cinemania 映画の記録

cinemania’s diary

マイケル・ムーアはクリント・イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』を、どのように称賛したか。

f:id:cinemania:20200218110542j:plain

 どうやら、マイケル・ムーア監督がクリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』を徹底的に否定しているとでも言わんばかりのデマを流し続けている方がいるらしいので、公開当時のインタビューから、該当する箇所を抜粋して紹介しておこう。(自分用に訳しておいたものを転載するだけですが)

 この映画を観た人の多くは共和党の支持者だろうけど、別にお花畑に住んでいるわけじゃない。家族がいて隣人がいる、戦場からズタボロになって帰ってきた人たちのことを知っている。僕たちには、PTSDという難問がある。戦争から生還した兵士たちの扱いについて、メンタル面での課題を抱えているんだ。僕はこの映画を二回観に行ったけれど、終幕では映画館は静まり返っていたよ。ブラッドリー・クーパーがアラブ人スナイパーのムスタファを倒す場面でも、歓声なんてあがらなかった。信じてほしいんだけど、僕は自分とは政治的な立場が異なる観客たちと一緒だったんだ。彼らはとても衝撃を受けていて、悲しそうに劇場を立ち去ったよ。映画の中の主要な登場人物たちは、最後には、誰もが戦争に傷つけられるか戦死してしまうか、どちらかなんだ。決して美化しているわけじゃない。観客たちは、たぶん意気揚々と映画館にまで足を運んだんだろうけど、帰り道はそうとはいかなかったんだ。

 僕は、公開された次の日に観に行ったんだ。上映していたのは全国で4箇所だけだった。(訳注:『アメリカン・スナイパー』は、まず都市部で限定公開され、その後拡大された) 僕はクリント・イーストウッドが好きだし、この映画を観たかったんだ。率直に言うけど、今年の映画の中では一番の予告編だったし、テレビのCMも最高だった。けれど、ポップコーン売り場からシアターまで行くと「なんてこった! 見てみろよ、グリニッジ・ヴィレッジにいるのに、地元の連中はどこにもいないじゃないか!」(訳注:上映されていない田舎から観客が集まったという意味) 観客の一人に話しかけられたよ。「やあ、君がここにいるなんて嬉しいな」 僕の映画を褒めてくれたよ。

www.youtube.com

 とにかく、僕はこの観客と一緒で、とても幸せだったな。なぜなら、彼らはとても感銘を受けていたからね。涙を流していたよ。観客は映画に反応していた。エンド・クレジットは、音楽も入っていなくて、とても陰鬱なものだった。登場人物は、誰もが戦争に疲れて、反戦に転じるか、さもなくば死んでしまうんだ。アメリカの勝利を讃えたりなんかしない。『プライベート・ライアン』 のラストでトム・ハンクスが戦死する場面のように「彼の死は無駄ではなかったのだ」なんて風にはならない。そんな描写は、この映画には存在しないんだよ。気持ちよくさせてはくれない。

――狙撃手への感情(訳注:かつてムーアは、狙撃者は卑怯だと発言している)や、戦争についての政治的な信条は別にして、映画そのものには、何の問題もないと言いたいのですか?

 映画についてはね。君が僕のツイッターをフォローしているのなら説明するまでもないけど、たいていのフィルムメイカーや映画監督というのは、互いの映画を批判しないという不文律を持っているんだよ。よその監督の映画が気に入らなければ黙っておく。もしも気に入ったのであれば、声を上げて人々に観に行くよう促すんだ。だからフィルムメイカー同士で批判し合うってことは滅多にないんだよ。優れた映画を作るのがいかに困難なことか、みんな知っているんだからね。以前、一度だけ、労働者階級の連中が観たら気分を害するような映画について批判したことはあったけどさ。毎日、身を粉にして働いているのに子供にお菓子も買い与えられないような人たちに無駄な出費をさせたくないと思ったんでね。

 それで、最初の二つのツイートでは映画について特に触れなかった。でも、どうしても140字以上書きたくなったからフェイスブックにしたんだよ。
「『アメリカン・スナイパー』については触れないが、これだけは言っておきたい。ブラッドリー・クーパーは、今年最高の演技を見せた。脱帽した。なんという変身ぶり……あなたはそれがブラッドリー・クーパーだとは気づかないだろう」

 そう、優れた俳優の証だ。この映画について、僕が最初に発したポジティブなコメントだね。もうひとつ言っておくと、技術的な面では、とても精巧に造られた映画だよ。ラストに音楽も流さずに暗転したままというのは、とても大胆な選択だった。暗くて静謐だ。物語に関しては、クリントは昔ながらの西部劇のようにしたかったんだと思っている。きわめてシンプルに、複雑でないやり方でね。例えば、ツインタワーが崩れ落ちると、すぐに兵士たちが呼び出されてイラクへ出撃するように。*1

 この映画のストーリー進行には問題があって、観客が混乱しているように見えたのは、そのためなんじゃないかな。『アメリカン・スナイパー』は、イラクについて、五、六年ないし、三、四回の出動だけで捉えようとしている。でもさ、同じ男が、そんなに長いこと同じ街にいるなんてことがありえるのかね? 古い西部劇みたいで奇妙だった。まるでB級映画じゃないか。それと、歴史的に間違っている点もあるけれど、そこに触れるつもりはないよ。これはあくまでも映画であって、ドキュメンタリーを見せられているわけじゃないからね。

(自分で運営する映画館で『アメリカン・スナイパー』を上映することについて)『トランスフォーマー』の5作目をかけるつもりはないけど、これはつまらない映画なんかじゃないからね。実際、クリント・イーストウッドは、この映画には、反戦的な感情を強くこめたと言ってるんだ。なあ、聞かせてくれないかな。この映画を観たあとで 「これは、若者を軍に勧誘するための、とんでもない徴兵目的の映画だね」って思うものかな?

 クリント・イーストウッドは、右翼主義の信奉者というわけじゃないんだよ。政治的には複雑な立場だし、どちらかと言えば、彼はリバタリアンだよね。あえて区分するなら、彼は自由主義を信じているのかな。僕は、彼が「合衆国は世界の警察になるべきだ」なんて考えていないと思っているよ。まあ、彼を取り巻く連中は戦争を批判しているようには見えないけどね。(映画で描かれた)クリス・カイルを見ても、「こいつは変だな、さっさと頭の中から追い出してしまおう」って思ってるのかもしれないな。

 クリスが自分に嘘をついていることを、みんな知っているんだ。 「自分は価値のあることをしている」 と彼は言い続けなければならない。なぜなら、彼はおそらく心の底では間違っていると理解しているからだ。唯一の仕事はアメリカを守ることなのに、何の関係もないんだよ。そして、僕らの税金は、そこに注ぎ込まれている。攻撃を受けても守ってもらえるんだってね。別に僕らが脅かされたわけじゃないのに。イラクは攻撃してこなかったし、そのつもりもなかったんだろう。

 映画の中で、PTSDが描かれたことを喜んでいるよ。クリントは、兵士や帰還兵のことを画一的に表現するようなことはしていないんだ。彼らにはいろいろなことがあったから。戦争がきっかけでPTSDの問題に取り組もうという動きが出てきたのは知っている。この映画は、帰還兵の社会復帰を手助けしたいという気持ちを呼び起こすことになるだろうね。PTSDに関心がある人々にとっては有益な映画だったと思う。感情的には、そうであってほしいな。でも、もっと深いレベルの話をすると、この映画を観たアメリカ人には、もう二度と、こんなことは起こすべきではないと考えてほしい。こんなことは決して繰り返しちゃいけないんだ。

www.vice.com

*1:実際の映画では、主人公に出撃命令が下るのは、結婚披露パーティーのさなかであり、同時多発テロのシーンとは直接つながっておらず、関連性も強調されてはいない