「トニー・スコットとテオ・アンゲロプロス 二人の映画作家(前編)」

「Tony and Theo(トニーとテオ)」
2012年1月『The Other Sea』の撮影中にテオ・アンゲロプロスはオートバイにはねられ亡くなった。そして8月。トニー・スコットがロサンゼルスのヴィンセント・トーマス橋から飛び降りて自ら命を絶った。
両者ともに映画界にとって重要な人物だった。しかし、どの映画にとって重要だったのだろうか?
1970年以降、アンゲロプロスはギリシャを舞台に歴史、世界大戦、難民、政治の変革を求める闘争の崩壊をめぐる厳粛な映画を作ってきた。彼の代名詞は極端な、人によっては耐え難いとも言うカメラの長まわしであった。彼は自らの作品を、思慮深く情熱的な知識人による、歴史(彼がたびたび口にしたように、大文字の「歴史」)の証人が私たちに過酷で陰鬱な真実を伝えるものとして提示した。彼の作品はヨーロッパと日本をのぞいては配給されることはほぼ無く、彼の最上の作品群は映画館でもビデオでも出回らなかった。いかめしく無愛想な彼は、映画文化における有力者たちから疎まれた。カンヌでパルムドールを逃した際にはあからさまに不機嫌だったとも報じられている。
それとは対照的に『トップガン』(1986年)以降のトニー・スコットは、大金を稼ぐアクション映画の巨匠であり、ADHD(注意欠陥多動障害)型ハリウッド監督の典型例となった。彼は眼を揺さぶり耳を叩くために、本能に訴えるテクニックを嬉々として操った。彼の映画はあからさまに扇情的であり、スポーツ、軍隊、職場といった男性優位の環境において、若い男同士の友情を描きつつ女性の肉体美を誇示してみせた。彼にインテリジェンスが足りなかったわけではないが、アンゲロプロスを尊大に見せていたような主義主張は避けていた。それでも、初期にドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーと組んだことで、彼は騒々しくて下品だという烙印を押されることになった。彼はブリジット・ニールセンと付き合ってさえいた。
「正反対なものは似通う(Extremes meet)」
静と動、不滅と刹那、重厚さと安っぽい輝き。見かけ上、この二人は異なる映画の世界に生きていた。奇妙なことに彼らの経歴も対照的だった。アンゲロプロスは1970年代から1980年代には映画祭の寵児だったが、次第に時代遅れと見做されるようになった。遺作の『エレニの帰郷』(2009年)の頃には、一部の批評家は軽蔑を隠さなかった。スコットは最初の頃は笑いものにされていたが、2000年代には批評家からの尊敬を勝ち取った。死に際して批評家たちは彼を巨匠と呼んだのである。多くの人々にとって、アンゲロプロスの1970年代的なモダニズムへの頑固な執着は古びたものに映った。その一方で、スコットの奔放さと眼を愉しませる映像は、最後には観客と批評家を共に魅了するようになっていた。
率直に言うと、私は二人に疑念を抱いている。アンゲロプロスが、その全作品の多くの瞬間において(『エレニの帰郷』では絶え間なく)その意義を誇示しようとする時、私は尊大なヨーロッパ映画に対するいら立ちを思い出すのだ。スコットが「ファック・ユー、マザーファッカー」といった台詞やポールダンサーの執拗な描写でシーンを組み立てる時、私は現代のアメリカ映画がいかに低俗になり得るか思い知らされるのだ。そして、二人のスタイルは容易に予測できてしまう。アンゲロプロスにおいて町並みを映すアングルはカメラのパン移動の前触れだし、スコットの映画で誰かが座ればカメラはその周りをぐるぐると回る可能性が高いのだ。
こうした疑念こそあれ、私は二人の映画を絶賛してきたし楽めるものだと感じている。彼らの野心作は私たちにパワフルな体験を与え、映画について多くのことを教えてくれる。特にクリエイティブな映画作家がいかにメディアとその歴史的な伝統を再構築できるかという点について。
そして、彼らの世界には多少なりとも共通点がある。両者とも映画をサイズと不可分なアートとして扱っている。『マイ・ボディガード』(2004年)や『アレクサンダー大王』(1981年)をホームビデオで観ることは、TV画面がどれだけ大きくても映画を致命的に矮小化してしまう。同様に、両者はスペクタクルに依拠し、圧倒的で衝撃的なエフェクトで画面を埋め尽くした。たしかに、スコットのスペクタクルは過剰であり、アンゲロプロスのそれは禁欲的である。だが見方を調整してみよう。『エレニの旅』(2004年)で難民の集落を騒がしく通り過ぎていく汽車は、『アンストッパブル』(2010年)の暴走機関車の衝撃に決して劣るものではない。「中途半端は禁物」というのが二人のモットーだったのかもしれない。
両者は語り口においても趣向を凝らしている。すでに『ハンガー』(1983年)で、スコットの絶え間ないクロスカッティングは、ある場面での音響効果を別の場面の解説として機能させている。『ドミノ』(2005年)や『デジャヴ』(2006年)のタイムループは、フラッシュバック、リプレイ、語り直し、視点のジャンプを作り出した。それよりは静謐に、アンゲロプロスは長まわしによって時間を移行させる技法を完成させた。『旅芸人の記録』(1975年)のカメラは、異なる時代を滑らかに移行する。シーンからシーンへ、アンゲロプロスは時制をわかりやすく示さない。シーンBはシーンAの続きかもしれないし数年後かもしれない。ハリウッド的に字幕で説明することもない。画面を数分観て、ようやく数十年の歳月が流れたことに気づく場合すらある。
しかし、二人の監督が好む時間の撹乱は、ドラマのためだけに奉仕しているのではない。奇妙なことにストーリーテリングは彼らの仕事においては補足的な役割にとどまっている。私には、どちらの映画作家も、多くの人々がナラティブの核心と見なすもの――登場人物の心理――に重きを置いているようにはみえないのだ。これは、感動的な瞬間や内面描写が垣間見えることが無いという意味ではない。しかし監督たちは、それらを超えた先を目指しているのである。
実際、トニーとテオは、ナラティブが消えて無くなった時に何が起こるのか、つまり映画的な質感やパターンがドラマを超越することを許した際に何が生じるのかを探求しているのだろう。彼らはドラマを膨らませたり縮めたり脇にどけたりして、より具体的で心が奪われるような何かのための隠れ蓑に使うのだ。二人の映画作家は私たちの知覚と感情を誘導しようとしている。映像と音のゆらぎそれ自体に惹きつけられるような催眠状態を作り出すのだ。
彼らは現代のハリウッドと「芸術映画」という異なる伝統の中で成し遂げた。彼らは与えられた環境を超越しようとする姿勢において共通している。二人の監督は、自らの伝統を限界まで押し広げようとしているのだ。
大雑把に言えば、スコットの流儀とは広い意味でのハリウッド映画のナラティブであり、ある程度までは調子を合わせていた。プロットは動機を持つキャラクターが他者と衝突することによって動かされ、その結果として、競技(『トップガン』『デイズ・オブ・サンダー』(1990年))、事件の捜査(『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)、『マイ・ボディガード』『デジャヴ』)、追跡と陰謀(『リベンジ』(1990年)、『ラスト・ボーイスカウト』(1991年)、『トゥルー・ロマンス』(1993年)、『ザ・ファン』(1996年)、『エネミー・オブ・アメリカ』(1998年)、『スパイ・ゲーム』(2001年)、『ドミノ』)、時間との戦い(『クリムゾン・タイド』(1995年)、『サブウェイ123 激突』(2009年)、『アンストッパブル』)が描かれる。
真ん中には勇気と解決能力のテストを受ける一人の男、あるいは二人の男たちが配置される。『ザ・ファン』は、『Storytelling in The New Hollywood』でクリスティン・トンプソンが「並列主人公映画(the parallel-protagonist movie)」と名付けたものの代表的な例で、普通の男が執拗なストーカーにつきまとわれる。女性は『トゥルー・ロマンス』のように勇敢なパートナーであるか、捜査の対象(『リベンジ』『スパイ・ゲーム』)になるか、あるいは成功の報酬(『ラスト・ボーイスカウト』『アンストッパブル』)として機能することが多い。唯一『ドミノ』の女主人公だけが、男の相棒や敵役と同じくらい無愛想で下品で口汚い。しかし彼女自身が認めているように、彼女は父親の愛に飢え裕福な生活に戻りたがっているのだ。
「三文小説(Pulp fictions)」
基本的にスコットはありふれたパルプ・フィクションを仕事にしてきた。かれこれ10年近くその健全なる精神に則って遊んでいたのである。しかし、『エネミー・オブ・アメリカ』(1998年)を期に、彼は当時のハリウッドで流行していた混迷させるような物語技法を用い始めた。『トゥルー・ロマンス』の脚本を提供したクェンティン・タランティーノのように、スコットは――彼自身の言葉を借りれば、ロックンロールやニコラス・ローグの映画に触発されて――少々ワイルドになったのである。
彼の脚本は、一般的に視点と呼ばれるものを弄ぶようになっていった。いくつかの作品は、衝撃的とまでは言わないにせよ際立って主観的になっている。『スパイ・ゲーム』では主人公を二人に分裂させ、それぞれのアクションへの立脚点を提示している。ピーター・エイブラハムズの優れた小説を原作とした『ザ・ファン』は、ある男のオブセッションが命取りとなる過程を追っている。『マイ・ボディガード』では、ジョン・クリーシーの精神世界ーー苦痛、罪悪感、信仰心、そしてアルコール依存症が無慈悲なサディズムへと昇華していく様を掘り下げている。
『ドミノ』に至っては、ストーリーの見せ方は無感情で混乱している。主要なアクションは、ヒロインが警察官に自分の物語を語って聞かせるという伝統的な枠物語によって描かれている。これは幸いだった。彼女の解説なしには、私たちはアクションを追うことができなかっただろう。物語は目まぐるしい音と映像の羅列へと解体される。話はよどみ、ぐらつき、語り直され、文字情報までもが入り乱れる。まるで史上最悪なスライド資料の説明を受けているようだ。
視点のさらなる増殖は、スパイのゲームを通じて行われる。多くの監督は現代の監視技術は物語世界の中に配置する。ポール・グリーングラスは、コンピューターにかじりつく人々を撮影している時がいちばん楽しそうに見える。普通の監督がヘリコプターからの急降下ショットを見せたとしても、それを邪な政府機関や煽情的なテレビの中継カメラの主観映像として受け取ることはないだろう。だが、スコットの後期作ではそうであることが多い。彼は監視カメラ、携帯電話、そして空からの敵意に満ちた視線が、二つの役割を果たせることに気づいていた。それらは物語における空間と時間を解体し、ショットの視覚的な質感を刷新したのである。
長い間ハリウッド映画は説明のためにテレビを利用してきた。登場人物たちはテレビ放送を通じて物語の出来事の流れを把握し、時には『マーシャル・ロー』(1998年)のように、登場人物を間に挟まずに直接ニュース映像だけを私たちに見せる映画もある。古典的な撮影所映画における新聞の見出しやラジオ放送の現代版とも言えるこれらの場面は、出来事を要領よくつなぎ合わせることでプロットを迅速に進めるのだ。
しかし、スコットはフッテージ間の不均衡を強調することに喜びを見出し、素材のダイレクトな提示からメディアを介した映像や音声へと切り替えた。陰謀論的な映画においてビデオ映像は、膨大な画像情報やデータベースからその都度引き出してきているかのように見える。さらに、コンピューターの画面やニュース放送、あるいは隠しカメラなどによるショットが別のショットにすぐに断ち切られることで、神経質的な映像話法が生まれる。つまりスコットはオリヴァー・ストーンの『JFK』(1991年)における異なるフォーマットのコラージュをアクション映画に持ち込んだのである(そのスキルはストーンが『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994年)や『Uターン』(1997年)で懸命にやった以上のものだ)
もっとも、表現のレベルにおいては、より狭い伝統がスコットのスタイルを形作っている。インタビューやコメンタリーの中で、彼は自身が画家として出発したことをくり返し指摘しているが、私が考えるに、彼はアクション映画に新鮮な絵画的インテリジェンスを持ち込んだのだ。
「いくらあっても足りない(Too much is not enough)」
マイケル・マンと同様に、スコットもアクション映画に芸術家としての自意識を持ち込む必要性を感じていたようだ。問題は競争相手だった。このジャンルの黄金律は1988年にジョン・マクティアナンの『ダイ・ハード』が、冷静沈着で緻密に構成された形式主義として提示したものだ。野心的な監督はいかにしてそれに対抗すべきだろうか? ほとんどの監督は、私が「コンティニュイティの増幅(intensified continuity)」と呼ぶスタイルのバリエーションを採用していた。すなわち、素早いカット割り、シンプルな演出、極端なレンズの焦点距離、カメラの激しい揺れである。手慣れてはいるが型通りのリチャード・ドナーやレニー・ハーリンはこの路線にしたがって仕事をしていたし、マイケル・ベイはほとんど純粋な形でそうしたスタイルを体現していた。だが、もしロイヤル・カレッジ・オブ・アートで画家としての研鑽を積んだ映画監督が、この「コンティニュイティの増幅」を新たな領域へと押し進めようとしたらどうなるだろうか?
なるほどカット割りを素早くするというトレンドには乗ってみた。だが、それをさらに速くしたのだ。普通の映画の普通のショットが3秒から5秒である時代に、それを2秒にしたらどうなる?さらにはそれ以下にしたら? これが『ザ・ファン』(1996年)以降のスコットの選択であった。彼は同じ構図を繰り返すことはほとんどないが、主な理由はシーンの周囲に非常に多くのカメラを用意するからである。『マイ・ボディガード』には少なくとも4100のショットが含まれ、『ドミノ』では5000を超えているが、おそらく正確な数は決して分からないだろう。長めの場面は、多重露光、オーバーラップ、コマ落とし、そして単一の「ショット」内での色彩の変化によって構築されている。レイヤーが浮かび上がっては消えていく中で、カットはもはや確定的な境界線としては機能しなくなっているのである。
時としてスコットは、『カメラを持った男』のジガ・ヴェルトフや『Water and Power』のパット・オニールのように、個別のショットという概念を単に放棄し、映像をフレームの中に浸透させていく。
そう、カメラを動かすのだ。だが、マクティアナンのような単純な移動撮影や緊迫した前進撮影とはまるで異なる優雅な動きをさせている。具体的には、カメラが旋回するのは当然のこととして、被写体そのものも少しだけ回転させるのだ。ある回転から別の回転へとカットをつなぐことで、彫刻のような重厚感を備えたささやかな舞踏が生まれる。画面の手前を滑るように遮蔽物が通り過ぎ、強烈な明暗のトーンが混在する。
1980年代から1990年代初頭の作品において、スコットは曇らせと鮮明さを混在させた。それらのシーンはメタリックな色調や自然色で撮影され、兄のリドリーが『ブレードランナー』で普及させたあの煙るようなレイヤーが重なっている。また別のシーンでは、シルエットやくっきりとした輪郭、色とりどりの塊が誇示される。
ロングショット、ミディアムショット、クローズアップとどんな構図でも、超望遠レンズを装着した複数のカメラで撮影する傾向があり、映像はフラットで抽象画のようになった。後に、反転フィルムをクロスプロセス現像する効果を発見したスコットは、曇らせ効果をほぼ使わなくなり、自ら「ハイパーリアリズム」と称する高コンストラクトな、デヴィッド・ホックニーを思わせる色鮮やかさと、厚みがあるが透明感を保った影の表現を特徴とするスタイルに移行していった。
スコットは「コンティニュイティの増幅」の定石に、同軸つなぎ(axial cut)の一撃を加えている。これは、ショットの切り替えで人物をこちら側に引き寄せたり遠ざけたりすることで(彼の後期作ではレンズによるズーム(snap-zooms)によってこの効果を模倣している)、さまざまな距離に置いた望遠レンズと組み合わせて、画面内の重要なポイントを見失ったり再発見したりするような感覚を生み出している。『アンストッパブル』の後半シーンでコニーが体を回す際、同軸つなぎによって背景だけが変わっていくため、彼女の姿は変化し続ける色彩の塊の中に浮かび上がる。
批評家たちは、スコットのスタイルがMTVやコマーシャルのようだと不満を述べた。スコット兄弟はそれらを量産していたのだから当然のことだ。そして、映画作家が広告(ウォーホルやスチュアート・デイヴィスといった画家たちのように)やビデオクリップ(王家衛のように)から着想を得ることに根本的な問題があるわけではない。肝心なのはソースをどう扱うかである。スコットがこれらのテクニックに新しい力を加えることで、一般的な水準から新たな極限へと進んでいったことは明らかだろう。
『The Way Hollywood Tells It』で論じたように、コンティニュイティの増幅は、古典的コンティニュイティのマニエリスム版と言える。それを踏まえるならば、スコットはコンティニュイティの増幅のロココ版だと言えるかもしれない。同じく絵画派であるマイケル・マンが、より生真面目さを追求する完全主義者であるのに対し、スコットはいたずら書きや殴り書きで画面を埋め尽くす。彼は被写体と観客の間に反射、雨、埃といった粒子を被せるだけでなく、字幕を使って台詞を繰り返しもする。
マンは私たちに映像を堪能させてくれるが、スコットは派手な構図を次から次へと圧倒的な過剰さで放り投げてくる。アクセルを踏んだ後期作品において、それらが記憶に残るだけの時間はあまりない。映画は私たちの目の前をただ通り過ぎていくかのようである。ショットは有機的につながらず断片化される。刹那的な印象が積み重なるだけで、一つの構図にとどめておきたいという私たちの願望を踏みにじっていく。時には、自分の目が信じられなくなることもある。『マイ・ボディガード』の誘拐場面では、クリーシーが犯人に反撃しようと銃を構える時、車体に爆炎が反射してみえる。
謎なのは、珍しくここでは何も燃えていないし爆発もしていないという点だ。それは純粋に狂気の沙汰であり、「撃ち合い(firefight)」という文学的修辞を文字通り視覚化したもので、そこに現実的な理由付けは存在していない。
こうしたテクニックはある程度までは物語上の必要性から導き出されている。精神状態をほのめかしたり、ヒロイックな行動を強調したり、対決や追跡を刺激的にするためだ。しかしスコットによる視覚と聴覚の扱い方は、わかりやすい作劇上の都合からはみ出している。彼はおざなりな会話ですら、それ自体で注目されるように絢爛豪華な装飾で飾り立てるのだ。単なるデコレーションではないか?私も同意する。しかしデコレーションは価値のない仕事ではない。信念と創意工夫のあるデコレーションであれば注目に値するだろう。
確かに、こうしたデコレーションは優美なものではない。『ドミノ』『アンストッパブル』そして『マイ・ボディガード』の後半にはグランジ的な美学がある。私たちの世界は過酷でもあるが美しくもあることを伝えるショットたちだ。スコットは現代のサミュエル・フラー(葉巻の趣味も含めて)になり得たかもしれないし、『ドミノ』は彼なりの『裸のキッス』だったのかもしれない。フラーなら「見た目は良くないが美しい」と『ドミノ』について語ったスコットの照明スタッフに賛同したことだろう。