cinemania 映画の記録

cinemania’s diary

「トニー・スコットとテオ・アンゲロプロス 二人の映画作家(前編)」

「Tony and Theo(トニーとテオ)」

2012年1月『The Other Sea』の撮影中にテオ・アンゲロプロスはオートバイにはねられ亡くなった。そして8月。トニー・スコットがロサンゼルスのヴィンセント・トーマス橋から飛び降りて自ら命を絶った。
両者ともに映画界にとって重要な人物だった。しかし、どの映画にとって重要だったのだろうか?

1970年以降、アンゲロプロスはギリシャを舞台に歴史、世界大戦、難民、政治の変革を求める闘争の崩壊をめぐる厳粛な映画を作ってきた。彼の代名詞は極端な、人によっては耐え難いとも言うカメラの長まわしであった。彼は自らの作品を、思慮深く情熱的な知識人による、歴史(彼がたびたび口にしたように、大文字の「歴史」)の証人が私たちに過酷で陰鬱な真実を伝えるものとして提示した。彼の作品はヨーロッパと日本をのぞいては配給されることはほぼ無く、彼の最上の作品群は映画館でもビデオでも出回らなかった。いかめしく無愛想な彼は、映画文化における有力者たちから疎まれた。カンヌでパルムドールを逃した際にはあからさまに不機嫌だったとも報じられている。

それとは対照的に『トップガン』(1986年)以降のトニー・スコットは、大金を稼ぐアクション映画の巨匠であり、ADHD(注意欠陥多動障害)型ハリウッド監督の典型例となった。彼は眼を揺さぶり耳を叩くために、本能に訴えるテクニックを嬉々として操った。彼の映画はあからさまに扇情的であり、スポーツ、軍隊、職場といった男性優位の環境において、若い男同士の友情を描きつつ女性の肉体美を誇示してみせた。彼にインテリジェンスが足りなかったわけではないが、アンゲロプロスを尊大に見せていたような主義主張は避けていた。それでも、初期にドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマーと組んだことで、彼は騒々しくて下品だという烙印を押されることになった。彼はブリジット・ニールセンと付き合ってさえいた。

「正反対なものは似通う(Extremes meet)」

静と動、不滅と刹那、重厚さと安っぽい輝き。見かけ上、この二人は異なる映画の世界に生きていた。奇妙なことに彼らの経歴も対照的だった。アンゲロプロスは1970年代から1980年代には映画祭の寵児だったが、次第に時代遅れと見做されるようになった。遺作の『エレニの帰郷』(2009年)の頃には、一部の批評家は軽蔑を隠さなかった。スコットは最初の頃は笑いものにされていたが、2000年代には批評家からの尊敬を勝ち取った。死に際して批評家たちは彼を巨匠と呼んだのである。多くの人々にとって、アンゲロプロスの1970年代的なモダニズムへの頑固な執着は古びたものに映った。その一方で、スコットの奔放さと眼を愉しませる映像は、最後には観客と批評家を共に魅了するようになっていた。

率直に言うと、私は二人に疑念を抱いている。アンゲロプロスが、その全作品の多くの瞬間において(『エレニの帰郷』では絶え間なく)その意義を誇示しようとする時、私は尊大なヨーロッパ映画に対するいら立ちを思い出すのだ。スコットが「ファック・ユー、マザーファッカー」といった台詞やポールダンサーの執拗な描写でシーンを組み立てる時、私は現代のアメリカ映画がいかに低俗になり得るか思い知らされるのだ。そして、二人のスタイルは容易に予測できてしまう。アンゲロプロスにおいて町並みを映すアングルはカメラのパン移動の前触れだし、スコットの映画で誰かが座ればカメラはその周りをぐるぐると回る可能性が高いのだ。

こうした疑念こそあれ、私は二人の映画を絶賛してきたし楽めるものだと感じている。彼らの野心作は私たちにパワフルな体験を与え、映画について多くのことを教えてくれる。特にクリエイティブな映画作家がいかにメディアとその歴史的な伝統を再構築できるかという点について。

そして、彼らの世界には多少なりとも共通点がある。両者とも映画をサイズと不可分なアートとして扱っている。『マイ・ボディガード』(2004年)や『アレクサンダー大王』(1981年)をホームビデオで観ることは、TV画面がどれだけ大きくても映画を致命的に矮小化してしまう。同様に、両者はスペクタクルに依拠し、圧倒的で衝撃的なエフェクトで画面を埋め尽くした。たしかに、スコットのスペクタクルは過剰であり、アンゲロプロスのそれは禁欲的である。だが見方を調整してみよう。『エレニの旅』(2004年)で難民の集落を騒がしく通り過ぎていく汽車は、『アンストッパブル』(2010年)の暴走機関車の衝撃に決して劣るものではない。「中途半端は禁物」というのが二人のモットーだったのかもしれない。

両者は語り口においても趣向を凝らしている。すでに『ハンガー』(1983年)で、スコットの絶え間ないクロスカッティングは、ある場面での音響効果を別の場面の解説として機能させている。『ドミノ』(2005年)や『デジャヴ』(2006年)のタイムループは、フラッシュバック、リプレイ、語り直し、視点のジャンプを作り出した。それよりは静謐に、アンゲロプロスは長まわしによって時間を移行させる技法を完成させた。『旅芸人の記録』(1975年)のカメラは、異なる時代を滑らかに移行する。シーンからシーンへ、アンゲロプロスは時制をわかりやすく示さない。シーンBはシーンAの続きかもしれないし数年後かもしれない。ハリウッド的に字幕で説明することもない。画面を数分観て、ようやく数十年の歳月が流れたことに気づく場合すらある。

しかし、二人の監督が好む時間の撹乱は、ドラマのためだけに奉仕しているのではない。奇妙なことにストーリーテリングは彼らの仕事においては補足的な役割にとどまっている。私には、どちらの映画作家も、多くの人々がナラティブの核心と見なすもの――登場人物の心理――に重きを置いているようにはみえないのだ。これは、感動的な瞬間や内面描写が垣間見えることが無いという意味ではない。しかし監督たちは、それらを超えた先を目指しているのである。

実際、トニーとテオは、ナラティブが消えて無くなった時に何が起こるのか、つまり映画的な質感やパターンがドラマを超越することを許した際に何が生じるのかを探求しているのだろう。彼らはドラマを膨らませたり縮めたり脇にどけたりして、より具体的で心が奪われるような何かのための隠れ蓑に使うのだ。二人の映画作家は私たちの知覚と感情を誘導しようとしている。映像と音のゆらぎそれ自体に惹きつけられるような催眠状態を作り出すのだ。

彼らは現代のハリウッドと「芸術映画」という異なる伝統の中で成し遂げた。彼らは与えられた環境を超越しようとする姿勢において共通している。二人の監督は、自らの伝統を限界まで押し広げようとしているのだ。

大雑把に言えば、スコットの流儀とは広い意味でのハリウッド映画のナラティブであり、ある程度までは調子を合わせていた。プロットは動機を持つキャラクターが他者と衝突することによって動かされ、その結果として、競技(『トップガン』『デイズ・オブ・サンダー』(1990年))、事件の捜査(『ビバリーヒルズ・コップ2』(1987年)、『マイ・ボディガード』『デジャヴ』)、追跡と陰謀(『リベンジ』(1990年)、『ラスト・ボーイスカウト』(1991年)、『トゥルー・ロマンス』(1993年)、『ザ・ファン』(1996年)、『エネミー・オブ・アメリカ』(1998年)、『スパイ・ゲーム』(2001年)、『ドミノ』)、時間との戦い(『クリムゾン・タイド』(1995年)、『サブウェイ123 激突』(2009年)、『アンストッパブル』)が描かれる。

真ん中には勇気と解決能力のテストを受ける一人の男、あるいは二人の男たちが配置される。『ザ・ファン』は、『Storytelling in The New Hollywood』でクリスティン・トンプソンが「並列主人公映画(the parallel-protagonist movie)」と名付けたものの代表的な例で、普通の男が執拗なストーカーにつきまとわれる。女性は『トゥルー・ロマンス』のように勇敢なパートナーであるか、捜査の対象(『リベンジ』『スパイ・ゲーム』)になるか、あるいは成功の報酬(『ラスト・ボーイスカウト』『アンストッパブル』)として機能することが多い。唯一『ドミノ』の女主人公だけが、男の相棒や敵役と同じくらい無愛想で下品で口汚い。しかし彼女自身が認めているように、彼女は父親の愛に飢え裕福な生活に戻りたがっているのだ。

「三文小説(Pulp fictions)」

基本的にスコットはありふれたパルプ・フィクションを仕事にしてきた。かれこれ10年近くその健全なる精神に則って遊んでいたのである。しかし、『エネミー・オブ・アメリカ』(1998年)を期に、彼は当時のハリウッドで流行していた混迷させるような物語技法を用い始めた。『トゥルー・ロマンス』の脚本を提供したクェンティン・タランティーノのように、スコットは――彼自身の言葉を借りれば、ロックンロールやニコラス・ローグの映画に触発されて――少々ワイルドになったのである。

彼の脚本は、一般的に視点と呼ばれるものを弄ぶようになっていった。いくつかの作品は、衝撃的とまでは言わないにせよ際立って主観的になっている。『スパイ・ゲーム』では主人公を二人に分裂させ、それぞれのアクションへの立脚点を提示している。ピーター・エイブラハムズの優れた小説を原作とした『ザ・ファン』は、ある男のオブセッションが命取りとなる過程を追っている。『マイ・ボディガード』では、ジョン・クリーシーの精神世界ーー苦痛、罪悪感、信仰心、そしてアルコール依存症が無慈悲なサディズムへと昇華していく様を掘り下げている。

『ドミノ』に至っては、ストーリーの見せ方は無感情で混乱している。主要なアクションは、ヒロインが警察官に自分の物語を語って聞かせるという伝統的な枠物語によって描かれている。これは幸いだった。彼女の解説なしには、私たちはアクションを追うことができなかっただろう。物語は目まぐるしい音と映像の羅列へと解体される。話はよどみ、ぐらつき、語り直され、文字情報までもが入り乱れる。まるで史上最悪なスライド資料の説明を受けているようだ。

視点のさらなる増殖は、スパイのゲームを通じて行われる。多くの監督は現代の監視技術は物語世界の中に配置する。ポール・グリーングラスは、コンピューターにかじりつく人々を撮影している時がいちばん楽しそうに見える。普通の監督がヘリコプターからの急降下ショットを見せたとしても、それを邪な政府機関や煽情的なテレビの中継カメラの主観映像として受け取ることはないだろう。だが、スコットの後期作ではそうであることが多い。彼は監視カメラ、携帯電話、そして空からの敵意に満ちた視線が、二つの役割を果たせることに気づいていた。それらは物語における空間と時間を解体し、ショットの視覚的な質感を刷新したのである。

長い間ハリウッド映画は説明のためにテレビを利用してきた。登場人物たちはテレビ放送を通じて物語の出来事の流れを把握し、時には『マーシャル・ロー』(1998年)のように、登場人物を間に挟まずに直接ニュース映像だけを私たちに見せる映画もある。古典的な撮影所映画における新聞の見出しやラジオ放送の現代版とも言えるこれらの場面は、出来事を要領よくつなぎ合わせることでプロットを迅速に進めるのだ。

しかし、スコットはフッテージ間の不均衡を強調することに喜びを見出し、素材のダイレクトな提示からメディアを介した映像や音声へと切り替えた。陰謀論的な映画においてビデオ映像は、膨大な画像情報やデータベースからその都度引き出してきているかのように見える。さらに、コンピューターの画面やニュース放送、あるいは隠しカメラなどによるショットが別のショットにすぐに断ち切られることで、神経質的な映像話法が生まれる。つまりスコットはオリヴァー・ストーンの『JFK』(1991年)における異なるフォーマットのコラージュをアクション映画に持ち込んだのである(そのスキルはストーンが『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994年)や『Uターン』(1997年)で懸命にやった以上のものだ)

もっとも、表現のレベルにおいては、より狭い伝統がスコットのスタイルを形作っている。インタビューやコメンタリーの中で、彼は自身が画家として出発したことをくり返し指摘しているが、私が考えるに、彼はアクション映画に新鮮な絵画的インテリジェンスを持ち込んだのだ。

「いくらあっても足りない(Too much is not enough)」

マイケル・マンと同様に、スコットもアクション映画に芸術家としての自意識を持ち込む必要性を感じていたようだ。問題は競争相手だった。このジャンルの黄金律は1988年にジョン・マクティアナンの『ダイ・ハード』が、冷静沈着で緻密に構成された形式主義として提示したものだ。野心的な監督はいかにしてそれに対抗すべきだろうか? ほとんどの監督は、私が「コンティニュイティの増幅(intensified continuity)」と呼ぶスタイルのバリエーションを採用していた。すなわち、素早いカット割り、シンプルな演出、極端なレンズの焦点距離、カメラの激しい揺れである。手慣れてはいるが型通りのリチャード・ドナーやレニー・ハーリンはこの路線にしたがって仕事をしていたし、マイケル・ベイはほとんど純粋な形でそうしたスタイルを体現していた。だが、もしロイヤル・カレッジ・オブ・アートで画家としての研鑽を積んだ映画監督が、この「コンティニュイティの増幅」を新たな領域へと押し進めようとしたらどうなるだろうか?

なるほどカット割りを素早くするというトレンドには乗ってみた。だが、それをさらに速くしたのだ。普通の映画の普通のショットが3秒から5秒である時代に、それを2秒にしたらどうなる?さらにはそれ以下にしたら? これが『ザ・ファン』(1996年)以降のスコットの選択であった。彼は同じ構図を繰り返すことはほとんどないが、主な理由はシーンの周囲に非常に多くのカメラを用意するからである。『マイ・ボディガード』には少なくとも4100のショットが含まれ、『ドミノ』では5000を超えているが、おそらく正確な数は決して分からないだろう。長めの場面は、多重露光、オーバーラップ、コマ落とし、そして単一の「ショット」内での色彩の変化によって構築されている。レイヤーが浮かび上がっては消えていく中で、カットはもはや確定的な境界線としては機能しなくなっているのである。

時としてスコットは、『カメラを持った男』のジガ・ヴェルトフや『Water and Power』のパット・オニールのように、個別のショットという概念を単に放棄し、映像をフレームの中に浸透させていく。

そう、カメラを動かすのだ。だが、マクティアナンのような単純な移動撮影や緊迫した前進撮影とはまるで異なる優雅な動きをさせている。具体的には、カメラが旋回するのは当然のこととして、被写体そのものも少しだけ回転させるのだ。ある回転から別の回転へとカットをつなぐことで、彫刻のような重厚感を備えたささやかな舞踏が生まれる。画面の手前を滑るように遮蔽物が通り過ぎ、強烈な明暗のトーンが混在する。

1980年代から1990年代初頭の作品において、スコットは曇らせと鮮明さを混在させた。それらのシーンはメタリックな色調や自然色で撮影され、兄のリドリーが『ブレードランナー』で普及させたあの煙るようなレイヤーが重なっている。また別のシーンでは、シルエットやくっきりとした輪郭、色とりどりの塊が誇示される。

ロングショット、ミディアムショット、クローズアップとどんな構図でも、超望遠レンズを装着した複数のカメラで撮影する傾向があり、映像はフラットで抽象画のようになった。後に、反転フィルムをクロスプロセス現像する効果を発見したスコットは、曇らせ効果をほぼ使わなくなり、自ら「ハイパーリアリズム」と称する高コンストラクトな、デヴィッド・ホックニーを思わせる色鮮やかさと、厚みがあるが透明感を保った影の表現を特徴とするスタイルに移行していった。

スコットは「コンティニュイティの増幅」の定石に、同軸つなぎ(axial cut)の一撃を加えている。これは、ショットの切り替えで人物をこちら側に引き寄せたり遠ざけたりすることで(彼の後期作ではレンズによるズーム(snap-zooms)によってこの効果を模倣している)、さまざまな距離に置いた望遠レンズと組み合わせて、画面内の重要なポイントを見失ったり再発見したりするような感覚を生み出している。『アンストッパブル』の後半シーンでコニーが体を回す際、同軸つなぎによって背景だけが変わっていくため、彼女の姿は変化し続ける色彩の塊の中に浮かび上がる。

批評家たちは、スコットのスタイルがMTVやコマーシャルのようだと不満を述べた。スコット兄弟はそれらを量産していたのだから当然のことだ。そして、映画作家が広告(ウォーホルやスチュアート・デイヴィスといった画家たちのように)やビデオクリップ(王家衛のように)から着想を得ることに根本的な問題があるわけではない。肝心なのはソースをどう扱うかである。スコットがこれらのテクニックに新しい力を加えることで、一般的な水準から新たな極限へと進んでいったことは明らかだろう。

『The Way Hollywood Tells It』で論じたように、コンティニュイティの増幅は、古典的コンティニュイティのマニエリスム版と言える。それを踏まえるならば、スコットはコンティニュイティの増幅のロココ版だと言えるかもしれない。同じく絵画派であるマイケル・マンが、より生真面目さを追求する完全主義者であるのに対し、スコットはいたずら書きや殴り書きで画面を埋め尽くす。彼は被写体と観客の間に反射、雨、埃といった粒子を被せるだけでなく、字幕を使って台詞を繰り返しもする。

マンは私たちに映像を堪能させてくれるが、スコットは派手な構図を次から次へと圧倒的な過剰さで放り投げてくる。アクセルを踏んだ後期作品において、それらが記憶に残るだけの時間はあまりない。映画は私たちの目の前をただ通り過ぎていくかのようである。ショットは有機的につながらず断片化される。刹那的な印象が積み重なるだけで、一つの構図にとどめておきたいという私たちの願望を踏みにじっていく。時には、自分の目が信じられなくなることもある。『マイ・ボディガード』の誘拐場面では、クリーシーが犯人に反撃しようと銃を構える時、車体に爆炎が反射してみえる。

謎なのは、珍しくここでは何も燃えていないし爆発もしていないという点だ。それは純粋に狂気の沙汰であり、「撃ち合い(firefight)」という文学的修辞を文字通り視覚化したもので、そこに現実的な理由付けは存在していない。

こうしたテクニックはある程度までは物語上の必要性から導き出されている。精神状態をほのめかしたり、ヒロイックな行動を強調したり、対決や追跡を刺激的にするためだ。しかしスコットによる視覚と聴覚の扱い方は、わかりやすい作劇上の都合からはみ出している。彼はおざなりな会話ですら、それ自体で注目されるように絢爛豪華な装飾で飾り立てるのだ。単なるデコレーションではないか?私も同意する。しかしデコレーションは価値のない仕事ではない。信念と創意工夫のあるデコレーションであれば注目に値するだろう。

確かに、こうしたデコレーションは優美なものではない。『ドミノ』『アンストッパブル』そして『マイ・ボディガード』の後半にはグランジ的な美学がある。私たちの世界は過酷でもあるが美しくもあることを伝えるショットたちだ。スコットは現代のサミュエル・フラー(葉巻の趣味も含めて)になり得たかもしれないし、『ドミノ』は彼なりの『裸のキッス』だったのかもしれない。フラーなら「見た目は良くないが美しい」と『ドミノ』について語ったスコットの照明スタッフに賛同したことだろう。

www.davidbordwell.net

スタンリー・キューブリックの「作られなかった幻の映画」をめぐって 後編:『アーリアン・ペーパーズ』と『A.I.』


6.『アーリアン・ペーパーズ』

前編で見てきたように、キューブリックはキャリアの初期から戦争という主題を取り上げてきた。その興味は、まず第二次世界大戦南北戦争に向けられ、ナチス政権下のドイツへと移り、最終的にホロコーストへ焦点を合わせる。

1993年3月に「ヴァラエティ」が『アーリアン・ペーパーズ』についての第一報を伝えた。この時点で公式のリリースはなく、匿名の情報筋によるソースとして、ナチス時代を舞台に少年と若い女性のロードムービーとなること、『ジュラシック・パーク』のジョセフ・マゼロが主役となること、相手役としてジュリア・ロバーツユマ・サーマンが候補となっていること、ポーランドハンガリースロバキアでロケハンを行っていることなどが記されている。その後しばらくして、原作がルイス・ベグリィのデビュー作となる小説『五十年間の嘘』(早川書房)であることが明らかになる。

『五十年間の嘘』は、主人公マチェクが少年時代を回想するという枠組みを持っている。ユダヤ人であるマチェクはポーランドの裕福な家庭で暮らしていたが、ドイツ軍の侵攻により平穏は破られる。マチェクの父はソ連に逃れ、マチェクは叔母のターニャと共にとある一家の元に身を寄せる。ターニャは元ドイツ軍人のラインハルトを誘惑し、安全を確保するために彼を利用する。そしてアーリア人身分証明書(アーリアン・ペーパー)を手に入れたターニャとマチェクはラインハルトとともに偽名を用いて潜伏生活を送る。マチェクはターニャからクリスチャンとして振る舞うよう指導を受けるが罪悪感を覚える。密告により正体が露見したラインハルトは自死し、マチェクたちは新たな身分証明書を手に入れワルシャワのゲットーに潜む。パルチザンの抵抗活動によりワルシャワは廃墟と化すがドイツ軍に鎮圧される。マチェクたちはウクライナ兵に追い立てられアウシュビッツ行きの列車に乗せられそうになるが、ターニャの鉄道係相手の大芝居によって別の軍用列車へと逃れる。追跡をかわして田舎の村に流れ着いたターニャたちは密造酒の製造で生計を立てる。やがて戦争は終わるがユダヤ人の迫害は続き、マチェクとターニャは戦後も偽名で暮らしつづけた。マチェクはソ連の収容所から開放された父と再会するが、ターニャとの逃亡生活は現在でも彼の心に深い傷を残す。

キューブリックがこの小説に惹かれたのは、秘密を共有する女性と少年という設定に、過去の企画『燃える秘密』と似たものを感じ取ったからかもしれない。しかし、アーカイヴに保存されている脚本の草稿を調査した研究者のジョイ・マクエンティによれば、『アーリアン・ペーパーズ』の脚本は作業が進むにつれて『五十年間の嘘』の筋書きから離れていったという。小説はマチェクの視点で統一され、彼らがさまざまな嘘を重ねていく姿が描かれる。一方、キューブリックの脚本ではターニャが物語の中心となり、マチェクがその場にいない場面が多く追加されている。小説では彼らの嘘は羞恥と悔恨とともに回想されるが、脚本では不条理な死を逃れるための手段としてより肯定的に描かれる。マクエンティはタイトルが『五十年間の嘘(原題は「Wartime Lies(戦時下の嘘)」)から『アーリアン・ペーパーズ』に変更されたのは「嘘」が主題でなくなったからだと推測している。キューブリックの描くターニャはより冷徹になり、甥と生き延びるため主体的に行動する。マクエンティは、キューブリックが試みていたのは、フィクションとしてのホロコーストにおいてユダヤ人は受け身の被害者であるという常識を打ち破ろうとしたのではないかと指摘する。いくつかの草稿では、ターニャがドイツへの内通者をナイフや銃で殺害する場面が加わっており、キューブリックシガニー・ウィーバーをターニャ役に起用することも検討していた。終盤には、ターニャがパルチザンに参加する展開も考えられていた。ある草稿の最後は次のように締められる。「彼らの苦難は、1948年、新たなイスラエルの地にたどり着くことで、ついに終わりをむかえた。そして、彼らは人生をやり直す自由を得たのである。The End」

アーカイヴに保管されたメモには、ターニャ役として、レベッカ・デモーネイ、アンディ・マクダウェルエレン・バーキンウィノナ・ライダーキム・ベイシンガーニコール・キッドマンシャロン・ストーンデミ・ムーアミシェル・ファイファーケイト・キャプショーイザベラ・ロッセリーニジュリエット・ビノシュイザベル・ユペールらの名前が挙げられている。キューブリックであれば十分現実的な顔ぶれに見えるが、最終的に選ばれたのは、無名のオランダ人女優ヨハンナ・テア・ステーゲだった。キューブリックは彼女が主演した『ザ・バニシング-消失-』を高く評価していた。興行的成功が望めるスターたちを避けたのは作品のリアリティのためだろうか。

デンマークをロケ地に定め、1994年2月の撮影開始をめざして順調に準備が進められていたかに見えた『アーリアン・ペーパーズ』だったが、突然中止となる。ワーナーは1993年12月にキューブリックの次回作は『A.I.』になると発表した。4月に製作を発表してから1年も経っていなかった。

『アーリアン・ペーパーズ』が幻に終わったのは、スピルバーグの『シンドラーのリスト』と時期が被ったためとよく説明されている。前作『フルメタル・ジャケット』は同じヴェトナム戦争物であるオリヴァー・ストーン監督『プラトーン』と同時期の公開となったため、批評家や観客から比較の対象となり、しばしば『プラトーン』の方が新鮮で優れていると絶賛された。キューブリックがこうした事態の再現を避けたのではないかと指摘されてきたのだが、『アーリアン・ペーパーズ』が正式に発表されたのは1993年4月で、『シンドラーのリスト』はすでに3月にクランクインしていた。単に競合を避けるだけであれば、もっと早く決断できたはずである。

真相はもっと本質的なものだったようだ。ワーナーの共同代表だったテリー・セメルは、キューブリックが『アーリアン・ペーパーズ』を断念した様子について、2012年にトム・クルーズとの対談で以下のように語っている。「彼は数年間にわたって、ホロコーストについての映画をどう作ろうかと考えていた。そしてある日、彼のキッチンでちょっと話したときに、私は「スピルバーグの『シンドラーのリスト』を知っているかい?」と言った。すると彼はその映画にあまり関心のない素振りをした。話をしているうちにスタンリーは「僕はやりたくない。彼はずっと先を行っている。スティーヴンの映画がもうすぐ上映される」それで彼は切り替えたんだ。それまで進めていた別の脚本や、興味をもった別の作品に目を向けるようになったんだ」

シンドラーのリスト』は1993年11月に公開され、『アーリアン・ペーパーズ』の中止が発表されたのは12月だった。キューブリックは実際に映画を観た上で中止を決めたと思われる。妻のクリスティアーヌによれば夫はホロコーストという陰鬱な主題をついに扱いきれなかったという。プレッシャーに悩まされ、脚本の改定作業をつづけていたキューブリックにとって『シンドラーのリスト』の登場は最後の一撃となったのだろうか。ワーナーは『A.I.』の完成後に『アーリアン・ペーパーズ』が再開する可能性を否定しなかったが、キューブリックがこの企画に戻ることはなかった。

こうして『アーリアン・ペーパーズ』は頓挫したが、キューブリックはまだホロコースト自体を描くことをあきらめてはいなかったようだ。ジャーナリストのジョン・ロンソンによると、彼が出演したBBCラジオのドキュメンタリー『Hotel Auschwitz』のテープを送るよう1996年に依頼されたという。それはアウシュビッツを観光産業としているポーランドの現状をシニカルに描く内容だった。

7.『スーパートイズ』から『A.I.』へ

SF映画A.I. Artificial Intelligence』の発端は、1976年、キューブリックがSF作家のブライン・オールディスと出会った頃にさかのぼる。彼の著書『十億年の宴―SF‐その起源と歴史』(東京創元社)でキューブリック作品を高く評価したのがきっかけだった。新しいSF映画の可能性について語り合い、『スター・ウォーズ』が公開されると「ひどくバカげた話がどうして芸術形態になりうるのか」について議論した。『シャイニング』の製作をはさんで、1982年にキューブリックがオールディスの短編『スーパートイズ/いつまでも続く夏』の権利を取得しプロジェクトがスタートする。

後に『A.I.』と改題される『スーパートイズ』の脚本開発は『2001年宇宙の旅』と類似していた。既成の短編小説を物語の冒頭に置き、小説家と共同でその続きのプロットを作るというものである。「前編」で見てきたように、キューブリックはキャリアの前半において、さまざまな小説家と組んでオリジナルのストーリーを生み出そうとしたが、そのほどんどが実現せずに終わっている。「良いストーリーは一種の奇跡だ」と述べるキューブリックは、『2001年宇宙の旅』以降は既存の小説を脚色するという伝統的な方法に落ち着いてくが、『A.I.』では再びストーリーそのものを生み出そうと試みた。オールディスによると「社会的な良心の持ち主という自分の評判を維持しながら、その一方で『スター・ウォーズ』ほどの収益をあげられる映画をつくるには、どんなものにしたらいいか、と直接わたしにたずねたこともあった」

キューブリックはオールディスのと最初の打ち合わせで、すでに『スーパートイズ』を『ピノキオ』になぞらえた物語にするつもりだった。デヴィッドという少年ロボットが人間の義母モニカの愛を得ようとする姿を『E.T.』のような平明なスタイルで描くことを望んでおり、キューブリックにとっては初めてのファミリー向け映画となるはずだった。1983年に書き上げられた準備稿は、デヴィッドがロシアのスパイ組織に拉致され人工衛星から脱走するといったアクション映画のような展開となり、結末は、ロボット博物館に母親の代理ロボットともに収容され家庭のジオラマの中で暮らすというものだった。キューブリックはさらにプロットを練り上げるために、オールディスのロボットを主題とした別の短編「世界も涙」「Blighted Profile(損なわれたプロフィール)」2作の権利も獲得し『スーパートイズ』の脚本に組み込もうとした。

一方でキューブリック1984年に『E.T.』の監督であるスティーヴン・スピルバーグに初めて『スーパートイズ』の企画を持ちかけている。キューブリックは自分はプロデュースにまわって、スピルバーグに監督を任せることも視野に入れていた。

フルメタル・ジャケット』の製作をはさんで1988年に『スーパートイズ』の企画が再開したとき、キューブリックはロボット研究者ハンス・モラベックの科学ノンフィクション『Mind Children: The Future of Robot and Human Intelligence』の影響を受け、より科学的にリアルな方向性を目指していた。一方で童話的なアプローチもあきらめてはおらず、スピルバーグから、子供を描くのが得意な脚本家として『ビッグ』のアン・マーシャルを推薦されたが、マーシャルには断わられている。キューブリックは再びブライアン・オールディスに声をかけたが多忙を理由に拒否される。キューブリックアーサー・C・クラークに意見を求めFAXのやり取りをしたが、それ以上の進展はなかった。オールディスによるとクラークは「彼には私を雇うほどの金はない」と言ったという。1989年にキューブリックは、クラークから推薦されたSF作家ボブ・ショウを起用する。しかし二人の関係はうまく行かず、最初に結んだ6週間の契約は更新されなかった。ショウによると、キューブリックから「執事ロボット」について書くよう指示されたが草稿を持参すると、これは脇役だ、他にはないのかと突き返されたという。「僕はストーリーが用意されなければ脚本なんて書けないし、彼は僕のことを役立たずの虫けら扱いするようになったと思う」とボブ・ショウは回想している。

1990年にようやく戻ってきたオールディスは新たなアイディアを加える。原作は産児制限された世界が舞台で、モニカに妊娠する権利が与えられデヴィッドが用済みとなることを示唆して終わるが、脚本では、モニカには実の息子がいるという設定となった。息子と喧嘩したデヴィッドは捨てられ、そこでG.I.ジョーと名乗るロボットと出会い、主人のいないロボットたちが暮らす「ブリキの町」へと連れて行かれる。キューブリックはブリキの町をホロコーストに見立てるアイディアを気に入ったが結局没にしてしまう。

脚本作業は膠着状態に陥り、キューブリックはロンドンの書店にアイディアの豊富なSF作家は誰か問い合わせている。そしてイアン・ワトソンが新たな脚本家に指名された。キューブリックはオールディスとの草稿は一切見せずに『スーパートイズ/いつまでも続く夏』と『ピノキオ』『Mind Children』だけを手渡し、ワトソンにこれらを材料にしてできるだけ多くのアイディアを出すよう要求した。ワトソンは3週間後に準備稿を提出し『Foxtrot』という仮題がつけられた。そこには、ヴァーチャル・リアリティ、タイムトラベル、宇宙探査、身体改造、パフォーマンスアート、伝染病、機械によるセックス、原発事故、リアリティ番組など、さまざまな要素が盛り込まれ、聖書、中国やエジプトの伝承、アーサー王伝説シェイクスピアなどの物語原型が参照され、人間と人造物の共存をめぐる哲学的な問題が提示されていたという。

キューブリックはワトソンの準備稿を採用しなかった。最終的な脚本に残されたのは男娼ロボットや、エピローグが2000年後の未来になるなど、わずかな点に限られている。アーカイヴで『Foxtrot』を調べた研究者のフィリッポ・アルヴィエリは、キューブリックは『A.I.』をファミリー映画にするために難解なアイディアを避けたのではないかと推測している。ただし、ワトソンによれば、キューブリックは男娼ロボットについて「子供向けの市場を失うかもしれないが、やってしまおう」と気に入っていたという。(スピルバーグ監督版ではジュード・ロウが演じている) 

キューブリックは1992年にクラークにワトソンの準備稿について意見を求めた。クラークは科学的整合性を検証しプロットの修正案を送ったが、キューブリックからの返答はなかったという。ワトソンはさらに約8ヶ月間にわたり脚本作業を進め、遠未来に地球を訪れた異星人が海の底からデヴィッドを回収し、母親に会いたいという彼の願いに応えて、絶滅した人類を再生するという結末を用意した。キューブリックはこのアイディアを「世界で最も偉大なストーリーの一つだ」と絶賛したが、ワトソンとの共同作業はここで打ち切られ、改めてクラークに脚本が依頼された。しかし 『Child of the Sun (太陽の子) 』 と題された数ページの概要は、オールディスの『スーパートイズ』の要素だけを残してワトソンの仕事は無視しており、結末はロボットが人類を捨てて外宇宙に旅立つという内容だった。キューブリックはこの概要を即却下し、クラークに「君は赤ん坊を風呂の水と一緒に捨てただけでなく、浴槽、浴室、そして家そのものまで捨ててしまったらしい」と感想を述べたという。結局、キューブリックは約2年をかけて膨大な草稿をつなぎ合わせて、一人で脚本を書き上げる。

1993年に『Mind Children』の著者ハンス・モラベックは、キューブリックの助手アンソニー・フリューインから、執筆中だった続編『シェーキーの子どもたち―人間の知性を超えるロボット誕生はあるのか』(翔泳社)についての問い合わせを受け、完成していた章を送った。映画の内容については何も聞かされなかった。

1993年12月にワーナーは『A.I. Artificial Intelligence』のタイトルで正式にプロジェクトを公表した。キューブリックジョージ・ルーカスILMジェームズ・キャメロンデジタル・ドメインとCG技術の可能性について話し合い、ILMデニス・ミューレンは温暖化で水没したニューヨークのテスト映像を制作した。また、新人のクリス・ベイカーをデザイナーとして起用し大量のイメージボードを描かせている。さらにビデオアーティストのクリス・カニンガム(ロボットを描いたビョークのMV『オール・イズ・フル・オブ・ラブ』で知られる)に、主人公ロボットの製作を託した。スピルバーグ版では子役が演じたデヴィッドを、キューブリックは以前から本物の機械で表現しようと考えていた。一方でジョセフ・マゼロを起用してテスト撮影もおこなっている。

製作が本格的に始まってからも脚本の手直しは続けられた。1994年には、新たに幻想小説作家のサラ・メイトランドが起用された。スピルバーグが彼女の本を読んでいたのがきっかけだった。メイトランドにはそれまでのSF作家たちとは異なり、女性の立場から義母モニカのキャラクターを作り直し、「巨大で、扱いづらく、まとまりに欠けていた」脚本に神話のような一貫性をもたせる事が求められた。メイトランドはモニカをアルコール依存症にするなどの手直しをおこなったが、キューブリックは批判的だったという。特に論争となったのはラストシーンである。人類の滅んだ遠未来、地球を訪れた宇宙人がデヴィッドを回収する。彼の記憶を元に昔の家庭がヴァーチャルに再現される。デヴィッドは復活したモニカと再会を果たすが、技術的限界から義母はデヴィッドの前で消えていく。キューブリックはこの視覚的な演出にこだわり、メイトランドは「失敗するクエストがあっても良いが、達成したのに報酬が得られないクエストはあり得ない」とハッピーエンドを主張した。その後キューブリックはメイトランドに『夢奇譚』を渡した。彼女が感心できないと感想を述べると、そこで契約は打ち切られた。後日、小切手が送られ、パソコンから『A.I.』に関する全てのデータを消去するよう命じられたという。実はこの時点でキューブリックは『アイズ・ワイド・シャット』と名付けられる『夢奇譚』の脚本作業をフレデリック・ラファエルと進めていたのだが、メイトランドは全く知らされていなかった。

メイトランドの改稿作業と並行して、キューブリックスティーヴン・スピルバーグとも連絡を取り合っていた。キューブリックはメイトランドによる改訂稿は渡さず、自分が数年前に書いた脚本をもとにやり取りをしていた。スピルバーグは『A.I.』を監督してほしいというキューブリックからの申し出を一旦は受け入れたが、連日キューブリックからFAXで詳細な指示が送られてくるのに音を上げ、これはあなたがやるべき映画だと断っている。

1995年12月にワーナーは、キューブリックの次回作は『アイズ・ワイド・シャット』になると発表した。

研究者のサイモン・オディノは、『2001年宇宙の旅』においてキューブリックとクラークの共同作業が上手くいったのは、二人が「地球外生命体との遭遇は人類をどう変容させるか」という作品の核心を共有していたことが大きいと指摘しているが、その点で言えば、『A.I.』において脚本作業に駆り出された作家たちは「ロボットを主人公にしたピノキオの物語」というキューブリックの主題に共鳴していなかった。キューブリックの方もイアン・ワトソンへの対応が典型的なように作家たちを単なるアイディア製造機として扱っていたきらいがある。作家たちは守秘義務を課せられ、互いの存在を教えられず、他人の書いたテキストを読むこともできなかった。「私は、彼と一緒にこの物語を書こうと努めていた他の人たちに会って、私たちがどんな映画を目指していたのか話し合ってみたいと思う。私たちが集まるというアイディアは彼をぞっとさせる事だろうが」とサラ・メイトランドはキューブリックの追悼文で書いている。

A.I.』の終わりのない作業に消耗したのか、キューブリックは続く『アーリアン・ペーパーズ』の脚本を一人で執筆しているが、これも企画が中断した時点で脚本は完成していなかった。遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』においても、アントニー・バージェス、テリー・サザーン、ダイアン・ジョンソン、ジョン・ル・カレマイケル・ハー、サラ・メイトランドなど多くの小説家に協力を求めたが、彼らの多くはシュニッツラーの原作を古臭くて退屈だと見なしており、キューブリックがなぜ固執するのか理解できなかったと回想している。結局『アイズ・ワイド・シャット』の脚本は、脚本家として長いキャリアを持つフレデリック・ラファエルの力を借りることでようやく完成した。

キューブリックの死後、ブライアン・オールディスは独自に『スーパートイズ/いつまでもつづく夏』の続編として『冬きたりなば』『季節がめぐりて』と2本の短編を描き下ろした。義母のモニカは死に、夫のヘンリーはデヴィッドを工場に連れていき、自分が大量生産される工業品だと自覚させるという内容で、後のスピルバーグ版にも一部アイディアが生かされている。オールディスはキューブリックとの共同作業では完成できなかったデヴィッドの物語をひとりで閉じたのである。スピルバーグによって完成した『A.I.』には、キューブリック、オールディス、ワトソンの名前がクレジットされている。

8.死後

キューブリックの死後、幻の企画を実現させようという動きがいくつも見られた。現時点で、実際に完成したのはスティーヴン・スピルバーグ監督による『A.I.』のみである。以下、簡潔に列挙する。

・2010年、『The Lunatic at Large』がスカーレット・ヨハンソンサム・ロックウェル主演で映画化されると報じられた。
・2014年に、『God Fearing Man』がマイケル・C・ホールの製作・主演でミニドラマシリーズ化されると報じられる。
・2015年、『The Downslope』がマーク・フォスター監督により三部作で映画化すると報じられる。
・2020年にテリー・ギリアムキューブリックの原案にもとづく映画を準備していたが、新型コロナウイルスによるロックダウンによって中断したとインタビューで発言。具体的な内容は不明で、その後も再開されなかった。
・2023年、スティーヴン・スピルバーグは、『ナポレオン』ドラマシリーズ化について、ベルリン国際映画祭の記者会見で言及した。2013年から取り組んでいる企画で、2016年にはキャリー・フクナガ監督の起用が発表されていた。全7話の予定でHBOとアンブリンが製作する。

9.追補

キューブリックに監督の依頼があったが関心を持たなかった作品も多い。ジェームズ・B・ハリスによれば、ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバコ』(時事通信社)やウラジミール・ナボコフの『青白い炎』(岩波文庫)は噂にのぼっただけだという。ほかにも、ジム・トンプソンの『ゲッタウェイ』(角川文庫) 、アースキン・コールドウェルの『The Sure Hand of God』、ゴア・ヴィダルの『マイラ』(早川書房)、ウィリアム・ピーター・ブラッティの『エクソシスト』(創元推理文庫) といった小説や、テリー・サザーンの脚本『A Piece of Bloody Cake』、舞台『スウィーニー・トッド』 が取り沙汰されているが、キューブリックが前向きだったわけではない。

ビートルズが『ヘルプ!4人はアイドル』の次回作として、J・R・R・トールキン指輪物語』(評論社)の映画化を構想した際、キューブリックを監督に望んでいた。しかしキューブリックは彼らが映画化権を取得しておらず、トールキンがこの企画に反対していたことから断っている。

プロデューサーのジュリア・フィリップスは、1989年にゲフィン・ピクチャーズにアン・ライスの 『夜明けのヴァンパイア』(早川書房)の映画化企画を持ち込み「吸血鬼映画における『2001年宇宙の旅』になる」と売り込んだ。社長のデヴィッド・ゲフィンはキューブリックに原稿を送ったが断られ、ニール・ジョーダン監督により『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』として実現させる。

パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』(文藝春秋)の映画化をキューブリックが企画していたという話は翻訳書の訳者あとがきでも紹介されているが、関係者によれば、作者のキューブリックミロシュ・フォアマン以外に権利は売りたくないという発言が誤って伝わったものだという。 ヒューバート・セルビー・ジュニアの『ブルックリン最終出口』(河出文庫)も同様だった。

キューブリックウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』(文春文庫)の映画化を申し出たが、デビュー作『薔薇の名前』の映画化の出来に失望していたエーコは自作の映画はすべて断っていた。キューブリックの死後、エーコはこの判断を後悔していると語った。

テリー・サザーンは、キューブリックをモデルにした監督が大作芸術映画としてハードコアポルノ映画を作るという風刺コメディ『ブルー・ムーヴィー』(早川書房)を発表した。サザーンによればキューブリックはこの小説を気に入っていたが、映画化に関心は示さなかった。(妻クリスティアーヌに反対されたという説もある)

イアン・ワトソンは『A.I.』の脚本作業中に、ミニチュアゲーム『ウォーハンマー40000』のノベライゼーション『Inquisitor』を執筆したが、その原稿を読んだキューブリックは「ひょっとしたら、これが私の次回作になるかもしれない」と話し、ゲーム会社から資料を取り寄せていた。

参考資料

「Waiting for a miracle: a survey of Stanley Kubrick’s unrealized projects」
https://www.academia.edu/35470651/Waiting_for_a_miracle_a_survey_of_Stanley_Kubrick_s_unrealized_projects

「Plumbing Stanley Kubrick
http://www.ianwatson.info/plumbing-stanley-kubrick/

「Super-Toys Last All Summer Long」
http://www.visual-memory.co.uk/amk/doc/0068.html

「Unfolding the Aryan Papers」
https://artscouncilcollection.org.uk/artwork/unfolding-aryan-papers

「Archive Fever: Stanley Kubrick and “The Aryan Papers”」
https://www.newyorker.com/culture/richard-brody/archive-fever-stanley-kubrick-and-the-aryan-papers

「Stanley Kubrick: Producers and Production Companies」
https://core.ac.uk/download/pdf/228192714.pdf

「Stanley Kubrick's 'Napoleon': A Lot of Work, Very Little Actual Movie」
https://www.vice.com/en/article/nndadq/stanley-kubricks-napoleon-a-lot-of-work-very-little-actual-movie

「The Unfinished Films of Stanley Kubrick
https://headstuff.org/entertainment/film/kubrick-unfinished-films/

「Unrealisable woman: Tania in Stanley Kubrick’s Aryan Papers」
http://www.sensesofcinema.com/2022/feature-articles/unrealisable-woman-tania-in-stanley-kubricks-aryan-papers/#fnref-45117-50

「Stanley Kubrick By Terry Semel and Tom Cruise
https://www.interviewmagazine.com/film/stanley-kubrick

「My Year with Stanley」
http://www.visual-memory.co.uk/amk/doc/0119.html

Kubrick
https://www.vanityfair.com/hollywood/2010/04/kubrick-199908

「Ridley Scott Won’t Let Age Or Pandemic Slow A Storytelling Appetite That Brought ‘House of Gucci’ & ‘The Last Duel;’ Napoleon & More ‘Gladiator’ Up Next」
https://deadline.com/2021/11/ridley-scott-house-of-gucci-lady-gaga-adam-driver-the-last-duel-oscar-season-1234872529/

「The Armani of literature」
https://www.theage.com.au/technology/the-armani-of-literature-20071215-ge6i9w.html

キューブリックの脚本を映画化する企画についての報道
https://www.theguardian.com/film/2010/apr/14/scarlett-johansson-lost-stanley-kubrick
https://www.hollywoodreporter.com/tv/tv-news/dexters-michael-c-hall-star-724771/
https://variety.com/2015/film/news/stanley-kubrick-downslope-marc-forster-1201525252/
https://www.indiewire.com/features/general/terry-gilliam-stanley-kubrick-movie-lockdown-1234576319/
https://deadline.com/2023/02/steven-spielberg-stanley-kubricks-napoleon-7-part-series-hbo-1235266372/


スタンリー・キューブリック ムービーマスターズ』(キネマ旬報社
『月刊イメージフォーラム 4月増刊号 キューブリック』(ダゲレオ出版)
イメージフォーラム 新装刊第2号 キューブリックの大いなる遺産』(ダゲレオ出版)
キューブリック全書』(フィルムアート社)
『決定版 2001年宇宙の旅』(早川書房
『2001:キューブリック、クラーク』(早川書房
スーパートイズ』(竹書房
『ナポレオン交響曲』(早川書房
『ブルー・ムーヴィー』(早川書房
『地下道の鳩: ジョン・ル・カレ回想録』(早川書房
『EYES WIDE OPEN―スタンリー・キューブリックと「アイズワイドシャット」』(徳間書店

スタンリー・キューブリックの「作られなかった幻の映画」をめぐって 前編:犯罪と嫉妬と戦争、『ナポレオン』 - cinemania 映画の記録