cinemania 映画の記録

cinemania’s diary

渡辺信一郎監督がキャリアと『カウボーイビバップ』を振り返る。「実写版はオープニングで見るのを止めた」

・最も成功をおさめたアニメ監督の一人がオリジナルの『カウボーイビバップ』の作者として知られる渡辺信一郎だ。その長く波乱に満ちたキャリアについて話を聞く機会を得た事は、私にとってまたとない喜びだった。

・もとから映画づくりに興味を持っていた渡辺がアニメに目を向けたのは若い頃だったと話す。

私は京都の生まれですが、都会ではなく北部の山間部に住んでいました。綾部市と言ってとても田舎なのです。僻地でしたから都会的なものはろくにありませんでした。私は野山で遊ぶ野生児みたいなものでした。何しろ実家の近くにはバスの路線も店舗もありません。テレビは見ていたけど、それよりは自然の中で遊んでばかりいました。

映画やアニメを見るようになったのは中学校に通い始めてからです。そして、だんだんと自分でも作ってみたいという気持ちになってきました。実写にもアニメにも同じくらい興味がありましたから、高校を卒業する頃には、どちらの道に進むのか悩みました。それは1984年で『風の谷のナウシカ』『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか?』が公開された年です。こうしたアニメ映画を観て、日本のアニメは日本の実写よりもはるかに優れていると感じました。それでアニメを作ることにしたんです。

この三作の中では『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』が一番好きですね。この映画から自由な創造性を感じ取ったのです。たくさんのクレイジーな出来事がとてもシュールなやり方で飛び出してくる。何が起こっても不思議ではないという感覚に感動しました。

中学生に話を戻すと、『機動戦士ガンダム』や『伝説巨神イデオン』のようなサンライズのアニメを楽しんでいました。当時のサンライズは毎年のように新作やオリジナル作品を数多く作っていた時期です。だからアニメ会社を選ぶとき、サンライズに入社すればいつか自分でもオリジナルのアニメを作れるかもしれないと考えたわけです。私は、初めから自分のオリジナル作品を作りたかったのであって、別にヒットしたマンガや人気のある小説をアニメ化したかったわけではないのです。

―――高橋良輔サンライズでの仕事

・上京してサンライズに就職した渡辺は、そこで出会った高橋良輔監督に目をかけられる。渡辺は採用試験の際にドレスコードがあることに気づいていなかったという。

サンライズを受験した時、カジュアルな業界だと思っていたのでTシャツにジーンズで行ったんです。まわりはみんなスーツ姿でちょっとショックでしたね。受験者も少なくて六、七人くらいでした。試験の内容は、まず自分の好きな映画とその理由を説明する筆記試験があって、それから面接がありました。当時の私は未熟で世間知らずでしたから、正直にストレートに受け答えをしました。面接官は三人いて、うち二人は顔をしかめていました。ところが残る一人は私のことをかなり面白がってくれたみたいでした。それが高橋良輔だったのです。意外にもサンライズは私を採用したのですが、高橋さんが推薦してくれたのだと後になって知りました。当時のサンライズが作っていたテレビアニメの感想を聞かれて「とてもつまらない」と単刀直入に答えたのを覚えています。今思えば酷いことをしたものです。

そんな風にサンライズに入社して、まずは『蒼き流星SPTレイズナー』の現場に入りました。もちろん『レイズナー』の仕事をする前から高橋さんのアニメを観ていましたし、特に『装甲騎兵ボトムズ』は大好きでした。『レイズナー』では、主に制作進行をしていましたが、これは部屋の掃除とか物流の管理といったものです。車を運転したりデザイナーたちに電話で催促したりですね。まるでクリエイティブな仕事ではありませんでしたし、当時は高橋さんと直に交流する機会はほぼ無かったんです。

高橋さんはとても穏やかで親しみやすい人柄だったので、いつもスタジオは居心地が良かったですね。富野由悠季のスタジオからは怒鳴り声が絶えなかったけれど『レイズナー』のチームはみんな仲が良かった。よく飲みに行っては奢ってもらってましたね。『レイズナー』は厳しいスケジュールだったので常に重労働が求められました。しかし、チームではどんなに忙しい時でも必ず飲みに行く時間を作ってくれた。実際、スタジオにいるよりも一緒に飲んでいる時の方が勉強になりましたね。『レイズナー』には各話演出家が何人もいましたが、みんな大酒飲みで日本酒を好んでいました。それで、よくお付き合いしたわけですが、すぐに彼らが映画狂だとわかりました。あの人たちとのおしゃべりは本当に楽しかったですよ。

―――演出家への出世から監督になるまで

・渡辺は監督になる前、各話演出としてさまざまなアニメに参加した。そこではよりクリエイティブな仕事ができたが、制約が無いわけではなかった。

レイズナー』の後に『バツ&テリー』というほとんど知られていない作品をやっています。他に『シティーハンター』にも参加しましたが、この辺は制作進行だったので、特に面白い話はないですね。だいたい十作品くらい各話演出を手がけていて、そちらの方がクリエイティブな面で得たものが多かったですね。最初は『ダーティペア』のOVAで、それから『機甲猟兵メロウリンク』と『魔神英雄伝ワタル2』だったかな。あと『オバタリアン』も。

当然みんな演出になりたがるわけですよ。それで演出をやりたいという人の中から実力を認められた人だけが、各話演出に起用されます。僕はずっと演出をやりたいと言っていたので、テストとして演出を任せてもらいました。絵コンテも本番用ではなく試作として描きました。

演出家時代に、アニメ作りの技術的な事柄は一通り学びました。各話演出というのはあくまでも監督の補佐役ですから、クリエイティブな部分では常に欲求不満でした。私が変わった発想でユニークな絵コンテを提出すると必ず修正されました。つまり創造の自由は制限されていたのです。だから、自分の腕を磨くためひたすら勉強することに時間を費やしていました。

疾風!アイアンリーガー』の制作中にアクションシーンの絵コンテを任されました。私はサム・ペキンパーの映画が好きなので、そのスタイルで絵コンテを書いたんです。しかし監督はまるで気に入らず私の描いたものは全く使われませんでした。とはいえ、今となっては監督の選択は正しかったと思っています。

機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』を手がける頃になると、自分の技術が多少なりとも向上したことに気づいていて、それが自信につながっていました。しかし、ストーリー面にはほとんど関われなかったので、もっと違った風にしたいともどかしく思っていました。結末についても疑問だらけでした。どうしてコウは自分を裏切ったニナのような人間を求めたのか理解できなかったのです。未だに『ガンダム0083』の結末についてはファンから不満の声を聞きますが、私が演出に参加したのは第12話までなので第13話は無関係だと答えることにしています。

初めて作品全体の演出を任されたアニメが『マクロスプラス』です。しかし実際の監督は河森正治で、私は共同監督に近い立場でした。クレジットでは河森さんは「総監督」という表記になっていますが、彼が事実上の監督でしたね。それでも、各話演出の時とは違ってストーリーも含めてより多くの工程に関わりました。全体の演出を任されたことで制作全般をどのように見ていくのかという経験を得られましたね。

マクロスプラス』では、全体の設定や世界観は河森さんのものだったので、私はその補佐役に徹していました。結果的には私の志向と河森さんの志向がミックスされたアニメになっています。『マクロスプラス』も、自分からやろうと思ったわけではなく、ちょうど依頼があったから引き受けたまでです。それに当時のサンライズでは監督を社員として雇用することはありませんでした。つまり、私は各話演出になった時点で、事実上サンライズとの契約を解かれたわけです。それがフリーランスになった経緯ですね。

高橋さんの場合、自分ひとりで作業をするわけではなく、他の人に作業を任せてしまい、その人から能力を最大限に引き出すことで、制作全体を豊かにすることがとても上手でした。彼は優れたマネージャーなのです。河森さんは正反対で何でも自分でやりたがるんです。つまり、河森さんとの仕事と高橋さんとの仕事はまるっきり違うわけです。高橋さんは常に紳士的でしたが、対象的に河森さんはかなりエキセントリックな方でした。彼も穏やかな性格ではあるのだけどエキセントリックなのです。とても純粋で目を輝かせていて、人を引き付ける魅力がありました。河森さんはとても興味深い人物ですよ。

―――『カウボーイビバップ』と菅野よう子との仕事

・『カウボーイビバップ』を史上最高のアニメに数える人は多いだろう。しかし、その出発点はかなりあやふやなものだったという。

マクロスプラス』で監督をやったと言っても、あくまで河森さんがメインの監督です。自分のやりたいことができない状況でした。そのフラストレーションが心の中で大きな原動力となって自分のオリジナル作品をやりたくなっていました。そして『カウボーイビバップ』は、初めて自分の好きなことができたアニメになりました。だから『カウボーイビバップ』以前の作品は特に気にしなくてもいいわけです。

カウボーイビバップ』の頃は、『スターウォーズ』が「ファントム・メナス」で復活するという時期だった。バンダイとしては、これからスターウォーズのブームがまた来るだろうし宇宙船が注目されると考えたわけです。そこでオリジナルの宇宙船のプラモデルを販売しようという話になって、それで宇宙船が登場するアニメを作れという発注が来たわけです。宇宙船さえ出てくれば後は何をやってもいいということになった。ところが、好き勝手にやり始めたらバンダイから「こんなアニメのプラモデルは売れない」と言われてしまった。結局バンダイは宇宙船関連のプラモデルの企画を中止にしてスポンサーからも手を引いてしまい、『カウボーイビバップ』は行きづまってしまったのです。

当時のバンダイビジュアルは比較的新しい会社で、新しいアニメを探していたところだったので、話を持っていってスポンサーになってもらいました。おかげで『カウボーイビバップ』は継続できたのですが、バンダイビジュアルの協力がなければ打ち切りになっていたでしょう。だから『カウボーイビバップ』が大きな成功を収めて今でもたくさんのプラモデルや玩具が作られていることは、とても嬉しいですね。これは、当時のバンダイにはアニメへの投資先を決める見識がなかったということでもあります。

宇宙船のデザインはコンペで選びました。河森さんやカトキハジメなど、たくさんの著名なアーティストに参加してもらったのですが、結局、山根公利に決定しました。山根さんのデザインが一番リアルで、本当に存在して人が使えそうに見えたからです。単に格好良いだけでなくて存在感のあるリアルなデザインであることが肝心だったのです。私たちは宇宙船にニックネームをつけたかったので、山根さんの魚にまつわるネーミングをするという発想はとてもクールでみんなが歓迎しました。

カウボーイビバップ』の成功は、私の想像を超えるものでした。当時のアニメは日本以外ではさほど人気がなかったからです。『AKIRA』はとても有名だったようですが、あくまでも例外です。なので『カウボーイビバップ』の成功は意外でしたし、そうなった理由を今でも知りたいですね。私は子供の頃から、日本映画よりもアメリカ映画やヨーロッパ映画などの洋画が好きでした。日本映画はあまりにもセンチメンタルだったからです。大仰なクライマックスでわざわざ感傷的な音楽を流したりする。日本映画は観客を泣かせたがるのです。私はそれとは対照的なインターナショナルな手法で、何かクールなものを作りたかったのです。私が『宇宙戦艦ヤマト』があまり好きでなかった理由は、あまりにもメロドラマだったからですね。

最初の構想では『流れ星ビバップ』というタイトルでしたが商標権の関係で使えなくなってしまいました。そこで、英語にして『シューティングスター・ビバップ』を提案しましたが、こっちも商標権で競合してしまった。そこで、カウボーイと呼ばれる賞金稼ぎを主人公にしたストーリーを考えて『カウボーイビバップ』という題名にしました。実は、賞金稼ぎをカウボーイと呼ぶのは(脚本の)信本敬子さんのアイデアで、題名にもつけようということになりました。信本さんとは志向や感覚が似ているので、あれこれ説明しなくても話が通じました。

『闇夜のヘヴィ・ロック』の回は(プロデューサーの)南さんの冷蔵庫から生まれたものです。『レイズナー』の頃の話ですが、当時の南さんは先輩の制作進行でした。ある日、南さんから引っ越しの手伝いを頼まれて行ってみると冷蔵庫が外に置かれていて「これは開けられない」と言うんです。あまりに長いこと放置していたので、中に残っている食品がどうなったかわからないと。ダクトテープでぐるぐる巻きにしてあって絶対開かないようになっていました。それで中身はどうなっていたのかずっと考えていたわけです。

あの回での音楽の使い方ですが、私はもうずっと音楽フリークだったんです。長い間たくさんの音楽を聴いて楽しんできました。もともと、若い頃はミュージシャンになろうと思っていましたが、自作の曲は酷いものばかり。それで音楽はあくまで趣味ということにして、仕事として映画をやるようになったわけです。私はYMOのファンだったのでシンセサイザーを使おうとしたのですが値段の安いものしか買えませんでした。安物だとYMOが使っていたものと違って音色が非常に少なかったのです。それでシンセサイザーの音楽作りは断念しました。しかし、監督になった時、自分の強みは何だろうと自問しました。他の監督との違いは何なのか? 回答は音楽に詳しくて音楽を愛しているということでした。もしかすると、音楽を最大限に活かせる監督になれるかもしれない。

マクロスプラス』の時、作曲家の候補として菅野よう子の名前が挙がっていました。まだ菅野さんの知名度が低かった頃です。菅野さんが提出したデモテープには、とてもさまざまな音楽が収録されていた。たった一人で書いたとは信じられませんでした。それがとても印象的だったので彼女と組みたいと思ったわけです。

マクロスプラス』の仕事のおかげで、菅野さんは真の天才で、どんなタイプの音楽もこなせることがわかりました。ですから『カウボーイビバップ』は音楽のジャンルがまるで違いましたが、菅野さんならやってくれると思ったんです。『マクロスプラス』は広い空を飛び回るようなスケールの大きな音楽という方向性でした。対して『カウボーイビバップ』は、ジャズやブルースが必要でしたが、それらは宇宙空間や宇宙船のシーンにそぐわないかもしれない。意図的に、ジャズやブルースと宇宙船をミックスしたかったわけですが、菅野さんなら可能にしてくれると思いました。

マクロスプラス』で初めて菅野さんに会ったのですが、その姿は可愛らしい少女のようにしか見えなかった。みんな驚いて、彼女が本当にこの素晴らしい音楽を送ってきたのだろうか、ゴーストライターか何かが関わっているのではないかと疑いさえしたのです。しかし、レコーディングに立ち会ったら、彼女が一人で全ての作業をこなす姿を見てとても感動しました。それと同時に彼女の人柄はとても可愛くて興味深かったのです。それで『カウボーイビバップ』を作ったときに、菅野さんの人柄を元にしたキャラクターを出したのですが、その事は伏せていたので、彼女がどう受け止めたのかはわかりません。

Netflixの新たな実写化について渡辺がどう考えているのか私はどうしても知りたかった。彼は以下のように答えてくれた。

実写版ですか、感想と確認のためにとビデオが送られてきましたが、最初のカジノの場面で、もう見続けるのが辛くなって止めてしまったので、そのオープニング場面しか観ていません。別物なのは歴然としていたし、自分が関わらないと『カウボーイビバップ』にはならないのだと気づいてしまったのです。私がやれば良かったのかもしれません。おかげで、オリジナルのアニメがさらに高い評価を受けるようになりましたが。

―――『サムライチャンプルー』『スペース☆ダンディ』新しいことに挑戦し続けること

・『カウボーイビバップ』を終えて、渡辺はまた同じようなことをやってほしいという注文をたくさん受けたらしい。幸いにも渡辺はそれを望まず、新たな創造の地へと足を踏み入れていった。

一度成功してしまうと、また似たようなものを作ってほしいという依頼が多くなるものです。この場合は『カウボーイビバップ』です。この手の要望はもう二十年以上も来ています。そうなる理由は理解できます。しかし、その方向では同じことの繰り返しにしかならないし、結局は飽きられて見向きもされなくなるでしょう。それに自分の中にはもっと多様なものが眠っているとも感じています。そうしたわけで、同じようなことは避けてきました。

素晴らしいもの、クールなものを作るためには、新しいことに挑戦して一から作り出すことが必要になります。それは創造性を発揮するためには極めて重要なことだと思いますし、今までやってきたことを模倣するだけでは良いものにはならないと思っています。ですから、新しいものを作るということを常に大事にしています。私がとても尊敬しているデヴィッド・ボウイも同じようなことを言っていましたね。彼は絶えず自分のスタイルを変え続け、新しいことに挑戦していました。

もともと私はチャンバラ映画の大ファンで、中でも『座頭市』シリーズは最高です。しかし、古ぼけたものを作るのではなく新しいアプローチをしたかった。それと、ヒップホップとサムライは似ているのではないかと感じていました。ヒップホップの重要な要素はサンプリングにあります。ミュージシャンは、古い音楽のピースを拾いあげては新しく作り変えることができる。だったら、古いチャンバラ映画のピースを新しい形で使えるのではないかと考えたのが『サムライチャンプルー』の出発点でした。それと、ラッパーたちはマイクを通じて一人ひとりが己を表現しますが、サムライたちも自分の刀でしか表現できない点で似ているように見えます。ムゲンのキャラクターデザインがラップミュージシャンに影響されているのはそのためです。こうしたコンセプトによって新しいチャンバラアニメが作れると考えたのです。

スペース☆ダンディ』では、宇宙で80年代の音楽やディスコミュージックを使って馬鹿馬鹿しくてクレイジーな喜劇を作りたかった。その手のジャンルはやったことがなかったので挑戦してみたかったんです。ところが『スペースダンディ』を作っていた頃に公開された『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』がとても似たことをやっていたのには驚かされました。遠い未来でカセットテープを使うなんて、私にはまさにクレイジーな発想でしたし、誰もそんなことは考えつかないと思っていました。それが『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』では物語上で大きな役割を果たすのです。

それと『スペース☆ダンディ』のナレーションを依頼した声優は初代の『スタートレック』でカーク船長を吹き替えていました。日本のファンであれば、声を聞けばすぐに誰かわかったと思います。英語版でも同じようなことをしたのかは知らないのですが。

―――ハリウッドのプロデューサーの問題点と将来について

・『アニマトリックス』の制作は、決して順調ではなかったようだが、渡辺にとっては新しいことを学ぶ機会でもあった。

今はオリジナルの新作に取り組んでいるところです。最近はアメリカからの依頼がが多くて、予算も日本の二倍近くになっています。『アニマトリックス』からハリウッドの人たちと仕事をするようになりましたが、常に困難が付きまといます。彼らは最初のうちは「好きなことをやっていいよ」と約束するのに、それはリップサービスに過ぎないからです。

実は『アニマトリックス』でハリウッドのプロデューサーと大喧嘩になったことがあります。彼は自分が作品に関わっていることを示すために、くだらない注文をつけてきた。それがあまりに意味不明なので、私はすべて拒絶しました。残念ながら勝てるような状況ではなかったので、いくつか譲歩せざるを得なかった。私はこの苦い経験から学びを得ました。その後のプロジェクトでは、干渉しようとしてくる連中のあしらい方は上手くなりましたよ。そういう時は、締め切りの直前になってから細かい修正や調整をして送り返すんです。そうすると、やり過ごせることが多かったですね。日本にも、アメリカのようなプロデューサーがいますし、アメリカにも良いプロデューサーはいます。

最初の『アニマトリックス』のプロデューサーは、とても良い人でした。私の仕事を理解してくれたし、くだらない注文をつけてくることはなかった。ところが家庭の事情で辞めてしまったのです。後任のスペンサー・ラムという人は酷かった。あれを変えろこれを変えろと注文ばかりで、とても苛立つものだった。仮にそうした要求がウォシャウスキーの二人から来るのであれば、少なくとも『マトリックス』の産みの親のことは尊重したでしょう。新しいプロデューサーは何をしたと思いますか? 自分はウォシャウスキー兄弟の門番役であり、君の仕事は、自分が納得しない限り彼らには見せないと言ったんです。

だから、ロサンゼルスにレコーディング作業に行ったとき、もしプロデューサーに出くわしたら一発ぶん殴ってやるとチームには伝えておきました。結局、プロデューサーがレコーディングに立ち会わないというに前代未聞の事態になりましたね。

『アニマトリックス』の他のエピソードを手がけたピーター・チョン監督からは、仕事が終わった後で、こんな話を聞きました。例のプロデューサーは彼に百を超える注文をつけてきたらしい。チョンさんは凄く怒って辞めてやると言い出した。プロデューサーは期限と予算を守って作品を完成させる責任があったので、大慌てになって結局チョンさんの言いなりになったという。それを聞いて、私は卑怯な手口じゃないかと思ったのですが、それも参考になりました。つまり、ハリウッドのプロデューサーと仕事をするなら戦う必要があるのです。でなければ、自分のやりたいことは決してできませんから。

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ジェームズ・キャメロンは『アバター』に10億ドルを賭けた――『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の内幕

しばらく前、ジェームズ・キャメロンが最初の『アバター』を作り終えた後、彼の子供たちが家族会議を開いて、彼の子育てについて忌憚のない意見を述べた。2006年にキャメロンの妻スージー・エイミス・キャメロンがカルフォニアのカラバサスに設立した私立学校MUSEには、今は15歳から32歳になっている子供たちが通っていた。そこでは生徒からの教師へのフィードバックが奨励されており、キャメロンの子供たちは、家庭でも同じようにフィードバックをするよう奮い立ったのである。

キャメロンといえば、映画業界では欲しい物は常に手に入れることで知られてきた。映画のスケジュールや製作費、スタジオの予算で海底探検をする権利などだ。監督はその強引なやり方をしばしば家庭に持ち込んでいたことを認めている。その家父長ぶりはロバート・デュバルが『パパ』で演じた冷徹な海兵隊大佐のようだったという。「私がいるのはルールに基づいた世界だけど、子供たちはなじめなかったんだ」とキャメロンは言う。子供たちは「父さんはほとんど家にいなかったよね。たまに帰ってくると、埋め合わせをするかのように、僕たちに指図するんだ。撮影でいない間はずっと母さんがすべてのルールを守っていた。だから家に戻ってきても思い通りにはできないよ」(キャメロン夫妻には3人の子供と、元妻のリンダ・ハミルトンとサム・ロバーズとの間に、それぞれ1人の子供がいる)。

キャメロンは、子供たちの忠告を受け、もっと耳を傾けて過干渉にならないように気を使っているという。「もっともな話だと思ったんだよ。自分は親の務めという重荷を背負って一緒にいてやれなかった事を過剰に償おうとしていたことに気づかされたんだ」

おそらく、新しい撮影システムや巨大企業の合併よりも、子育てという人を謙虚にさせる体験が、キャメロンにテーマの選択であったり俳優やスタッフとの向かい方といった新作の作り方において多大なる影響を与えたのに違いない。

ディズニーにより12月16日より公開される『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』で、キャメロンはそうした場所に立ち返った――両親が青くて身長9フィートの異星人という家族ではあるが。「5人の子供を持つ親として経験したたくさんのことを芸術として昇華しようと思ったわけだ」とキャメロンは言う。「根本的なアイデアは「家族は要塞だ」ということなんだ。自分にとって最大の弱点でもあるし最大の強みでもある。私は『これなら書けそうだ』と思ったのさ。ダメ親父の気持ちは良くわかるからね」

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アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は、初代の『アバター』が画期的な新技術を投入して史上最高の世界興収(29億2000万ドル)を記録し、作品賞や監督賞を含めたアカデミー賞9部門にノミネートされてから、実に13年ぶりとなるキャメロンの監督作品である。製作費は3億5000万ドルを超え、さらに3本の続編が予定されており、完結すればディズニーは直接製作費だけで10億ドル以上を費やすことになる。

11月初旬、キャメロンはパークロード・ポストプロダクションを訪問した。ニュージーランドの首都ウェリントンの郊外にある風光明媚なミラマーは、2000年代初めにピーター・ジャクソンが『ロード・オブ・ザ・リング』を製作してから、地球の裏側にある小さなハリウッドと化している。このファンタジー映画は、現在のウェリントンにおいてアイデンティティの核をなしており、空港ではドラゴンのスマウグの巨大な彫刻が観光客を出迎えているほどだ。キャメロンは、ウェリントンに新たな叙事詩が生まれることを願いつつ、昔ジャクソンが使っていたオフィスで仕事をしている。重厚な木目調の室内には、キム・スタンリー・ロビンソンの環境SF小説『The Ministry of the Future』が置かれ、小型の冷蔵庫にはヴィーガン向けのスナックが収まっている(彼は10数年前からヴィーガンである)

キャメロンは、15本のリールのうち最後の4本の音声を調整しているミキシング室(『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の上映時間は3時間強)と、すぐそばの薄暗いヴィジュアル・エフェクト室を行き来しながら、3350ヶ所にもおよんだ驚異的なヴィジュアル・エフェクトのうち最後の約60カットを仕上げていた。68歳をむかえた監督は『アバター』第1作の頃とほとんど変わらない外見をしている。モトクロスのジャージとジーンズで作業に臨み、スタッフが彼の注意を引くために潜水艦の警笛のような効果音をスピーカーから流さないとならないくらい、今やっていることに集中しているのだという。「警笛を鳴らされないと気づかないんだよ」

アバター』第1作は、サム・ワーシントン演じる半身不随の海兵隊員ジェイク・サリーが、アバターの身体を手に入れ、先住民ナヴィ族の住む緑豊かな惑星パンドラを訪れ、この星に眠る希少物質アンオブタニウムを略奪する計画に巻き込まれるというストーリーだった。パンドラの海を旅する新作では、ジェイクはナヴィ族の王女ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)の夫となり父親となった。彼らの子供たちの中には、ヴィジュアル・エフェクトの魔術によって73歳のシガーニー・ウィーバーが演じる10代のナヴィ族の少女キリと、撮影の始まった頃は13歳だった今は18歳のジャック・チャンピオンが演じる人間の養子スパイダーもいる。またケイト・ウィンスレットは、海に棲みついた別のナヴィ族を演じている。キャメロンはすでに3作目(2024年予定)を撮り終え、4作目(2026年予定)の一部を撮影し、5作目(2028年予定)は脚本まで完成させている。「4本の脚本として隅々まで完璧に作り上げてある。もしチャンスを与えられれば、何をすればよいのかしっかりと心得ているんだ。そのチャンスを決めるのは単純にマーケットだ。観客がこの映画を気に入ってくれて続きを望むのかどうかということだね」

キャメロンは、スタジオが巨額の資金を投じ、自身もキャリアの全盛期に数年間の歳月を費やした『アバターフランチャイズに対して疑念を抱く人々がいることを把握している。業界には「文化的なインパクトを与えたというのは本当だったのだろうか?」という懐疑論もある。「誰もキャラクターの名前すら覚えてないじゃないかということかな? 人々がジェイク・サリーを例えばルーク・スカイウォーカーのように記憶していないとしても、それは単に『アバター』の世界は映画1本しかないからだよ」とキャメロンは言う。「大成功したら3年後には続きを作る。それがこの業界の仕組みだ。穴にこもって、少しづつ文化的なインパクトを構築するわけだ。マーベルは、キャラクターが絡み合ったユニバースを作るため、たしか26本だったかの映画が必要だった。だから比較するだけ無意味だろうね。この映画が何をもたらすのかを見守ってほしい」

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2009年に最初の『アバター』が爆発的な興収をあげたとき、キャメロンの当時の拠点だった20世紀フォックスは、すぐに次の作品に取り組むように急かした。「実は待ったをかけたのは私だった。『この路線を再び歩みたいのかわからない』と言ったんだ」 オリジナルが桁外れの成績だったため「また成功するためには、今度も歴代興収のトップ5に入る必要がある。馬鹿馬鹿しい目標じゃないか」 当時のキャメロンは、深海の探査や環境問題など他にも情熱をぶつけられるものがあった。「潜水艦に乗ることで地球とつながっているんだ」とワーシントンは言う。「彼はそこでリラックスしている」 2012年、キャメロンはナショナル・ジオグラフィック協会と共同で開発した潜水艇の43インチ幅の操舵室に入って、史上初めて世界最深のマリアナ海溝への単独潜行を成功させた。「私は『アバター』に限らず、そもそもまた映画を撮りたいのかという疑問に直面していたんだ」キャメロンは言う。「とても楽しかったからね」

キャメロンの環境保護活動は、高価な電気自動車を乗りまわして小切手を受け取るようなハリウッドの標準からはかけ離れている。彼が2013年式のキア・リオに乗るのは、新しい電気自動車よりも中古の小型車の方が二酸化炭素の排出量が少ないからだそうだ。ロサンゼルスにあった2つの家を売却し、現在はウェリントンに「比較的質素な」と称する邸宅を構え、そこから20マイル離れた5000エーカーの農場で麻と有機野菜を栽培している。さらに、カナダのサスカチュワン州にある農地と工場に投資し、ヴィーガン向けのエンドウ豆タンパク質を製造している。また、ヴィーガンのアスリートを描いたドキュメンタリー映画『ゲームチェンジャー:スポーツ栄養学の真実』に製作総指揮として関わっている。「私にとって成功とは富でもなければ物でもない。それは人間同士で、そして我々と自然との間で経験されるもの、つまり真の意味で自分の糧となるものだと考えているんだ」

キャメロンは、私たちの多くが、彼が言うところの「自然体験不足障害」だと信じている。屋内でスクリーンに囲まれる都会のライフスタイルは、集中力を失わせ感覚から切り離された状態に陥らせる。彼が映画の世界に戻ることを決意した理由のひとつは、自分の映画には観客に環境との関係性を変化させる可能性があると考えたからだ。「『アバター』は世界で最もヒットした映画だが、観客に樹木を必要とするように促していた」と彼は指摘する。2022年の観客は、そのようなテーマにさらに敏感になっており潜在的な不安も増している。「環境問題のメッセージは難解ではいけない」とキャメロンは言う。「大衆はもう十分に苦悩している。我々はこの映画を、以前とは異なった時代のマーケットに投入するんだ。2009年には地平線の彼方にあったものが、今は目前に迫っている。ひょっとすると、これは既にエンターテインメントではないのかもしれない」 『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』は、人々に気候変動への恐怖を煽るのではなく、ナヴィたちの選択を通して、別の道筋があることを示すものだとキャメロンは言う。「我々は、環境問題を完全に否認することから運命として甘受することへと飛躍してしまい、中道を行くことを見逃してしまった」と彼は言う。「もはや映画作家の役割は、すべてに怒りをぶつけることではない。建設的な解決策を見出していくことだ」

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「これじゃまるで60年代の底抜け大作の爆発だよ」キャメロンは、自分の部屋の隣にある狭くて暗いオフィスに身を置き、視覚効果スーパーバイザーのエリック・セインドンや、Zoomで立ち会っているWetaのVFXアーティストたちとヘリコプターの墜落シーンをチェックしていた。セインドンは、キャメロンがサウンドミキシング室から自室に戻るときに目に入るモニターに、作業チェックの準備が整った映像を映しておくことにしているが、スタッフたちは「監督をおびき寄せるエサ」と呼んでいる。

アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』にはのべ1400人のWetaのアーティストが参加しているが、ヘリコプターの墜落シーンを手がけるのはプレッシャーが大きいという。キャメロンはヘリコプターを自ら操縦し、ほとんどの映画にヘリコプターを登場させてきた。『ターミネーター2』ではパイロットに高架道路の下をくぐらせ、『トゥルーライズ』ではジェイミー・リー・カーティスをヘリコプターからぶら下げ、『アバター』では実際に飛行できる未来型ヘリコプターを設計した。キャメロンほどCGIヘリコプターの墜落シーンを厳しい目で観る観客はいないだろう。そのシーンにOKを出す前に、さらに多くの要望を出した。「落ちるところをもう2、3フレーム見てみたいな。もっと壊してくれ。尾翼が切り離されてぶっ飛んでいくところが見たいんだ。もっと回転運動を足して。これじゃ落っこちて「あれれ?」となっているみたいだ」

映像に対するキャメロンの批判は直截的かつ具体的だが、しかし「ダメ出しなら誰にもできる」という。例えばシガニー・ウィーバーは自分のキャラクターの初期デザインが「魅力的で可愛いすぎる」と注文をつけ、不器用な10代の子供に変えさせた。前作でウィーバーが演じた科学者グレース・オーガスティンは死んでしまっている。「キリのアイデアは、グレースは本当に死んだのか、というところから生まれたんだ」とキャメロンは言う。「シガニーを呼び戻して子供を演じてもらうというのはどうだろう? とても楽しいアイディアで頭から離れなかったんだ」 家庭内と同じくキャメロンは仕事場でもリーダーとしての振る舞い方を変えたという。「スタッフにもっと気を使うようになったし、ユーモアを忘れないようにしている」 キャメロンは、ニュージーランドのスタッフを愛している。アメリカやイギリスのような上下関係が希薄で、事務所では「やあ、ジム」と呼ばれるのが通常運転だという。「ここでは、誰もが平等に扱われる」と彼は言う。「仕事の内容によって偉くなるわけじゃない。そんなところが好きなんだよ。子供たちにもそういう環境で育ってほしいんだ。嫌味な成金呼ばわりされないためにもね」 カナダ国籍を持つキャメロンはニュージーランドの市民権を申請しているところだ。

最初の『アバター』を終えて、キャメロンとプロデューサーのジョン・ランドーは、キャメロン自身が作業の停滞を招いていると結論づけた。というのも、バーチャルカメラの撮影は全て彼がおこなっていたからだ。『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』においては、キャメロンがバーチャルカメラによるショットの約70パーセントを手がけ、『アバター』にも視覚効果スーパーバイザーとして携わったアイルランド出身のリチャード・バネハムが残りの30パーセントを撮影したという。「私にとっては大きな成長だった」とキャメロンは言う。1986年に『エイリアン2』で初めてキャメロンと仕事をしたウィーバーは「あの頃よりも余裕があります。彼は自分の夢を、叙事詩を生み出そうとしている」と言う。「情熱的なのは相変わらずだけど、ずっと穏やかになっていますね」

キャメロンに協力する者たちは彼の強烈さを受け入れてきた。なぜなら大きな見返りがあるからである。興収の上位10本のうち、マンガや小説の原作、シリーズ映画など既存のIPにもとづいていなかったのは、キャメロンの『アバター』『タイタニック』だけなのだ。『アバター』へのスタジオ側の意欲を受けて、キャメロンは物語作りにおいて、これまで以上に大胆に踏み出すチャンスが来たと感じた。「数本にまたがる映画で壮麗な物語を語ってみたい。もっと大きなキャンバスに描こう。計画を組み立てよう。さあ『ロード・オブ・ザ・リング』のようにやろう。彼らには原作があったけれど、こっちはまず原作を書かなくてはならない。原作というか脚本だけどね」

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2010年の秋、キャメロンは、当時は2作の予定だった『アバター』続編の契約を結んだ。先住民の権利と環境を支援する非営利団体アバターファウンデーションにフォックス側がキャメロンと共同で出資するという異例の契約となった。フォックスは得意満面で続編第1作の公開日を2014年12月と告知した。「私は、彼らが楽しげに発表したどの日付も、あまり信じてはいなかった」とキャメロンは言う。2012年にマリアナ海溝から戻ったキャメロンは、映画に本腰を入れて取り組んだ。最初の数カ月は、生物、文化、主題などのアイデアをひたすら書き留めていった。フォックスでSFテレビドラマ『ダーク・エンジェル』を製作した経験から、2013年半ばにテレビのやり方を真似てライターズ・ルームを結成した。「まず初日に800ページ分のノートを見せて『これが宿題だ。また来週に会おう』と言ったんだ」 最終的に彼は『アバター2』の執筆を『猿の惑星:創世記』でリブートを成功させた脚本家夫婦、リック・ジャッファとアマンダ・シルバーに託し、共同脚本家として表記することにした。結局、4本の脚本をすべて完成させてから撮影に入ることとなり、執筆には計4年もの歳月を要した。2017年9月、キャメロンはようやく『アバター2』の製作を開始した。

キャメロンが撮影を始めてからわずか3ヶ月後、ディズニーが713億ドルでフォックスを買収し、惑星パンドラは唐突に新しいオーナーの支配下に置かれた。フロリダのディズニーワールドでパンドラのアトラクションに5億ドルを投じていたディズニーは、すでに『アバター』の成功のために投資していたことになる。またディズニーは、劇場で公開する映画の数を減らしてキャメロンが得意とするようなスペクタクル重視の大作映画を作っていく方針を固めた。そして、キャメロンとディズニーはその何年も前から接近していたのだ。2005年、フォックスが最初の『アバター』の製作を決定するかどうか迷っていた頃、キャメロンとランドーは、ボブ・アイガーCEOやスタジオ責任者のディック・クック、アラン・バーグマンCFOカルフォルニアの撮影所に招待してテスト映像を観てもらっている。「その時に『この映画は作るべきだ』と言ったのです」と、今はディズニー・スタジオ・コンテンツの代表をつとめるバーグマンは言う。「試写室で、こんなものは初めて観たと思いました。世界観もジェイクのキャラクターもとても独創的でしたね」 ディズニーは『アバター』の製作にむけて交渉に乗り出した。それがきっかけでフォックスは予算を引き上げるよう出資パートナーを説得し、結局キャメロンは『タイタニック』『トゥルーライズ』『エイリアン2』と、何十年も一緒に仕事をしてきたスタジオに残ることにした。2019年3月、ディズニーとフォックスの合併契約が終了すると、バーグマンはまずキャメロンとランドーに会いに行ったという。「やあジム、『アバター』の次回作を手に入れるためには会社ごと買わなければならなかったよ」と言いましたよ」

アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』公開の約4週間前、またしてもディズニーがショックを与えた。突然ボブ・チャペックCEOを解任して、ボブ・アイガー前CEOを復帰させたのである。このニュースは、ニュージーランドで作業するチームも含め、ハリウッドの大半を驚かせるものだったが、決して歓迎されないわけではなかった。「ボブ・アイガーは、最初に我々を口説き落とした一人だからね」とランドーは言う。「彼は『アバター』に大きな価値を見出していた。我々も彼のことを支持しているよ」

タイタニック』や『アバター』の頃は、キャメロンは予算額やそれを回収する手段についてフォックスの重役と衝突した。しかし、ディズニーとの関係は今のところ順調だ。「まだハネムーンの最中かな」とキャメロンは言う。「判断できないな。いずれ判ることだ。映画が儲からなかったら、ハネムーンはおしまいになるだろうね」 彼は自身の透明性を例に出す。予定が変わりそうであれば、早い段階でスタジオに伝えることにしている。そしてディズニーのマーケティングの手腕にも敬意を払っているという。それはつまり、重役陣との放送禁止語を混じえた怒鳴り合いの時代が終わったということでもあるようだ。「昔やっていたことの大半は、テストステロン漬けになった粗暴な若者のやるようなことだ」とだけ彼は言う。「体内からゆっくりと毒物が抜けていくようなものかな」

フォックスの若手幹部だったランドーは、『トゥルーライズ』の現場でキャメロンと出会い、『タイタニック』から彼のプロデューサー兼右腕として活躍している。キャメロンのスーパーパワーのひとつが集中力だとすれば、そのパワーを可能にしているのは傍に控えているランドーである。AirPodsを片耳に挿して電話でバーバンクにいる相手とスケジュールについて話しながら、ウェリントンでは目の前のスタッフと別の案件について話しているのだ。「私は彼が進化していく過程を見てきたんだ」とランドーはキャメロンについて話す。「ジムは全ての経験から学んできた。振り返って『これは成功した、これは駄目だった、どうすればさらに良くなるんだろう』という風にね」 ランドーがそう話している最中に、オフィスのドアを強くノックする音がして、キャメロンがクレーマーのような勢いで飛び込んできた。「彼は『私たちは老夫婦のようなもの』とでも喋ったのかな?」キャメロンが言う。「彼のことはあまり褒めたくはないんだ。自惚れさせたくはないからね。とはいえ、我々には解決できない問題はないような気がしているよ」

実際『アバター』の製作においては、さまざまな問題があった。ひとつは、撮影スケジュールの桁外れの長さだ。スタッフが毎年のアバター記念日を決めるほどだった。ジャック・チャンピオンの役やジェマイン・クレメントが演じる海洋生物学者など、映画に登場する人間は実写で撮影されているが、ナヴィ族を演じるワーシントンやウィーバーは全てパフォーマンス・キャプチャーで撮影されている。撮影所でカメラが彼らの動きを捉え、後で視覚効果アーティストが彼らの外見に修正を加える。キリのキャラクターは、ウィーバーに似ていつつも10代の宇宙人の外見に仕上げられる。

ストーリーの大半は水中で展開されるため、キャメロンの求めるリアリズムの水準に達するために、キャストの何人かは素潜りを習得しなければならなかった。ウィーバーは、キリの役作りのためにラガーディア高校の授業を見学した。内気なキャラクターは海の中で自分の居場所を見つけなければならない。「水の中で、どうやって自信と確信の持てる場所にたどり着けばいいんだろうと思ったんです」とウィーバーは言う。「複雑で繊細なこのシーンを作りあげるために私たちは本当に努力しました」 水のシーンは、俳優だけでなくSFXアーティストにとっても困難を極めた。「水に関しては、パーフェクトだったとは言えない。ドローに近い状態だったと思う」とキャメロンは言う。「波や透明度、通気、気泡、飛沫、水滴、水跳ねについて、細かいシミュレーションを幾つも幾つも重ねていったんだ。とても正気の沙汰ではなかったね」

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COVID-19のパンデミックが起こった時、キャメロンは16ヶ月かけて『アバター』の2作目と3作目、そして4作目の一部にあたるパフォーマンス・キャプチャー撮影を終えており、実写パートの撮影に取りかかっていたところだった。3月にニュージーランドは国境を封鎖し、世界でもっとも厳格なロッグダウンに入った。この措置により、ウイルスは遮断されたものの、ジャック・チャンピオンの出演シーンが撮れなくなり、10代のチャンピオンは、以前に撮影した箇所と整合性が取れないほどに成長してしまいかねなかった。春になって、アメリカでロックダウンを過ごしていたキャメロンは、ニュージーランド政府に手紙を書き、この映画が政府が定めた渡航許可基準を満たしている根拠や、COVID-19の安全対策について力説した。自分たちを受け入れれば、作業工程は存続でき、結果としてWetaのアーティスト数百人をはじめ千人を越す人々に国内での雇用が保証される。5月に政府は折れ、キャメロン、ランドーら31名のスタッフを乗せた飛行機は入国を許可された。

COVIDは、映画館のマーケットも縮小させてしまった。「100%戻ることはないだろうと思っていた」とキャメロンは劇場展開について語る。「今後も元には戻らないだろう。だが、80%でも十分だ。今はみんなストリーミングに行ってしまったから競争相手は減っているんだ」 パンデミックによって映画館が閉鎖された頃、キャメロンはスティーヴン・スピルバーグギレルモ・デル・トロと一緒にZoom出演し、業界のこれからについて「みんな、職を失うかもしれない」と話し合った。キャメロンは言う。「我々はそうはならない。私は運命を受け入れて冷静に対処することにしたんだ。まだ仕事はあるし、物語を語ることもできる。俳優と一緒に撮影ができる。『アバター』の時のような規模ではないかもしれないけどね。でも、ストリーミングでもかなり大きなことはやっている」

ホリデーシーズンには『アバター2』をはじめ、『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』や『バビロン』など、上映時間の長い映画が数多く上映される。キャメロンは、ディズニー以前の契約だったと言う。「(ディズニーに対して)君たちは3時間の映画に同意したフォックスの重役たちからこれを譲り受けたんだろう。私たちは、壮大なゲームを仕掛けるつもりなんだ」 観客はいつトイレに行けばよいのかと訊かれたキャメロンは「お好きなタイミングでどうぞ」と答えている。「見逃した場面なら、次に来た時に観てもらえばよいのだから」と。彼は冗談を言っているわけではない。キャメロンの過去作の興行的成功の大半はリピーターによってもたられたのだ。マーベル映画のように週末に大々的なオープニング記録を打ち立てたことはないが、代わりに時間をかけて観客を増やしてきたのである。「3週目の週末あたりにはわかると思う。最初の週末だけでは判断できない。『タイタニック』も『アバター』もそうだったからね」 『アバター』の初週の成績は7900万ドルだったが、それから10週間、興収は1週間につきわずか8%しか下落しなかったのだ。

アバター』の成功に大きく貢献した3Dは、今回も変わらずキャメロンが望む鑑賞フォーマットである。しかし、ハリウッドでは支持を失ってきている。「皮肉にも、まわりの需要が減った分、より活用しやすくなった」 キャメロンは、スクリーンの光量が不足していた点と、『アバター』の後にスタジオがこぞって公開した3D映画の質の低さが、観客離れを招いたと分析している。つまり『アバター』のように初めから3Dとして作られた映画ではなく、2Dの映画をあぶく銭を稼ぐために拙速に3Dにコンバートしていたのだ。この9月にディズニーがリバイバル公開した『アバター』は、世界興収で7600万ドルを記録し、その97パーセント以上が3D上映だった。キャメロンを驚かせたのは、かつて『アバター』を映画館で観た世代ではない10代から20代の若者が、この映画のもっとも熱心な観客層だった点だ。

フランチャイズは将来まで構想されており、キャメロンは最後までやり遂げようと考えているが、そうはならない可能性も見据えている。「第3作は問題なく完成させられるだろう。撮影はすべて終えているからね」 彼によれば、ディズニーは1億ドル以上の予算をすでにつぎ込んでいるという。「よほどの大失敗にならない限り、さらに追加の投資をする価値がないとは思われないだろうね。今は全てを語り切れるように願うだけだ。2作目よりも3作目、3作目よりも4作目、4作目よりも5作目の方が良くなるからね」

さらに彼は――世の中が望むのであれば――『アバター6』と『アバター7』の計画すら用意している。「その頃には私は89歳だよ」とキャメロンは言う。冗談に聞こえるかもしれないが、『アバター』を2本作るために25年を費やしたという事実からして、かなり現実味のある話ではあるだろう。「どう考えても『アバター』をいつまでも作り続けるわけにはいかない。エネルギーが必要だからね」 彼は、誰かに後を継がせる計画についても考え始めている。「映画監督としてどれだけ優れていても、こういうやり方は知らないはずだからトレーニングすることになるだろうね」 キャメロンは、あと5、6本は映画が撮れると考えていて、おそらく3本が『アバター』になるだろう。

彼は『アバター』の世界にいつまでも浸っていられるだけのストーリーを頭に抱えている。『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』の冒頭4分から5分までの間に、ジャック・チャンピオンが演じるスパイダーの約1年分の生い立ちが紹介されるが、その部分も全て脚本が書かれている。キャメロンはそのストーリーを取り出して、ヤングアダルト文学作家のシェリー・L・スミスにグラフィックノベルAvatar:The High Ground』として仕上げてもらい、12月6日にダークホース・コミックスから出版する予定である。

今のところ『アバター』をストリーミングやテレビの番組として作ることは考えていないが、将来的には可能かもしれないという。「CGキャラクターの問題は、予算と手間がかかり過ぎることなんだ。つまりはテレビ向きではないということだね」とキャメロンは言う。「10年後にはコンピューターによるディープラーニングを大量に制作ラインに組み入れて、時間を節約できるようになるだろう。テレビ向けのスケジュールが作れるかもしれないが、今のところ関心がないんだ」

そして、キャメロンが興味を向けているのは映画以外の生活だ。潜水艦、農場、そして子供たち。「ここに帝国を築こうとはしていないからね」とキャメロンは言う。「ただクールな映画を作りたいだけなんだよ」

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