。もし、映画の中であまりにも早く起こしてしまい、宇宙の半分を殺したあとで30分もだらだらと話を続けることになったら、ちょっと盛り上がりに欠けるでしょうから。

ティーヴン・マクフィリー:もう一つのターニングポイントは、みんなが戻ってくるところです。問題は、それを『EG』の早い段階で起こすか、後回しにするかです。チェス盤に残っている駒は初代アベンジャーズキャプテン・アメリカ、アイアンマン、ソー、ハルク、ブラック・ウィドウ、ホークアイ)たちで、彼らはちゃんとした扱いをしよう。それは、他の連中を連れ戻すのが遅れてしまうことを意味していました。なので、ドクター・ストレンジブラックパンサー、バッキーやサムが大好きな人たちには、もうしわけないけれど、すべての観客を納得させるのは無理ですからね。

 

ーー『エンドゲーム』に登場するために生き残ったキャラクターは、どうやって選んだのですか。

マルクス:私たちは、キャプテンとトニーが、事件の余波をどのように受け止めて苦悩するかを、きちんと描きたいと思っていました。『IW』でのキャプテンとナターシャの活躍がさほど多くないのは、彼らは敵を殴るくらいのことしかしていないからです。『EG』には、たくさんの見せ場を用意できることはわかってましたからね。『IW』には、ほかに、ガーディアンズたちのように、語るべき事柄のある連中がいました。

マクフィリーー:面白いことに、ソーは、2つの映画どちらでも活躍します。
マルクス:以前は、退屈なキャラクターと思われていたのですが、とても扱いやすくなりましたね。

 

ーーヒーローたちがサノスを殺しても、それが何も解決してくれないことに、すぐに気づきます。一種のトリックのようなものですが、なぜそれが重要だったのですか。

マクフィリー:私たちは、ずっと、この問題を抱えていました。サノスは、究極の兵器を手にしているし、敵が来ることもわかっている。これは厄介です。私たちは、数週間は頭を悩ませていました。ある時、(エグゼクティブ・プロデューサーの)トリン・トランが言ったんです。「彼を殺してしまうことはできないのか?」それで私たちは、「殺してしまったらどうなる? なぜ殺す? なぜ彼は殺されてしまう?」と話し合いました。
マーカス:死によって、サノスの企みは、より強固なものになります。彼は去ってしまいました。死ななけれならないから、死んだのです。キリストではありませんが。

 

ーー映画の前半およそ1時間は、寂しさと絶望があふれていますね。そのことは、このビッグイベントである映画にとってリスクだったのでは。

マルクス:『IW』への観客のリアクションを見ていると、リスクは少なくなったと思えました。私たちは、もう何年もこの作品に関わってきたので、あまり感情が動かされなくなっていましたが、映画館で観客が泣いているのを見たのです。私たちは、彼らの気持ちをもてあそんだりせず、尊重しなければなりません。

マクフィリー:テスト試写会のとき、観客がもっとも不快に思っていた部分です。あまりにも望みがないからです。ほとんどのスーパーヒーロー映画では、第2幕の終わりごろに、主役が負けている時間が5分くらいありますね。ここでは、5年間です。その点が問題なようでした。

 

◯キャラクターたちの変化

 

ーー『エンドゲーム』におけるヒーローたちのドラマをどのように組み立てていったのでしょうか。

マクフィリー:クリスと私は、『シビル・ウォー』の撮影中にあらすじを書きました。そこで私たちが着想を得たもののひとつが、コミックの「ホワット・イフ?」(もしも……ならという架空の設定を描く番外編シリーズ)でした。もしも彼らが敗北したらどうなってしまうのか。ソーは太る。ナターシャは心を閉ざす。スティーヴは落ち込んでしまう。トニーは自分の人生を歩む。ハルクはスーパーヒーローになる。
マーカス:クリントは殺人マニアになる。私たちが『EG』のために意見を交換しあっていた時、最初は、ソーに復讐の使命を与えていました。しかし、それは『IW』ですでに描いていたものでした。復讐は彼にとっては全てでしたが、失敗したのです。追いつめられた彼はどうなってしまうのだろう。
マクフィリー:彼は酔いどれの太っちょになったのです。

 

ーー少なくとも、ハルクは以前よりも良い環境にありますね。

マーカス:『IW』で、バナーをスマートハルクの状態に変えようとした時がありました。とても面白かったのですが、タイミングを間違えていました。ほかの誰もが落ち込んでいたときに、彼だけ上向いていたんですから。
マクフィリー:それはワカンダで起きるはずでした。彼はハルクとは反りが合わず、ハルクに変身できない設定でした。そして、彼らは折り合いをつけてスマートハルクに変身します。
マーカス:私たちはそんな風に考えていたのですが、『EG』でスマート・ハルクになることになりました。食堂の場面ですね。どうやって彼を登場させるのか悩みました。研究室や遺伝子改造を抜きにして。
マクフィリー:研究室の場面もいろいろ書きましたね。結局、彼にはパンケーキを食べさせましたが、うまくいったと思います。

 

ーーホークアイは、シリーズ中もっとも闇落ちしたヒーローでしょうね。

マクフィリー:彼はスナップによって、強いドラマを持たされた人物の典型ですね。ホークアイは『IW』で、他の誰とも違うことをしていた。家族を置き去りにして、また戦いに行かせるのか? それは『シビル・ウォー』ですでにやっていました。それで悪人を退治させました。

マーカス:『IW』にアーチェリーの場面を入れようと考えていたこともありました。スナップの後で、クリントの農場の場面になるのです。私たちが見るものは? 巨大な影響がもたらす最初の兆候です。しかし、彼はその時点まで映画に登場していない。クールなやり方だけど、サノスのやったことの残酷さが鈍ってしまう。
マクフィリー:ジョー・ルッソは、『EG』の目玉にしたいと言ったんです。

 

ーー『ブラックパンサー』と『キャプテン・マーベル』の成功を目の当たりにして、それらのキャラクターにもっと活躍の場を与えようとしましたか。

マクフィリー:調整する時間は、ほとんどありませんでした。「急いで、ここにシュリの出番を入れよう」というわけにはいきません。私たちが(『IW』と『ED』の撮影を)始めたあとで、『ブラックパンサー』の撮影が始まりました。彼らが終えたあとも、私たちの方は続いていました。
マーカス:パンサーは出てきますよ。
マクフィリー:『ブラックパンサー』の公開前に、テスト上映をしました。キャプテンが「どこにいるかは知っている」と言うと、ワカンダの場面になる。観客は「どこなんだ?」と。『キャプテン・マーベル』でも同じです。私たちがブリー・ラーソンの場面を撮ったのは、彼女の映画の撮影が始まる前ですから。彼女の誕生物語を誰も書いていないうちに、その20年後の台詞を話してもらっているわけです。奇妙な話ですよね。

 

◯タイムトラベルの冒険

 

ーー『エンドゲーム』の冒頭で、映画は5年後に飛びますね。これは、同じ手法を用いたテレビシリーズに触発されたのでしょうか。

マーカス:私たちは、映画の実際の時間と、キャラクターたちが過ごす時間の両方において、リアルに長い時間をかけたかったのです。ナターシャとトニーとスティーブが、自分たちの時間を浪費してしまったことを納得させないまま、映画を終えるわけにはいかなかったのです。
マクフィリー:私たちは『FARGO/ファーゴ』の第1シーズンについて話しました。時間がいきなり進んだ時、視聴者は「えっ?」となったでしょう。同じような反応が起こることを期待しています。
マーカス:それと、『LOST』で、フラッシュフォワードを使った時、視聴者が「えっ、何が起こったの?」と思ったようにね。

 

ーータイムトラベルをめぐるストーリーのアイデアはどこから来たのですか?

マクフィリー:ある時、ケビン(・ファイギ)が、タイム・ストーンを使うか、時間そのものを題材として使いたいと言いました。私たちは何週間もかけて、映画を破綻させることなしに、時間について、できるだけ変わったことが出来ないか議論しました。
マーカス:みんなで話し合いましたね。タイムトラベルをやるのか、やるとしたら誰にやらせるのか。まだアントマンを使っていなかった。MCU世界における時間についての理論に、量子論があって、それまで登場していなかったキャラクターを使う。これでインチキをせずに抜け道ができたと。

 

ーータイムトラベルによって過去が変わっても現在はそのままという設定は、この映画において、とても重要ですよね。どうやって決めたのですか。 

マーカス:タイムトラベルを扱った作品をたくさん観て考えました。こういう風にはしないと。
マクフィリー:そうせざるを得ませんでした。マクガフィン(登場人物が奪い合うアイテム)は6つもあるし、過去に行くたびに現在を変えていたら、「ビフのカジノ」(改変された現在)が指数関数的に増えてしまいます。単純にそんなことは無理でした。私たちは物理学者たちにも取材しました。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は間違っているそうです。
マーカス:ハルクが説明した通りです。もし、あなたが過去に戻れば、もともといた現在は過去となり、今いる過去が未来となる。現在は変わらない。

 

ーータイムトラベルの話で、異なるアプローチも試したのでしょうか。 

マクフィリー:最初の脚本では、『アベンジャーズ』(第1作)の時代には戻りませんでしたね。アスガルドに向かわせました。MCUの歴史を丹念にたどっていくと、エーテルと四次元キューブがアスガルドに同時に存在した時期があります。そこで、トニーに行かせようと考えました。ステルス仕様のスーツを使って透明になるんですが、そこでヘイムダルと戦闘になる。彼には何でも見えますから。
マーカス:ソーとナタリー・ポートマンがやり取りする長い場面がありました。モラグ(ピーター・クイルがオーブを見つける惑星)は、とても複雑でした。
マクフィリー:水中の場面だったんですよ! 面白かったけれど、大きなセットが必要になる。それと、サノスと娘たちを、良いタイミングで正しい時間軸に乗せることが出来ませんでした。それで、ピーター・クイルが惑星にやってくる時間に行かせたんです。そこでピーターをイジれるし、とても楽しい場面になると。
マーカス:ぜんぜん違うストーリーもありました。シールドの基地に行って四次元キューブを手に入れて、誰かが自動車でドクター・ストレンジのいる家まで行く。
マクフィリー:俺たち何やってんだよ、って声に出したね。
マーカス:『アベンジャーズ』の世界に行くのは避けたかったんです、馬鹿馬鹿しく見えたので。
マクフィリー:僕らはいつも正しい選択ができているわけではないから。
マーカス:わかりやすいことって、あまりに見え見えで、わかりやす過ぎるように思えてくるんですね。
マクフィリー:それで最後に、ジョー・ルッソが言いました。「『アベンジャーズ』の世界に行けるなら行ってしまおうよ」それで、そうしたのです。

 

ーーソーは、過去の時間軸から、彼のハンマーであるムジョルニアを持って帰ります。そこで疑問なのですが……。

マクフィリー:もうひとりのソーが困るかな?
マーカス:ダーク・エルフたちに殺られてしまう?
マクフィーリー:子供から野球ミットを取り上げても、、それで、その子の人生が駄目になるわけではないでしょう。たとえ、ムジョルニアを取り上げてしまっても、あの映画で起こることは、そのまま受け入れられます。時間は動かしようがないですから。
マーカス:IFの世界は、いくらでも考えられますよ。ダーク・エルフはエーテルを求めてアスガルドに来るけれど、もうそこには無かったと。
マクフィリー:よし、一緒に楽園を築こう。
マーカス:みんなで、結婚でもしましょうか(笑)

 

ーー『アベンジャーズ』のシーンで、アレクサンダー・ピアース役のロバット・レッドフォードが、サプライズで登場しますね。もし、レッドフォードが出てくれなかった場合のシナリオは他に考えていたのですか。

マクフィリー:ニック・フューリーはどうかと考えていました。マリア・ヒルが登場するバージョンも用意しましたよ。その頃、『さらば愛しきアウトロー』がレッドフォードの俳優引退作だと宣伝されていたでしょう。レッドフォードに会える最後の機会だと。そこで、私たちは仕掛けたわけです(笑)

 

ーー女性ヒーローたちが集結する瞬間は、どのように生まれたのでしょうか。

マクフィリー:たくさんの議論をしました。観客にとって、それは心地よいものなのか、あるいは媚びているのか。何度も考えた上で、最終的に私たちは、それをとても気に入りました。
マーカス:『アベンジャーズ』の楽しさと言ったら、やはりチームの集結でしょう。マーベルは膨大なキャラクターを蓄積してきました。クレイジーな宇宙人もいれば、たくさんの格好いい女性たちがいる。アイアンマン・スーツを着た女性だって3、4人はいます。

 

ーーディズニーがFOXを買収して、『X-MEN』や『ファンタスティック・フォー』などのキャラクターを手に入れましたが、それらは使えなかったのですか。

マクフィリー:契約上、無理でした。
マーカス:今なら大丈夫だと思うけど、当時はだめでしたね。まだ『X-MEN』の新作(『ダーク・フェニックス』)が残っているから、その前にリブートさせることはできない、「期待に添えなくてすまないね」と。

 

◯旅の終わり

 

ーーなぜ、ナターシャ・ロマノフは、死ななければならなかったのでしょうか。

マクフィリー:私たちの中では、彼女の物語は、アベンジャーズを復活させるところで終わっていたのです。彼女は、虐待を受け、恐怖にさらされ、マインドコントロールを受けていたという背景があります。そんな彼女ですから、惑星ヴォーミアで家族を取り戻すチャンスを得た時、自らを代償にするだろうと。私たちがもっとも懸案していたのは、観客が彼女の死を悼むための時間が充分にないという心配でした。事態はまだ続いていて、問題も解決されないままです。しかし、重要なキャラクターが、そこでいなくなってしまうのです。そのことをどう敬意をもって描くのか。私たちは男性側の視点に立って、たくさんの男たちが彼女の死を悲しむという形を取りました。
マーカス:トニーは葬式を出してもらえる。ナターシャはそうではありません。理由のひとつは、トニーは非常に有名な人物だったが、彼女はずっと影に隠れた存在だったからです。彼女のために葬式をあげることが、キャラクターに対して誠実であるとは必ずしも言えませんでした。最大の疑問は、ソーが基地で言っていますね。「俺たちには、インフィニティ・ストーンズがある。なぜ彼女を連れ戻そうとしないんだ?」
マクフィリー:しかし、それは覆しようのない交換条件なのです。彼女を連れ戻せばストーンを失うのです。

 

ーーでは、トニー・スタークもまた死ぬべきだったのでしょうか。

マクフィリー:みんな、これがトニー・スタークの最後になるとわかっていました。
マーカス:誰かに強制されたわけではありません。そうしないで済む良い理由があったのであれば、そちらの結末を楽しんでもらえたでしょうね。ある意味、彼はスティーブ・ロジャースとはずっと対象的な存在でした。スティーブはしだいに利己主義に向かっていき、トニーは利他主義に向かっている。二人とも、それぞれの終末を迎えるのです。

 

ーートニーについて、何か別の展開は考えていましたか。

マーカス:いいえ、映画の中でパーフェクトな引退生活を送らせてあげることができましたからね。
マクフィリー:彼は、もう手に入れたんです。
マーカス:あれが彼が望んでいたものでした。ペッパーと一緒になった? その通りです。二人は結婚して子供も生まれました。素晴らしいでしょう。良い死を迎えたではないですか。あれが悲劇だとは思っていません。それはヒロイックに完結した人生なんです。

 

ーーキャプテンと、ペギー・カーターのハッピーエンドは、いつ決まったのですか。

マクフィリー:最初のあらすじの段階から、私たちは彼がダンスをすることに決めていました。それとは別に、ファンサービスとは何だろう、キャラクターにとって良きことは何かについて、だんだん私は基準を見失ってきました。キャラクターにとって良いことだと思ってはいましたが、単に観客が望んでいたものを見せただけかもしれません。本当に良いことだったのか? 私に分かりません。しかし、私はとても満足しています。彼は自らの使命を果たすために、自分の人生を先延ばしにしてきたのです。だから私は、彼を死なせようなんて、まったく思っていませんでした。ふさわしい結末ではありませんから。彼がようやく自分の盾を下ろす、それこそが結末なんです。

マーカス:自らを犠牲にしないヒーローであれば、この映画が支持を受けることはないでしょう。それが彼をヒーローにしているのです。スーパーパワーのせいではありません。

 

ーー『EG』で、サム・ウィルソンが、新たなキャプテン・アメリカとなりますね。これは将来、マーベル映画で実現しますか。あなたがたが執筆するのでしょうか。

マーカス:私たちに知らされている事は、あなたと変わりませんよ。彼らは『エターナルズ』を製作していますが、私たちは何も知りません。

 

ーーあなた方は、10年以上もこれらの映画やキャラクターを書いていますが、決して飽きることはありませんでした……。

マクフィリー:あるいはクビになっていたかも。
マーカス:これはコンセプトのおかけだし、一緒に仕事をしてきた人たちのおかげでもあります。「メモだ。俺はドラゴンが飛ぶ場面が観たい。だからドラゴンを入れろ。俺はこれから食事に行く」といった独裁者のような振る舞いに遭遇したことはありませんでした。
マクフィリー:私たちがアイデアを思いつくと、みんなが真剣に受け止めてくれます。彼らは『ウィンター・ソルジャー』を高く評価してくれたし、『シビル・ウォー』をどうやって一緒に作っていくのかを理解していました。彼らは、私たちのやり方や、ルッソ兄弟との働きぶりを見て、もしも、ジョス・ウェドン監督が戻ってこないのであれば――その決定については知りませんでしたが――喧嘩でもしない限りは、このチームでやることは、わかっていましたね。
マーカス:しかし、『エイジ・オブ・ウルトロン』は『アベンジャーズ』よりも成績が下がっていたので、『スーパーマン』の3作目や4作目のような挑戦をしていた可能性もありました。観客から見放されていたかもしれません。

 

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