スタンリー・キューブリックの「作られなかった幻の映画」をめぐって 後編:『アーリアン・ペーパーズ』と『A.I.』
6.『アーリアン・ペーパーズ』
前編で見てきたように、キューブリックはキャリアの初期から戦争という主題を取り上げてきた。その興味は、まず第二次世界大戦と南北戦争に向けられ、ナチス政権下のドイツへと移り、最終的にホロコーストへ焦点を合わせる。
1993年3月に「ヴァラエティ」が『アーリアン・ペーパーズ』についての第一報を伝えた。この時点で公式のリリースはなく、匿名の情報筋によるソースとして、ナチス時代を舞台に少年と若い女性のロードムービーとなること、『ジュラシック・パーク』のジョセフ・マゼロが主役となること、相手役としてジュリア・ロバーツやユマ・サーマンが候補となっていること、ポーランド、ハンガリー、スロバキアでロケハンを行っていることなどが記されている。その後しばらくして、原作がルイス・ベグリィのデビュー作となる小説『五十年間の嘘』(早川書房)であることが明らかになる。
『五十年間の嘘』は、主人公マチェクが少年時代を回想するという枠組みを持っている。ユダヤ人であるマチェクはポーランドの裕福な家庭で暮らしていたが、ドイツ軍の侵攻により平穏は破られる。マチェクの父はソ連に逃れ、マチェクは叔母のターニャと共にとある一家の元に身を寄せる。ターニャは元ドイツ軍人のラインハルトを誘惑し、安全を確保するために彼を利用する。そしてアーリア人身分証明書(アーリアン・ペーパー)を手に入れたターニャとマチェクはラインハルトとともに偽名を用いて潜伏生活を送る。マチェクはターニャからクリスチャンとして振る舞うよう指導を受けるが罪悪感を覚える。密告により正体が露見したラインハルトは自死し、マチェクたちは新たな身分証明書を手に入れワルシャワのゲットーに潜む。パルチザンの抵抗活動によりワルシャワは廃墟と化すがドイツ軍に鎮圧される。マチェクたちはウクライナ兵に追い立てられアウシュビッツ行きの列車に乗せられそうになるが、ターニャの鉄道係相手の大芝居によって別の軍用列車へと逃れる。追跡をかわして田舎の村に流れ着いたターニャたちは密造酒の製造で生計を立てる。やがて戦争は終わるがユダヤ人の迫害は続き、マチェクとターニャは戦後も偽名で暮らしつづけた。マチェクはソ連の収容所から開放された父と再会するが、ターニャとの逃亡生活は現在でも彼の心に深い傷を残す。
キューブリックがこの小説に惹かれたのは、秘密を共有する女性と少年という設定に、過去の企画『燃える秘密』と似たものを感じ取ったからかもしれない。しかし、アーカイヴに保存されている脚本の草稿を調査した研究者のジョイ・マクエンティによれば、『アーリアン・ペーパーズ』の脚本は作業が進むにつれて『五十年間の嘘』の筋書きから離れていったという。小説はマチェクの視点で統一され、彼らがさまざまな嘘を重ねていく姿が描かれる。一方、キューブリックの脚本ではターニャが物語の中心となり、マチェクがその場にいない場面が多く追加されている。小説では彼らの嘘は羞恥と悔恨とともに回想されるが、脚本では不条理な死を逃れるための手段としてより肯定的に描かれる。マクエンティはタイトルが『五十年間の嘘(原題は「Wartime Lies(戦時下の嘘)」)から『アーリアン・ペーパーズ』に変更されたのは「嘘」が主題でなくなったからだと推測している。キューブリックの描くターニャはより冷徹になり、甥と生き延びるため主体的に行動する。マクエンティは、キューブリックが試みていたのは、フィクションとしてのホロコーストにおいてユダヤ人は受け身の被害者であるという常識を打ち破ろうとしたのではないかと指摘する。いくつかの草稿では、ターニャがドイツへの内通者をナイフや銃で殺害する場面が加わっており、キューブリックはシガニー・ウィーバーをターニャ役に起用することも検討していた。終盤には、ターニャがパルチザンに参加する展開も考えられていた。ある草稿の最後は次のように締められる。「彼らの苦難は、1948年、新たなイスラエルの地にたどり着くことで、ついに終わりをむかえた。そして、彼らは人生をやり直す自由を得たのである。The End」
アーカイヴに保管されたメモには、ターニャ役として、レベッカ・デモーネイ、アンディ・マクダウェル、エレン・バーキン、ウィノナ・ライダー、キム・ベイシンガー、ニコール・キッドマン、シャロン・ストーン、デミ・ムーア、ミシェル・ファイファー、ケイト・キャプショー、イザベラ・ロッセリーニ、ジュリエット・ビノシュ、イザベル・ユペールらの名前が挙げられている。キューブリックであれば十分現実的な顔ぶれに見えるが、最終的に選ばれたのは、無名のオランダ人女優ヨハンナ・テア・ステーゲだった。キューブリックは彼女が主演した『ザ・バニシング-消失-』を高く評価していた。興行的成功が望めるスターたちを避けたのは作品のリアリティのためだろうか。
デンマークをロケ地に定め、1994年2月の撮影開始をめざして順調に準備が進められていたかに見えた『アーリアン・ペーパーズ』だったが、突然中止となる。ワーナーは1993年12月にキューブリックの次回作は『A.I.』になると発表した。4月に製作を発表してから1年も経っていなかった。
『アーリアン・ペーパーズ』が幻に終わったのは、スピルバーグの『シンドラーのリスト』と時期が被ったためとよく説明されている。前作『フルメタル・ジャケット』は同じヴェトナム戦争物であるオリヴァー・ストーン監督『プラトーン』と同時期の公開となったため、批評家や観客から比較の対象となり、しばしば『プラトーン』の方が新鮮で優れていると絶賛された。キューブリックがこうした事態の再現を避けたのではないかと指摘されてきたのだが、『アーリアン・ペーパーズ』が正式に発表されたのは1993年4月で、『シンドラーのリスト』はすでに3月にクランクインしていた。単に競合を避けるだけであれば、もっと早く決断できたはずである。
真相はもっと本質的なものだったようだ。ワーナーの共同代表だったテリー・セメルは、キューブリックが『アーリアン・ペーパーズ』を断念した様子について、2012年にトム・クルーズとの対談で以下のように語っている。「彼は数年間にわたって、ホロコーストについての映画をどう作ろうかと考えていた。そしてある日、彼のキッチンでちょっと話したときに、私は「スピルバーグの『シンドラーのリスト』を知っているかい?」と言った。すると彼はその映画にあまり関心のない素振りをした。話をしているうちにスタンリーは「僕はやりたくない。彼はずっと先を行っている。スティーヴンの映画がもうすぐ上映される」それで彼は切り替えたんだ。それまで進めていた別の脚本や、興味をもった別の作品に目を向けるようになったんだ」
『シンドラーのリスト』は1993年11月に公開され、『アーリアン・ペーパーズ』の中止が発表されたのは12月だった。キューブリックは実際に映画を観た上で中止を決めたと思われる。妻のクリスティアーヌによれば夫はホロコーストという陰鬱な主題をついに扱いきれなかったという。プレッシャーに悩まされ、脚本の改定作業をつづけていたキューブリックにとって『シンドラーのリスト』の登場は最後の一撃となったのだろうか。ワーナーは『A.I.』の完成後に『アーリアン・ペーパーズ』が再開する可能性を否定しなかったが、キューブリックがこの企画に戻ることはなかった。
こうして『アーリアン・ペーパーズ』は頓挫したが、キューブリックはまだホロコースト自体を描くことをあきらめてはいなかったようだ。ジャーナリストのジョン・ロンソンによると、彼が出演したBBCラジオのドキュメンタリー『Hotel Auschwitz』のテープを送るよう1996年に依頼されたという。それはアウシュビッツを観光産業としているポーランドの現状をシニカルに描く内容だった。
7.『スーパートイズ』から『A.I.』へ
SF映画『A.I. Artificial Intelligence』の発端は、1976年、キューブリックがSF作家のブライン・オールディスと出会った頃にさかのぼる。彼の著書『十億年の宴―SF‐その起源と歴史』(東京創元社)でキューブリック作品を高く評価したのがきっかけだった。新しいSF映画の可能性について語り合い、『スター・ウォーズ』が公開されると「ひどくバカげた話がどうして芸術形態になりうるのか」について議論した。『シャイニング』の製作をはさんで、1982年にキューブリックがオールディスの短編『スーパートイズ/いつまでも続く夏』の権利を取得しプロジェクトがスタートする。
後に『A.I.』と改題される『スーパートイズ』の脚本開発は『2001年宇宙の旅』と類似していた。既成の短編小説を物語の冒頭に置き、小説家と共同でその続きのプロットを作るというものである。「前編」で見てきたように、キューブリックはキャリアの前半において、さまざまな小説家と組んでオリジナルのストーリーを生み出そうとしたが、そのほどんどが実現せずに終わっている。「良いストーリーは一種の奇跡だ」と述べるキューブリックは、『2001年宇宙の旅』以降は既存の小説を脚色するという伝統的な方法に落ち着いてくが、『A.I.』では再びストーリーそのものを生み出そうと試みた。オールディスによると「社会的な良心の持ち主という自分の評判を維持しながら、その一方で『スター・ウォーズ』ほどの収益をあげられる映画をつくるには、どんなものにしたらいいか、と直接わたしにたずねたこともあった」
キューブリックはオールディスのと最初の打ち合わせで、すでに『スーパートイズ』を『ピノキオ』になぞらえた物語にするつもりだった。デヴィッドという少年ロボットが人間の義母モニカの愛を得ようとする姿を『E.T.』のような平明なスタイルで描くことを望んでおり、キューブリックにとっては初めてのファミリー向け映画となるはずだった。1983年に書き上げられた準備稿は、デヴィッドがロシアのスパイ組織に拉致され人工衛星から脱走するといったアクション映画のような展開となり、結末は、ロボット博物館に母親の代理ロボットともに収容され家庭のジオラマの中で暮らすというものだった。キューブリックはさらにプロットを練り上げるために、オールディスのロボットを主題とした別の短編「世界も涙」「Blighted Profile(損なわれたプロフィール)」2作の権利も獲得し『スーパートイズ』の脚本に組み込もうとした。
一方でキューブリックは1984年に『E.T.』の監督であるスティーヴン・スピルバーグに初めて『スーパートイズ』の企画を持ちかけている。キューブリックは自分はプロデュースにまわって、スピルバーグに監督を任せることも視野に入れていた。
『フルメタル・ジャケット』の製作をはさんで1988年に『スーパートイズ』の企画が再開したとき、キューブリックはロボット研究者ハンス・モラベックの科学ノンフィクション『Mind Children: The Future of Robot and Human Intelligence』の影響を受け、より科学的にリアルな方向性を目指していた。一方で童話的なアプローチもあきらめてはおらず、スピルバーグから、子供を描くのが得意な脚本家として『ビッグ』のアン・マーシャルを推薦されたが、マーシャルには断わられている。キューブリックは再びブライアン・オールディスに声をかけたが多忙を理由に拒否される。キューブリックはアーサー・C・クラークに意見を求めFAXのやり取りをしたが、それ以上の進展はなかった。オールディスによるとクラークは「彼には私を雇うほどの金はない」と言ったという。1989年にキューブリックは、クラークから推薦されたSF作家ボブ・ショウを起用する。しかし二人の関係はうまく行かず、最初に結んだ6週間の契約は更新されなかった。ショウによると、キューブリックから「執事ロボット」について書くよう指示されたが草稿を持参すると、これは脇役だ、他にはないのかと突き返されたという。「僕はストーリーが用意されなければ脚本なんて書けないし、彼は僕のことを役立たずの虫けら扱いするようになったと思う」とボブ・ショウは回想している。
1990年にようやく戻ってきたオールディスは新たなアイディアを加える。原作は産児制限された世界が舞台で、モニカに妊娠する権利が与えられデヴィッドが用済みとなることを示唆して終わるが、脚本では、モニカには実の息子がいるという設定となった。息子と喧嘩したデヴィッドは捨てられ、そこでG.I.ジョーと名乗るロボットと出会い、主人のいないロボットたちが暮らす「ブリキの町」へと連れて行かれる。キューブリックはブリキの町をホロコーストに見立てるアイディアを気に入ったが結局没にしてしまう。
脚本作業は膠着状態に陥り、キューブリックはロンドンの書店にアイディアの豊富なSF作家は誰か問い合わせている。そしてイアン・ワトソンが新たな脚本家に指名された。キューブリックはオールディスとの草稿は一切見せずに『スーパートイズ/いつまでも続く夏』と『ピノキオ』『Mind Children』だけを手渡し、ワトソンにこれらを材料にしてできるだけ多くのアイディアを出すよう要求した。ワトソンは3週間後に準備稿を提出し『Foxtrot』という仮題がつけられた。そこには、ヴァーチャル・リアリティ、タイムトラベル、宇宙探査、身体改造、パフォーマンスアート、伝染病、機械によるセックス、原発事故、リアリティ番組など、さまざまな要素が盛り込まれ、聖書、中国やエジプトの伝承、アーサー王伝説、シェイクスピアなどの物語原型が参照され、人間と人造物の共存をめぐる哲学的な問題が提示されていたという。
キューブリックはワトソンの準備稿を採用しなかった。最終的な脚本に残されたのは男娼ロボットや、エピローグが2000年後の未来になるなど、わずかな点に限られている。アーカイヴで『Foxtrot』を調べた研究者のフィリッポ・アルヴィエリは、キューブリックは『A.I.』をファミリー映画にするために難解なアイディアを避けたのではないかと推測している。ただし、ワトソンによれば、キューブリックは男娼ロボットについて「子供向けの市場を失うかもしれないが、やってしまおう」と気に入っていたという。(スピルバーグ監督版ではジュード・ロウが演じている)
キューブリックは1992年にクラークにワトソンの準備稿について意見を求めた。クラークは科学的整合性を検証しプロットの修正案を送ったが、キューブリックからの返答はなかったという。ワトソンはさらに約8ヶ月間にわたり脚本作業を進め、遠未来に地球を訪れた異星人が海の底からデヴィッドを回収し、母親に会いたいという彼の願いに応えて、絶滅した人類を再生するという結末を用意した。キューブリックはこのアイディアを「世界で最も偉大なストーリーの一つだ」と絶賛したが、ワトソンとの共同作業はここで打ち切られ、改めてクラークに脚本が依頼された。しかし 『Child of the Sun (太陽の子) 』 と題された数ページの概要は、オールディスの『スーパートイズ』の要素だけを残してワトソンの仕事は無視しており、結末はロボットが人類を捨てて外宇宙に旅立つという内容だった。キューブリックはこの概要を即却下し、クラークに「君は赤ん坊を風呂の水と一緒に捨てただけでなく、浴槽、浴室、そして家そのものまで捨ててしまったらしい」と感想を述べたという。結局、キューブリックは約2年をかけて膨大な草稿をつなぎ合わせて、一人で脚本を書き上げる。
1993年に『Mind Children』の著者ハンス・モラベックは、キューブリックの助手アンソニー・フリューインから、執筆中だった続編『シェーキーの子どもたち―人間の知性を超えるロボット誕生はあるのか』(翔泳社)についての問い合わせを受け、完成していた章を送った。映画の内容については何も聞かされなかった。
1993年12月にワーナーは『A.I. Artificial Intelligence』のタイトルで正式にプロジェクトを公表した。キューブリックはジョージ・ルーカスのILMやジェームズ・キャメロンのデジタル・ドメインとCG技術の可能性について話し合い、ILMのデニス・ミューレンは温暖化で水没したニューヨークのテスト映像を制作した。また、新人のクリス・ベイカーをデザイナーとして起用し大量のイメージボードを描かせている。さらにビデオアーティストのクリス・カニンガム(ロボットを描いたビョークのMV『オール・イズ・フル・オブ・ラブ』で知られる)に、主人公ロボットの製作を託した。スピルバーグ版では子役が演じたデヴィッドを、キューブリックは以前から本物の機械で表現しようと考えていた。一方でジョセフ・マゼロを起用してテスト撮影もおこなっている。
製作が本格的に始まってからも脚本の手直しは続けられた。1994年には、新たに幻想小説作家のサラ・メイトランドが起用された。スピルバーグが彼女の本を読んでいたのがきっかけだった。メイトランドにはそれまでのSF作家たちとは異なり、女性の立場から義母モニカのキャラクターを作り直し、「巨大で、扱いづらく、まとまりに欠けていた」脚本に神話のような一貫性をもたせる事が求められた。メイトランドはモニカをアルコール依存症にするなどの手直しをおこなったが、キューブリックは批判的だったという。特に論争となったのはラストシーンである。人類の滅んだ遠未来、地球を訪れた宇宙人がデヴィッドを回収する。彼の記憶を元に昔の家庭がヴァーチャルに再現される。デヴィッドは復活したモニカと再会を果たすが、技術的限界から義母はデヴィッドの前で消えていく。キューブリックはこの視覚的な演出にこだわり、メイトランドは「失敗するクエストがあっても良いが、達成したのに報酬が得られないクエストはあり得ない」とハッピーエンドを主張した。その後キューブリックはメイトランドに『夢奇譚』を渡した。彼女が感心できないと感想を述べると、そこで契約は打ち切られた。後日、小切手が送られ、パソコンから『A.I.』に関する全てのデータを消去するよう命じられたという。実はこの時点でキューブリックは『アイズ・ワイド・シャット』と名付けられる『夢奇譚』の脚本作業をフレデリック・ラファエルと進めていたのだが、メイトランドは全く知らされていなかった。
メイトランドの改稿作業と並行して、キューブリックはスティーヴン・スピルバーグとも連絡を取り合っていた。キューブリックはメイトランドによる改訂稿は渡さず、自分が数年前に書いた脚本をもとにやり取りをしていた。スピルバーグは『A.I.』を監督してほしいというキューブリックからの申し出を一旦は受け入れたが、連日キューブリックからFAXで詳細な指示が送られてくるのに音を上げ、これはあなたがやるべき映画だと断っている。
1995年12月にワーナーは、キューブリックの次回作は『アイズ・ワイド・シャット』になると発表した。
研究者のサイモン・オディノは、『2001年宇宙の旅』においてキューブリックとクラークの共同作業が上手くいったのは、二人が「地球外生命体との遭遇は人類をどう変容させるか」という作品の核心を共有していたことが大きいと指摘しているが、その点で言えば、『A.I.』において脚本作業に駆り出された作家たちは「ロボットを主人公にしたピノキオの物語」というキューブリックの主題に共鳴していなかった。キューブリックの方もイアン・ワトソンへの対応が典型的なように作家たちを単なるアイディア製造機として扱っていたきらいがある。作家たちは守秘義務を課せられ、互いの存在を教えられず、他人の書いたテキストを読むこともできなかった。「私は、彼と一緒にこの物語を書こうと努めていた他の人たちに会って、私たちがどんな映画を目指していたのか話し合ってみたいと思う。私たちが集まるというアイディアは彼をぞっとさせる事だろうが」とサラ・メイトランドはキューブリックの追悼文で書いている。
『A.I.』の終わりのない作業に消耗したのか、キューブリックは続く『アーリアン・ペーパーズ』の脚本を一人で執筆しているが、これも企画が中断した時点で脚本は完成していなかった。遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』においても、アントニー・バージェス、テリー・サザーン、ダイアン・ジョンソン、ジョン・ル・カレ、マイケル・ハー、サラ・メイトランドなど多くの小説家に協力を求めたが、彼らの多くはシュニッツラーの原作を古臭くて退屈だと見なしており、キューブリックがなぜ固執するのか理解できなかったと回想している。結局『アイズ・ワイド・シャット』の脚本は、脚本家として長いキャリアを持つフレデリック・ラファエルの力を借りることでようやく完成した。
キューブリックの死後、ブライアン・オールディスは独自に『スーパートイズ/いつまでもつづく夏』の続編として『冬きたりなば』『季節がめぐりて』と2本の短編を描き下ろした。義母のモニカは死に、夫のヘンリーはデヴィッドを工場に連れていき、自分が大量生産される工業品だと自覚させるという内容で、後のスピルバーグ版にも一部アイディアが生かされている。オールディスはキューブリックとの共同作業では完成できなかったデヴィッドの物語をひとりで閉じたのである。スピルバーグによって完成した『A.I.』には、キューブリック、オールディス、ワトソンの名前がクレジットされている。
8.死後
キューブリックの死後、幻の企画を実現させようという動きがいくつも見られた。現時点で、実際に完成したのはスティーヴン・スピルバーグ監督による『A.I.』のみである。以下、簡潔に列挙する。
・2010年、『The Lunatic at Large』がスカーレット・ヨハンソン&サム・ロックウェル主演で映画化されると報じられた。
・2014年に、『God Fearing Man』がマイケル・C・ホールの製作・主演でミニドラマシリーズ化されると報じられる。
・2015年、『The Downslope』がマーク・フォスター監督により三部作で映画化すると報じられる。
・2020年にテリー・ギリアムはキューブリックの原案にもとづく映画を準備していたが、新型コロナウイルスによるロックダウンによって中断したとインタビューで発言。具体的な内容は不明で、その後も再開されなかった。
・2023年、スティーヴン・スピルバーグは、『ナポレオン』ドラマシリーズ化について、ベルリン国際映画祭の記者会見で言及した。2013年から取り組んでいる企画で、2016年にはキャリー・フクナガ監督の起用が発表されていた。全7話の予定でHBOとアンブリンが製作する。
9.追補
キューブリックに監督の依頼があったが関心を持たなかった作品も多い。ジェームズ・B・ハリスによれば、ボリス・パステルナークの『ドクトル・ジバコ』(時事通信社)やウラジミール・ナボコフの『青白い炎』(岩波文庫)は噂にのぼっただけだという。ほかにも、ジム・トンプソンの『ゲッタウェイ』(角川文庫) 、アースキン・コールドウェルの『The Sure Hand of God』、ゴア・ヴィダルの『マイラ』(早川書房)、ウィリアム・ピーター・ブラッティの『エクソシスト』(創元推理文庫) といった小説や、テリー・サザーンの脚本『A Piece of Bloody Cake』、舞台『スウィーニー・トッド』 が取り沙汰されているが、キューブリックが前向きだったわけではない。
ビートルズが『ヘルプ!4人はアイドル』の次回作として、J・R・R・トールキン『指輪物語』(評論社)の映画化を構想した際、キューブリックを監督に望んでいた。しかしキューブリックは彼らが映画化権を取得しておらず、トールキンがこの企画に反対していたことから断っている。
プロデューサーのジュリア・フィリップスは、1989年にゲフィン・ピクチャーズにアン・ライスの 『夜明けのヴァンパイア』(早川書房)の映画化企画を持ち込み「吸血鬼映画における『2001年宇宙の旅』になる」と売り込んだ。社長のデヴィッド・ゲフィンはキューブリックに原稿を送ったが断られ、ニール・ジョーダン監督により『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』として実現させる。
パトリック・ジュースキントの『香水 ある人殺しの物語』(文藝春秋)の映画化をキューブリックが企画していたという話は翻訳書の訳者あとがきでも紹介されているが、関係者によれば、作者のキューブリックとミロシュ・フォアマン以外に権利は売りたくないという発言が誤って伝わったものだという。 ヒューバート・セルビー・ジュニアの『ブルックリン最終出口』(河出文庫)も同様だった。
キューブリックはウンベルト・エーコの『フーコーの振り子』(文春文庫)の映画化を申し出たが、デビュー作『薔薇の名前』の映画化の出来に失望していたエーコは自作の映画はすべて断っていた。キューブリックの死後、エーコはこの判断を後悔していると語った。
テリー・サザーンは、キューブリックをモデルにした監督が大作芸術映画としてハードコアポルノ映画を作るという風刺コメディ『ブルー・ムーヴィー』(早川書房)を発表した。サザーンによればキューブリックはこの小説を気に入っていたが、映画化に関心は示さなかった。(妻クリスティアーヌに反対されたという説もある)
イアン・ワトソンは『A.I.』の脚本作業中に、ミニチュアゲーム『ウォーハンマー40000』のノベライゼーション『Inquisitor』を執筆したが、その原稿を読んだキューブリックは「ひょっとしたら、これが私の次回作になるかもしれない」と話し、ゲーム会社から資料を取り寄せていた。
参考資料
「Waiting for a miracle: a survey of Stanley Kubrick’s unrealized projects」
https://www.academia.edu/35470651/Waiting_for_a_miracle_a_survey_of_Stanley_Kubrick_s_unrealized_projects
「Plumbing Stanley Kubrick」
http://www.ianwatson.info/plumbing-stanley-kubrick/
「Super-Toys Last All Summer Long」
http://www.visual-memory.co.uk/amk/doc/0068.html
「Unfolding the Aryan Papers」
https://artscouncilcollection.org.uk/artwork/unfolding-aryan-papers
「Archive Fever: Stanley Kubrick and “The Aryan Papers”」
https://www.newyorker.com/culture/richard-brody/archive-fever-stanley-kubrick-and-the-aryan-papers
「Stanley Kubrick: Producers and Production Companies」
https://core.ac.uk/download/pdf/228192714.pdf
「Stanley Kubrick's 'Napoleon': A Lot of Work, Very Little Actual Movie」
https://www.vice.com/en/article/nndadq/stanley-kubricks-napoleon-a-lot-of-work-very-little-actual-movie
「The Unfinished Films of Stanley Kubrick」
https://headstuff.org/entertainment/film/kubrick-unfinished-films/
「Unrealisable woman: Tania in Stanley Kubrick’s Aryan Papers」
http://www.sensesofcinema.com/2022/feature-articles/unrealisable-woman-tania-in-stanley-kubricks-aryan-papers/#fnref-45117-50
「Stanley Kubrick By Terry Semel and Tom Cruise」
https://www.interviewmagazine.com/film/stanley-kubrick
「My Year with Stanley」
http://www.visual-memory.co.uk/amk/doc/0119.html
「Kubrick」
https://www.vanityfair.com/hollywood/2010/04/kubrick-199908
「Ridley Scott Won’t Let Age Or Pandemic Slow A Storytelling Appetite That Brought ‘House of Gucci’ & ‘The Last Duel;’ Napoleon & More ‘Gladiator’ Up Next」
https://deadline.com/2021/11/ridley-scott-house-of-gucci-lady-gaga-adam-driver-the-last-duel-oscar-season-1234872529/
「The Armani of literature」
https://www.theage.com.au/technology/the-armani-of-literature-20071215-ge6i9w.html
キューブリックの脚本を映画化する企画についての報道
https://www.theguardian.com/film/2010/apr/14/scarlett-johansson-lost-stanley-kubrick
https://www.hollywoodreporter.com/tv/tv-news/dexters-michael-c-hall-star-724771/
https://variety.com/2015/film/news/stanley-kubrick-downslope-marc-forster-1201525252/
https://www.indiewire.com/features/general/terry-gilliam-stanley-kubrick-movie-lockdown-1234576319/
https://deadline.com/2023/02/steven-spielberg-stanley-kubricks-napoleon-7-part-series-hbo-1235266372/
『スタンリー・キューブリック ムービーマスターズ』(キネマ旬報社)
『月刊イメージフォーラム 4月増刊号 キューブリック』(ダゲレオ出版)
『イメージフォーラム 新装刊第2号 キューブリックの大いなる遺産』(ダゲレオ出版)
『キューブリック全書』(フィルムアート社)
『決定版 2001年宇宙の旅』(早川書房)
『2001:キューブリック、クラーク』(早川書房)
『スーパートイズ』(竹書房)
『ナポレオン交響曲』(早川書房)
『ブルー・ムーヴィー』(早川書房)
『地下道の鳩: ジョン・ル・カレ回想録』(早川書房)
『EYES WIDE OPEN―スタンリー・キューブリックと「アイズワイドシャット」』(徳間書店)
スタンリー・キューブリックの「作られなかった幻の映画」をめぐって 前編:犯罪と嫉妬と戦争、『ナポレオン』 - cinemania 映画の記録
スタンリー・キューブリックの「作られなかった幻の映画」をめぐって 前編:犯罪と嫉妬と戦争、『ナポレオン』
0.はじめに
映画研究者のフィリッポ・アルヴィエリによれば、確認できるスタンリー・キューブリック監督の未完成プロジェクトは、およそ60作あり、実際に完成させた13作よりもはるかに多い。本記事では、それらをなるべく時代順に沿った形で紹介していく。ただしキューブリックはしばしば複数の企画を並行して進めていたので、記述が前後したり重複する箇所もある。また半生をかけた大きな企画である『A.I.』は、晩年の企画『アーリアン・ペーパーズ』と合わせ後編でまとめて触れることとする。近年のキューブリック研究は、監督が遺した膨大なアーカイヴの検証作業によって新たな進歩を遂げており、本記事では、ほぼ日本語では紹介されていないそれらの成果を反映させることを目指している。(参考文献は後編に記載する)
1.犯罪映画と戦争映画
キャリアの最初期において、キューブリックはいくつかの犯罪小説の映画化を検討しているが、これはプロデューサーのジェームズ・B・ハリスの志向であったようだ。キューブリックが主に関心をいだいていた主題は戦争と性愛であり、のちに『突撃』『博士の異常な愛情』『フルメタル・ジャケット』『ロリータ』『アイズ・ワイド・シャット』として実現することになる。
キューブリックは、短編ドキュメンタリー『Day of the Fight(試合の日)』『Flying Padre(空飛ぶ牧師)』『The Seafarers(海の旅人たち)』の3作と、習作的な中編『恐怖と欲望』『非情の罠』の2作を経て、ライオネル・ホワイトの小説『逃走と死と』を原作に『現金に体を張れ』を監督し商業監督としての地場を固める。この時期のキューブリックとハリスは他にも犯罪小説の映画化も検討していた。ホワイトのデビュー作『The Snatchers(誘拐者)』とフェリックス・ジャクソンの『So Help Me God(神に誓って)』だが、それぞれ営利誘拐、共産主義者狩りといった主題が当時の倫理規定(ヘイズ・コード)に抵触するおそれがあるため断念した。
また同時期に、カルダー・ウィリンガムの小説『Natural Child(野生児)』の映画化も構想している。奔放な生活を送る若いカップルを描いた内容で、これも倫理規定の問題から放棄されるが、ウィリンガムとは、『突撃』の脚本を共同で執筆するなど協力関係が続くことになる。
同じくキューブリックと協力関係にあった小説家がジム・トンプソンで、『現金に体を張れ』の脚本を共同で執筆し、『突撃』にも参加しているが、さらにキューブリックの依頼で『The Lunatic at Large(野放しになった狂人)』と題された約70ページの概要を執筆している。この企画は長らく知られていなかったが、1999年に原稿が発見されている。また、キューブリックはトンプソンの代表作『俺の中の殺し屋』(扶桑社)の映画化も考えていた。(2010年にマイケル・ウィンターボトム監督『キラー・インサイド・ミー』として映画化)
キューブリックは『現金に体を張れ』の製作中に、シェルビー・フートの歴史小説『Shiloh(シャイロ)』にも興味を示している。南北戦争を17人の登場人物の一人称で描いた連作だが、実際に権利を取得したのは、エロティックな三角関係を描いた別の小説『Love in a Dry Season(乾季の恋)』だった。また、フートはハリスから映画化を前提としてジョン・S・モスビー大佐を描いた物語を依頼され、カスター将軍との戦闘を描いた短編『The Downslope(ダウンスロ-プ)』を執筆している。
『現金に体を張れ』で注目を集めたキューブリックは、MGMのプロデューサーであるドーア・シャーリーと組むことになる。若い頃に読んで衝撃を受けたハンフリー・コッブの戦争小説『Path of Glory(栄光の小路)』の映画化を企画し、トンプソン、ウィリンガムと三人で脚本化するが、シャーリーは商業的に難しいとして拒絶し、MGMが権利を持つ小説や脚本から企画を選ぶように指示する。シュテファン・ツヴァイクの小説『燃える秘密』(みすず書房)が俎上に上がった。少年の視点を通して若い母親と伯爵の不倫を描く内容で、キューブリックは敬愛するマックス・オフュルス監督の代表作『忘れじの面影』の原作者であるツヴァイクに惹かれていた。カルダー・ウィリンガムによる脚本は、のちに2018年に発見された。(『燃える秘密』は、キューブリックのアシスタントを務めたこともあるアンドリュー・バーキン監督により『ウィーンに燃えて』として映画化)
また、ツヴァイクと同じオーストリアの作家アルトゥル・シュニッツラーの『独身者の死』(大学書林)も検討している。これも妻の不倫を描いた作品で、はるか後に同じシュニッツラーの『夢奇譚』(文春文庫)を遺作『アイズ・ワイド・シャット』として映画化するまで、キューブリックはこの主題を諦めなかったことになる。
これらの企画を断念した後、キューブリックはカルダー・ウィリンガムに『The Unfaithful Wife(不実の妻)』と題されたオリジナル脚本の執筆を依頼している。また同時期には『The Blind Mirror(盲目の鏡)』と題されたゴッホの絵画をめぐるスリラーが執筆されているが、原稿が現存しないため作者は不明である。
シャーリーがMGMを解雇されたため、キューブリックとハリスは独立プロダクションでの映画製作に戻り、再び『Path of Glory』を企画する。これがカーク・ダグラスの目に止まり『突撃』として実現する。その後キューブリックは再びダグラスの主演を想定して、トンプソンと共に、聖職者から金庫破りとなったハーバート・エマーソン・ウィルソンの自伝『I Stole $16,000,000(俺は1600万ドル盗んだ)』を『God Fearing Man(敬虔な男)』の題名で脚本化するが、こちらの企画は流れている。
1958年2月、キューブリックは再び『The Downslope』の企画を取り上げ、グレゴリー・ペックが主演に決まった。タイトルは最終的に『The Virginia Riders(ヴァージニア騎兵連隊)』と変更されたが、結局ペックが脚本の出来に満足せず企画は立ち消えになった。同時期にキューブリックは、マーティン・ラスの朝鮮戦争従軍記『The Last Parallel: A Marine's War Journal(最終防衛線:海兵隊員の従軍記)』の映画化権を取得し、ラス本人に脚本を依頼した。キューブリックはマーロン・ブランドに企画を提案するが、これも脚本の出来が理由で実現しなかった。その後ブランドはキューブリックに西部劇『片目のジャック』の監督を持ちかける。元々の計画はビリー・ザ・キッドの伝説を扱ったチャールズ・ナイダーのウェスタン小説『拳銃王の死』(東京創元社)が原作で、サム・ペキンパーが脚本家として雇われていたが、キューブリックは、カルダー・ウィンガムを新たな脚本家として呼び寄せ、ペキンパーは企画から外されてしまう。ブランドらは企画を一から見直し、新たに『片目のジャック』と題した脚本を完成させる。しかし、今度はブランドとキューブリックが内容をめぐって対立しキューブリックは降板。ブランド自身が主演のほか監督もつとめることになる。その後、サム・ペキンパーは自らの監督で『ビリー・ザ・キッド/21歳の生涯』を発表した。
キューブリックは、第二次世界大戦映画『The German Lieutenant(ドイツ軍中尉)』にも取り組んだ。原案と共同脚本は、のちにベストセラー『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』を発表するリチャード・アダムスで、敗戦間近の絶望的な鉄橋爆破作戦に参加した二人のドイツ軍中尉を描いている。アラン・ラッドやオーソン・ウェルズと出演の交渉をおこない、ドイツでのロケハンも行われたが、映画会社の関心を惹くことができずに頓挫している。またケン・ヘクラーのノンフィクション『レイマーゲン鉄橋―ライン河渡橋作戦』(早川書房)にも関心を抱いていた。
同じ時期に、キューブリックとハリスは風刺漫画家ジュールズ・ファイファーの著書『Sick, Sick, Sick』の権利を獲得し、「シュニッツラーを現代的にしたような恋愛コメディ」の脚本執筆を依頼している。この件についてファイファーは「スタンリーとは、お互いに称賛しあったが合意できたことは何もなかったということしか覚えていない」と回想している。
1959年、ハリスとキューブリックは『Three of a Kind(スリー・オブ・ア・カインド)』と題されたTVドラマシリーズの企画を進めていた。3人のスパイを主人公としたスリラーで、リチャード・アダムスが最初の1話を執筆している。また、イアン・フレミングのスパイ小説『007/ロシアより愛をこめて』(創元推理文庫)を喜劇的に脚色する構想もあった。
この時期のキューブリックは、喜劇役者アーニー・コバックス主演との仕事を望んでいた。戦争コメディ『Operation Mad Ball』での演技に感心していたキューブリックは、コバックスが脚本を手がける新作TVドラマへの参加を検討し、この企画が無くなった後もウィリアム・A・ウェルマン監督『ボー・ジェスト』をコバックスとジェリー・ルイスの主演でリメイクする企画を立てている。
2.さまざまな題材
カーク・ダグラスの抜擢により、アンソニー・マン監督の後任として初の大作『スパルタカス』を手がけたキューブリックは、次にウラジミール・ナボコフ『ロリータ』の映画化に取り組む。キューブリックにとっては唯一の純文学作品の映画化である。ただしインタビューでは、主人公とロリータが前半で結ばれてしまうので物語の興味が失われてしまうとして、その解決法として冒頭に銃撃シーンを置いて終盤までの興味を繋ごうとしたと語っており、サスペンス小説のような処理を行ったことがうかがえる。なお、キューブリックとハリスは同じナボコフの『マルゴ』(河出書房新社)の権利も合わせて取得しており、カルロ・フィオーレが脚本に関わっていた。(トニー・リチャードソン監督により『悪魔のような恋人』として映画化)
『スパルタカス』から『ロリータ』にかけての時期に、キューブリックはさまざまな企画に興味を示している。白人男がアフリカでくり広げる冒険を寓話的に描いたソール・ベロー『雨の王ヘンダソン』(中公文庫)、ケニアを舞台に白人の少女とライオンの交友を描くジョゼフ・ケッセル『ライオン』(白水社)、狩りに耽溺する夫婦が主人公のロジェ・ヴァイヤン『La Fête(祝祭)』、ニューヨークの貧民街が舞台のエドワード・アドリック『Notes on a Dark Street(暗い通りの記録)』などである。
冷戦状態が緊迫する中、核戦争を恐れたキューブリックはオーストラリアへの移住を考え、現地で製作する企画として実在の犯罪者ネッド・ケリーに注目した。軍部のクーデターを描くフレッチャー・ニーベル&チャールズ・ベイリーの政治小説『五月の七日間』(みすず書房)をしばらく検討し、最終的にピーター・ブライアントの戦争SF小説『破滅への二時間』(早川書房)を原作に『博士の異常な愛情』を監督する。(『五月の七日間』はジョン・フランケンハイマー監督により映画化)
『ロリータ』はキューブリックとジェームズ・B・ハリスの最後の共同作品となったが、ハリスによれば、『博士の異常な愛情』の撮影準備中に、女子高生たちの性のめざめを描くロザリンド・アースキン『それはキスで始まった イギリスのティーンエージャー』(弘文堂)の映画化について検討したが権利が取れずに断念したという。(のちにナスターシャ・キンスキー主演『レッスンC』として映画化)
1961年、キューブリックはBBCラジオで放送された連続ドラマ『Shadows on the Sun(太陽の影)』全13話を聴き、映画化を考えるようになった。地球に落下した隕石に付着したウィルスが世界に蔓延し、人類が性的衝動を抑えなくなるというパニック物だった。キューブリックは友人のアーティ・ショウに大人の鑑賞に耐え得るSF映画を作りたいと抱負を語ると、ショウはアーサー・C・クラークを推薦した。『幼年期の終り』を読んだキューブリックは早速クラークに連絡を取る。しかしクラークは通俗的な『Shadows on the Sun』の内容に感心せず、自分の小説を原作にするよう持ちかけた。『幼年期の終り』の権利は既に他社に渡っていたため、キューブリックはクラークの「前哨」「未踏のエデン」「彗星の核へ」「破断の限界」「幽霊宇宙服」「ゆりかごから」の6つの短編の権利を取得し、『西部開拓史』のように人類の宇宙開発を年代記として描く構想を練った。最終的に、月面に残された異星人の建築物を描く「前哨」が物語の核として選ばれた。こうして代表作『2001年宇宙の旅』の製作が始まるが、キューブリックは『Shadows on the Sun』の企画をあきらめてはおらず、クラークとの共同作業を始めた数カ月後に映画化権を取得している。さらに1980年代になって失効した権利を取り直している。
1965年に「ヴァラエティ」がキューブリックの新作は、ウィリアム・イーストレイク原作の『Castle Keep(キャッスル・キープ)』になると報じた。ベルギーの古城にたてこもった兵士たちがドイツ兵を迎え撃つという内容だが、結局、シドニー・ポラック監督により『大反撃』として映画化される。同時期に、コーネリアス・ライアンのノンフィクション『史上最大の作戦』(早川書房)にも興味を示したが、こちらもダリル・F・ザナックの製作によって映画化されている。
3.『ナポレオン』 史上もっとも有名な”作られなかった名画”
『2001年宇宙の旅』の公開後、キューブリックはさらなる大作『Napoleon(ナポレオン)』の製作に取り組んだ。彼に言わせれば、アベル・ガンスの『ナポレオン』も、セルゲイ・ボンダルチュクの『戦争と平和』も、満足できる内容ではなく、この分野における決定版を作り出す野心を抱いていた。
キューブリックの構想は、他の作品のようにナポレオンの生涯の一部を抜き出すのではなく、その幼少期から死までを俯瞰して描くことだった。『Film Director as Superstar』のインタビューで上映時間を聞かれ、『風と共に去りぬ』よりは短くなると答えており、ストーリーを効率よく語るために、アニメーションによる地図やナレーションの使用を想定していた。
見せ場のひとつは、大規模な戦闘シーンである。キューブリックは数万人の兵士が陣形を組んで突撃する様を、視覚的な美として描き出そうと試みた。「純粋に図形的な見地から言うと、ナポレオン時代の戦闘は大変美しい。巨大な死のバレエのようだ。そこには軍人には理解できない美の輝きがある。数学の公式のような純粋さを、戦闘の汚いリアリティと共に私は捉えたい。」
一方でキューブリックは製作費の削減にも力を入れていた。MGMに提出した脚本に付された製作ノートの中で、予算を食う要素として、エキストラ、衣装、セット、映画スターの4点を挙げ、その解決法を提案している。エキストラはルーマニアから軍隊を借りる、彼らに着せるナポレオン時代の軍服は紙で作る、セットはなるべく建設せずイギリスやフランスに現存する当時の建築物を使い、フロント・プロジェクションによる合成も用いる。
キューブリックの計画では大予算をかけるのは合戦場面のみであり、トラファルガー海戦のような水上の撮影は手間がかかるために脚本では省略されている。それ以外の場面は少人数の撮影スタッフを編成して短期間で取り切る算段だった。撮影スケジュールについて、前出の製作ノートでは150日、のちのインタビューでも屋外のシーンに2~3ヶ月、室内のシーンに3~4ヶ月程度と見積もっている。
なお、ナポレオン役には、当初はピーター・オトゥール、アレック・ギネス、ピーター・ユスチノフなどを想定していたが、のちに、デヴィッド・ヘミングスとイアン・ホルムが候補に上がる。(後年に企画を再検討した際は、アル・パチーノやジャック・ニコルソンの名前も挙がった)
しかし、キューブリックが精魂を傾けた企画は、あまりにも規模が大きくなりすぎたために、コントロール不能になるのを恐れた映画会社によりキャンセルされてしまう。一足先に公開された『ワーテルロー』が興行的に失敗したことから、出資者が手を引いてしまったことも要因とされている。
研究家のジョナサン・ヴィクトリーはアーカイヴに保存された『ナポレオン』の脚本を読んだ上で批判的な感想を述べている。「総括すると『ナポレオン』には優れた場面もあるが退屈な場面も多く、ばらつきの目立つ脚本だと言える。説明的な台詞の数々はキューブリックのような歴史マニアであれば楽しめるのかもしれないが真実味に欠けている」
映画は、4歳の幼少期から始まり、9歳の陸軍幼年学校時代、16歳の新人兵士時代、17歳の初恋、フランス革命の勃発、トゥーロン攻囲戦、ナポレオンの准将任命式、エリートたちの乱交パーティ、ヴァンデミエールの反乱、妻ジョゼフィーヌとの出会いと次々とスキップしていき、神視点によるナレーションとナポレオン自身の独白によって結び付けられる。構成は平板で登場人物の性格も深く掘り下げられないとヴィクトリーは批判する。逆にヴィクトリーが高く評価するのは戦闘描写だ。とりわけ終盤のロシアに破れたフランス軍の悲惨な撤退戦はリアルな恐怖に満ちているという。飢えと寒さから暴徒と化した兵士たちは村を襲い家を奪って立てこもる。取り残された兵士たちが中に入ろうとして同士討ちとなり、火の手が上がり兵士たちは生きながら焼かれていく。生き延びた兵士は暖を取るために焼け落ちた家を取り囲み、軍馬を火で炙って腹の足しにする。
リドリー・スコット監督は、自身の新作『ナポレオン』に関連して、キューブリックの幻の企画にも言及している。スコットはナポレオンの人生をその誕生から死までを全て描く構成には否定的であり、また『ワーテルロー』のように一つの戦闘だけを取り出すやり方にも懐疑的である。キャラクターを描くには適切な構成が必要であり、スコット版『ナポレオン』は、指導者としてのナポレオンの終わりの年月に焦点を合わせると話している。
注意が必要なのは、この脚本が未完成ということだ。脚本に付された大量のメモにはさまざまな改善点が記されており、キューブリック自身がまったく満足していない様子がうかがえるという。『ナポレオン』の企画はMGMからワーナーに移されたが、キューブリックはついにワーナーに脚本を提出することが出来なかった。後編で触れるようにキューブリックは『A.I.』『アーリアン・ペーパーズ』という晩年の2作も、脚本を完成できないまま企画を中断している。(キューブリックは撮影中にも脚本を手に入れ即興で場面を膨らましていくのが常であり、残されたテキストだけで完成作を想像するのは難しい部分があるのだが)
『ナポレオン』が頓挫した後、キューブリックはアンソニー・バージェス『時計じかけのオレンジ』(早川書房)を映画化する。バージェスはキューブリックに『ナポレオン』の脚本をベートーヴェンの第三交響曲の構成になぞらえて書くよう提案し、キューブリックの依頼で自ら小説『ナポレオン交響曲』(早川書房)を執筆するが採用されなかった。その後もキューブリックは死の直前まで何度も『ナポレオン』の企画を再検討することとなる。
1972年、ワーナーはキューブリックの次回作としてシュニッツラーの『夢奇譚』を映画化すると発表した。キューブリックのこの中編小説への執着は、それより10年以上前より始まっていた。初期のキューブリックは「不倫」をめぐるさまざまな企画を検討していたが、本作に出会って以降は、この企画に没頭し、『時計じかけのオレンジ』『バリー・リンドン』『シャイニング』『フルメタル・ジャケット』と新作が完成するたび、次回作の候補として何度も『夢奇譚』を取り上げた。ピーター・セラーズやウディ・アレン、スティーヴ・マーティンといった喜劇俳優で構想していた主人公は最終的に遺作『アイズ・ワイド・シャット』でトム・クルーズが演じることになる。
4.ナチスへの関心
キューブリップの構想としてナチスに協力したアーティストを描くというものがあった。これは妻クリスティアーヌの叔父である映画監督ファイト・ハーランの影響もあったようだ。また、レニ・リーフェンシュタールに取材することも検討していた。キューブリックはもし自分が彼らのような立場に置かれたらどう振る舞ったのか自問し、戦時プロパガンダをブラックコメディに仕立てようと考えていた。
ほかにもキューブリックは、ナチスへの抵抗を描いたツヴァイクの遺作『チェス奇譚』(幻戯書房)の映画化を検討している。またアンドリュー・バーキンはヒトラーの側近だったアルベルト・シュペーアの回想録『第三帝国の神殿にて ナチス軍需相の証言』(中公文庫)を元にした脚本を提示したが断られたという。(『チェス奇譚』はフィリップ・シュテルツェル監督『ナチスに仕掛けたチェスゲーム』として2023年に映画化)
妻クリスティアーヌが幼少期にオランダで暮らしていたときの体験にインスパイアされたと思しき企画もあった。11歳の少女がしだいにユダヤ人迫害の事実に気づいていくという内容で、妻が両親と暮らしていた実家はユダヤ人から接収されたものだったという。またキューブリックは、ドイツの民間人がいかに戦争に巻き込まれたかを描くために、ナチス政権の成立から戦争を経て現代ドイツのネオナチまでの流れを群像劇として描くことを構想し、ヒトラー暗殺計画を背景にしたミステリー小説『将軍たちの夜』(角川文庫)の作者ハンス・ヘルムート・カーストを脚本家として雇おうと考えていた。
1976年にキューブリックは、数年後にノーベル賞を受賞するユダヤ人作家アイザック・バシェヴィス・シンガーにホロコーストについての脚本の執筆を依頼している。その際キューブリックは、巨大な悲劇を個人の経験に集約するシェイクスピアのような物語を望んだという。シンガーには「私は(ホロコーストを)全く知らない」と断られたが、その後もキューブリックはホロコーストを個人の視点から描く方法を模索し続けた。
またキューブリックは、『地獄の黙示録』のジョン・ミリアスと共に、戦史家S・L・A・マーシャルのノンフィクション『Night Drop: The American Airborne Invasion of Normandy』の脚本化に取り組んだ。アメリカ空挺部隊によるノルマンディ侵攻作戦を描く内容で、ミリアスによればキューブリックは原作をホメロスの『イーリアス』に匹敵すると称賛していたという。
この時期のキューブリックは、リアルな題材だけではなく、SFやホラーにも取り組んでいる。『スター・ウォーズ』や『エクソシスト』の興行的大成功を受けてキューブリックは、こうしたジャンル映画をより優れた形で描こうと考えていた。ブライアン・オールディスのSF小説『スーパートイズ』(竹書房)の権利を取得し、オールディスと共に数年にわたり脚本化に取り組む一方で、ヴィクトリア朝時代の作家エドワード・ブルワー=リットンの幻想小説『Zanoni(ザノニ)』『A Strange Story(奇妙な物語)』を検討した。さらにシングルマザーを描くダイアン・ジョンソンの心理サスペンス小説『影は知っている』(白水社)にも興味を抱いたが、最終的にスティーヴン・キングのホラー小説『シャイニング』(文春文庫)を選び、ジョンソンを共同脚本家に起用する。
5.1980年代
1980年代以降、キューブリックが作品を発表するペースは極端に遅くなっていく。しかし、この時期もキューブリックは絶え間なく仕事を続け、さまざまな企画に関わり続けていた。
キューブリックのアシスタントを務めたアンソニー・フリューインによれば、1980年代前半のキューブリックは、リヒャルト・ワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』と、ヴァイキングを描いたヘンリー・ライダー・ハガードの冒険ファンタジー小説『The Saga of Eric Brighteyes』という二つの企画に関心をいだいていた。とりわけ後者は晩年まで繰り返し検討されていたという。ちなみにテリー・ジョーンズ監督の『エリック・ザ・バイキング/バルハラへの航海』(1989年)も同じ伝承を扱っている。
長年キューブリックの運転手をつとめたエミリオ・ダレッサンドロによると、キューブリックはイタリア人である著者に、カルロ・コッローディの童話『ピノキオ』を映画化する構想を語ったり、第二次世界大戦におけるモンテ・カッシーノの戦いに関する資料集めを求められたという。
1982年にブライアン・オールディスのSF小説『スーパートイズ/いつまでも続く夏』の権利を獲得し、晩年まで作業を進めることになる。
キューブリックはホロコーストを映画化する野心を持ち続け、『ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅』(柏書房)の著者ラウル・ヒルバーグとともに構想を練ったが、さまざまな困難に行き当たった。当時キューブリックと仕事をしていた作家のマイケル・ハーによれば、彼は「(ホロコーストの)全てを2時間に収めるのは難しい」と言っていたという。また、残虐行為を映画で再現することの是非にも悩んでいた。キューブリックは、ジャージ・コジンスキーの『ペインティッド・バード』(松籟社)やプリーモ・レーヴィの『これが人間なら』(朝日新聞出版)といったホロコーストからの生存者の自伝を読んだ。ユダヤ人を救出したドイツ人実業家の評伝であるトーマス・キニーリーの『シンドラーのリスト』(新潮文庫)にも興味を抱いたがスティーヴン・スピルバーグが先に権利を取得したため断念した。またヒルバーグの勧めでワルシャワ・ゲットー蜂起にまつわる資料を集めている。
ジャズが趣味だったキューブリックは、その側面からのアプローチも試みている。ナチス占領下で活動したミュージシャンを描くマイク・ゼリンの『Swing Under the Nazis: Jazz as a Metaphor for Freedom』を元にした音楽映画や、「ドクター・ジャズ」の筆名で音楽評論を書き、ユダヤ人ミュージシャンとも交流していたドイツ空軍中尉ディートリヒ・シュルツ=コーンの伝記映画を構想した。
キューブリックは、シェルビー・フットの南北戦争小説『Shiloh』や、マーティン・ラスの朝鮮戦争従軍記『The Last Parallel』といった過去の企画を再検討した後、最終的にグスタフ・ハスフォードのベトナム戦争小説『フルメタル・ジャケット』(角川文庫)を選び、ハスフォードとマイケル・ハーと共に脚本化する。
『フルメタル・ジャケット』の公開後、キューブリックは、再び『ナポレオン』や『夢奇譚』を検討し、『スーパートイズ』の脚本化をすすめた。ジョン・ル・カレの小説『パーフェクト・スパイ』(早川書房)を気に入るが、すでに権利はBBCが獲得していた。諦めきれなかったキューブリックはBBCに自分が映画化すると申し出たが、テレビ局側は予算も期間も超過すると考え断っている。キューブリックはその後もしばらくル・カレと連絡を取り合った。そして2年後、ナチスに協力しフランスのレジスタンス組織を壊滅に追い込んだとされるイギリス諜報部員アンリ・デリクールに興味を示し、ル・カレにロバート・マーシャルのノンフィクション『All the King's Men: The Truth Behind SOE's Greatest Wartime Disaster』の脚色を依頼したが、ル・カレはデリクールを二重スパイとする説を疑問視しており断っている。その後、ル・カレの『ナイト・マネージャー』や『パナマの仕立て屋』の映画化をキューブリックは打診されたが、こちらはキューブリックが断っている。(『ナイト・マネージャー』はトム・ヒドルストン主演でTVドラマ化。『パナマの仕立て屋』は、ジョン・ブアマン監督により『テイラー・オブ・パナマ』として映画化)
またキューブリックは、戦時特派員としてナチスの東部侵攻に同行したクルツィオ・マラパルテの『壊れたヨーロッパ』(晶文社)を高く評価し、アンリ・バルビュスによる第一次世界大戦の従軍記『砲火』(岩波文庫)にも関心を抱いていた。さらにキューブリックは、ジュリアス・シーザーのイギリス侵攻を描く歴史劇を新たに構想していた。フリューインによれば、キューブリックのシーザーへの関心はナポレオンと同様に歴史を変えた個人の才能に対するものであり、幻の『ナポレオン』の時のように膨大なリサーチを行ったが実を結ぶことはなかった。
スタンリー・キューブリックの「作られなかった幻の映画」をめぐって 後編:『アーリアン・ペーパーズ』と『A.I.』 - cinemania 映画の記録