skyfall 映画の記録

cinemania’s diary

ウディ・アレンが「幼児虐待」の醜聞を乗り越えるまで

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ウディ・アレン監督の最新作『A Rainy Day in New York』が、去る2019年9月18日にフランスで公開された。

 現地での批評は、おおむね好評で、映画サイト「AlloCiné」の集計によると、32のメディアの平均点は4.0点で、うち9つのプレスが5点満点をつけている*1

 もともと、この映画は2017年秋に撮影されたもので、2018年の公開を予定していた。それが1年以上も遅れた上に、実は本国であるアメリカでは、まだ公開されていない。ティモシー・シャラメエル・ファニング、セレーナ・ゴメスといった旬のスターたちが主演し、レベッカ・ホールジュード・ロウリーヴ・シュレイバーらが共演する話題作にも関わらずである。

 もともと、本作の配給を予定していたのは、アマゾン・スタジオである。あのAmazonが2014年に設立した会社で、ウディ・アレンとは、映画『カフェ・ソサエティ』『女と男の観覧車』と、アマゾン・プライムビデオ用のドラマシリーズ『ウディ・アレンの6つの危ない物語』で、すでに組んでいた。さらに、アマゾンとアレンは、2017年に4本の映画に関する契約を交わしており、その第1作目が、『A Rainy Day in New York』となるはずだった。

 予定が狂ったのは、いわゆる「#MeToo運動」による排斥キャンペーンの影響によるものだった。かつて、ウディ・アレンは養女への性的虐待を疑われたことがあり、それが、このタイミングで再燃したのである。

 簡単に疑惑を振り返っておこう。事件があったとされるのは、今から27年前、1992年の8月4日である。当時、ウディ・アレンと女優のミア・ファローは、長年に渡るパートナー関係を解消しようとしていた。そのさなかに、当時7歳だったディラン・ファローに対してウディが性的ないたずらをしたとして、ファローが告発。アレンは、親権裁判を有利に運ぶためにファローが幼児の証言をでっち上げたと反論した。
 ニューヨーク州コネチカット州の検察が、それぞれ数ヶ月の調査を行ったが、アレンは逮捕されなかった。同時期に、社会福祉局も独自に調査を行ったが、信頼できる証拠はないと発表した。その後の親権裁判で、アレンは敗訴するが、ここでも虐待に関しての事実認定は見送られている。ミア・ファローは、民事でアレンを告発すると発表したが、これも実現しなかった。つまり、ウディ・アレンは、結局は性的虐待については、法的に訴えられなかったのである。こうして、事態はいったんは収束していった。

 2014年、今度はディラン・ファロー本人が養母に代わって、自らウディ・アレンを告発した。ニューヨーク・タイムズに発表した公開書簡では、アレンだけでなく、アレンとの共演者たちをも非難している。ケイト・ブランシェットエマ・ストーンスカーレット・ヨハンソンらの名前を挙げ、「もしも、あなたの子どもだったらどうするつもりですか」と呼びかけたのである。
 とりわけ注目されたのが、前年公開の『ブルー・ジャスミン』の好演で各賞にノミネートされていたケイト・ブランシェットだったが、「ご家族の皆さんは、つらい状況に長くあることと存じます。何とか解決策を見いだし、心の平穏を取り戻すことを願っています」と、お見舞いのコメントを発表するにとどめた。一方で、スカーレット・ヨハンソンは、「ガーディアン」のインタビューで、ディランの挑発に対して「私たち俳優は実情を知らないのだから、発言するのはかえって無責任にあたる」としたうえで、「起訴されたわけでも、有罪になったわけでもない。すべては憶測に過ぎない」とアレンを弁護した。

 この時点では、ディランの告発は、騒動にはなったものの、あまりまともには受け止められていない。賞レースに合わせてアレン以外の女優たちを巻き込むやり方への反発もあり、ディランを支持する側も、アレンへの評価が逆転するのは難しいと捉えていたようだ。アレンをはっきりと批判した俳優は、スーザン・サランドンエレン・ペイジなど少数にとどまっていた。ケイト・ブランシェットは、無事にアカデミー賞を受賞し、スピーチでアレンへの感謝を述べた*2

 アマゾン・スタジオが、『ウディ・アレンの6つの危ない物語』の制作を発表したのは、翌2015年1月である。つまり、ディランによる告発は、特に障害とはならなかったことがうかがえる。

 2016年5月には、ディランの弟で、ジャーナリストのローナン・ファローが、「ハリウッド・レポーター」にアレン批判の記事を寄せている。アレンの新作『カフェ・ソサエティ』のカンヌ映画祭出品に合わせて公表したと見られる記事では「アマゾンが彼の映画のために数百万ドルを投資し」「私が尊敬している人たちも含め、俳優たちが彼の作品に出演し続けている」ことを強く批判しているが、これも大きな反響はなかった*3

 こうした状況が一変したのが、のちに「#MeToo運動」と呼ばれる一連の動きだった。2017年10月5日に『ニューヨーク・タイムズ』に、大物プロデューサー、ハーヴェイ・ワインスタインの告発記事が掲載される*4。つづく10月23日にも、ローナン・ファローが『ニューヨーカー』に告発記事を発表*5し、ハリウッドは震撼した。これを期に、過去のさまざまな性犯罪が、次々と掘り起こされ、糾弾されていったのである。

 こうした粛清の嵐を追い風として、2017年12月に、ディラン・ファローは「#MeToo運動は、どうしてウディ・アレンを許しているだろうのか?」と題する記事をロサンゼルス・タイムズに寄稿した*6。内容は2014年の記事と同工異曲で、アレンと共演した女優たちを批判しているが、今回の反響の大きさは桁違いのものとなった。

 たとえば、グレタ・ガーウィグは、アレンの疑惑に対して「その件について話すのは難しい」と中立的な立場を通していたが、ディランに名指して批判された後、ニューヨーク・タイムズの取材に対して、「もしも、事実を知っていたら、彼の映画には出なかっただろう」とアレン批判に転じた。他にも、コリン・ファースミラ・ソルビーノマリオン・コティヤールら、過去にアレンと共演した俳優たちが、次々と「二度とアレンとは仕事をしない」という声明を発表した。また、『A Rainy Day in New York』に出演したティモシー・シャラメレベッカ・ホール、セレーナ・ゴメスらは、映画のギャラを全て寄付すると発表した。

 こうしてアレンは、不利な立場へと追い込まれていった。2018年1月16日には、IndieWireが「ウディ・アレンのキャリアは潰えた。なぜこんなにも時間がかかったのだろうか?」*7という気の早い記事を掲載するなど、事態は一気に急展開していったのである。1月18日に、CBSの番組『ディズ・モーニング』で、ディランのインタビュー映像が公開され、さらに追い打ちをかけた。1月20日には、「#MeToo」のパレードが開催され、運動は最高潮に達していた。

 一方で、アレンを擁護する共演者たちもいた。ダイアン・キートンハビエル・バルデムスカーレット・ヨハンソンは、ディランの示した踏み絵を拒否して、今後もアレンとは仕事をしていくと発言した。また、アレック・ボールドウィンのように、アレンが犯罪を犯した証拠は何もないと指摘する者もいたが、メディアの反応は概して冷たいものだった。

 2018年3月には、ケイト・ブランシェットが、CNNのインタビューで、『ブルー・ジャスミン』の件以来、はじめて騒動に言及し、虐待問題はあくまでも法のもとに公正に裁かれるべきであり、SNSは問題を啓発する役には立つが、決して裁判官や陪審員にはならないと自説を述べた*8が、これも批判を受ける。

 こうして過去の事件の再調査などは行われないまま、アレンは有罪を免れてきた犯罪者であるというイメージが形成されていった。

 4月には、ウディ・アレン自身が、アルゼンチンのニュース番組で初めて発言し「自分を訴えているのは、たった一人、しかも親権をめぐる家庭内での告発で、とっくの昔に無実となっている。それなのに、多くの被害者から糾弾されている人たちと一緒にされるのは腹立たしいことだ」*9と、不当なバッシングであると主張した。

 一方で、ディラン・ファローに対する、身内からの反論も登場した。

 2018年5月に、ディランの兄のモーゼス・ファローがブログを更新し、事件が起きたとされる当日、父や妹とずっと一緒にいたが、おかしなことは何ひとつなかったと記した。また、虐待に対して否定的だった乳母がほどなく辞めたことや、ディランの証言ビデオの信憑性を問うたセラピストが、ミア・ファローによって解雇されたことも暴露している*10

 9月には、アレンの現在の妻、スン=イー・プレヴィンが長年の沈黙を破って「ニューヨーク・マガジン」の取材に応じた*11。彼女はミア・ファローの元夫であるアンドレ・プレヴィンの養子だったが、ミアは、アジア系である自分を露骨に差別し、日常的に暴力をふるわれたと告白している。これは、モーゼス・ファローの過去の発言とも一致するが、スン=イーの虐待告発は、ディラン・ファローとは異なり、「#MeToo」運動に携わる人々の共感を呼ぶことはなかった。

 2018年8月には、アマゾン・スタジオが『A Rainy Day in New York』の公開を取りやめ、残り3本の契約も破棄したと、各メディアで報じられる。のちのアレン側の説明によれば、2018年1月、アマゾンから映画の公開を2019年に延期したいと申し出があり、アレンも、それを承諾した。ところが、そのすぐ後に、契約を一方的に打ち切るとの通知があり、約束した出資分の支払いも拒否されたという*12。(その後、アレンは、契約不履行でアマゾンを提訴することになる)

 事態が大きく進展したのは、翌2019年2月である。スペインに拠点を持つメディアプロが、ウディ・アレンの次回作を手がけると発表したのだ。同社は、以前にも、アレンがヨーロッパで撮影した『それでも恋するバルセロナ』や『ミッドナイト・イン・パリ』に共同出資し、興行的にも成功を収めていた。さらに、メディアプロは、アマゾンが権利を放棄していた『A Rainy Day in New York』を手に入れ、フィルムネイション社と共同で世界配給に乗り出すことも発表した*13

 7月には、次回作『Rifkin’s Festival』の記者会見が、ロケ地のイタリアで行われた。アレンは自身へのボイコットに対して、「何が起ころうと、ただひたすら仕事をしていくだけです」と発言。主演のジーナ・ガーションは、「私は良心にもとづいてこの場所にいます」とアレンを擁護した*14。ガーションは撮影終了後、Instagramにアレンとのツーショットを掲載し、アレンを讃えた。コメント欄には彼を非難するコメントが寄せられたが、ガーションは「彼は性的虐待者でありません」と応じた*15

 9月に「ハリウッド・レポーター」の表紙を飾ったスカーレット・ヨハンソンは、同誌において「彼はなんでも率直に話してくれる。彼は無実を主張しているし、私もそれを信じる」と、改めてアレンを擁護し、今後もアレンと仕事をしていきたいという意向を表明した*16

 その数日後、アレンは取材に応じ、近況について語っている。『A Rainy Day in New York』については、「世界中で公開されている。もし、人々が映画を楽しんでくれたなら、いつかはアメリカでも公開されるだろう」と述べ、ティモシー・シャラメら出演俳優たちが作品との関係を断とうとしている点についても「とくに問題ではない」と答えた。
 また、アレンは、ディラン・ファローの告発に対して、「どうでもいいことだ。私はハリウッドで働いたことはない。ずっとニューヨークで仕事をしてきたのだし、まるで関係がない。仮に、誰もが映画や舞台への出資をしてくれなくなったり、本を出版してくれなくなったとしても、それでも私はものを書くことを止めないだろう。ずっと私は働き続けるし、それがお金になるかどうかは、また別の問題だ」と応じた。『Rifkin’s Festival』は、すでに撮影を終え、今は新しい脚本を執筆中であることも明かしている*17

 ここでようやく、冒頭に話は戻る。『A Rainy Day in New York』は、フランスで評判となり、ほかにも、ポーランドリトアニアギリシャ、オランダ、トルコで上映されている。さらに、イタリア、スペイン、メキシコなどでも上映予定がある。

 ウディ・アレンのキャリアを抹殺しようとする、ディラン・ファローとローナン・ファローの試みは、一時は成功するかに見えたが、どうやら今回も失敗に終わりそうな気配になってきた。
 ファロー姉弟が目指したのは、過去の事件を再検証してアレンの有罪を証明しようというものではなく、ハリウッドの企業や俳優たちに、アレンと仕事をすれば評判が悪くなるとプレッシャーをかけることだった。このやり方は功を奏し、超巨大企業のアマゾンが、アレンとの関係を(訴訟のリスクを負ってまで)断つまでになった。

 しかし、アレン映画をボイコットする動きは、すでに収まってきている。「#MeToo運動」自体が落ち着きを見せ、ハリウッドの関係者が性犯罪に関するコメントを強要されるようなことも少なくなった。アレンの問題についても、「事実がわからない以上はなんとも言えない」という穏当な発言が許される雰囲気になっている。前出のケイト・ブランシェットの他にも、クリステン・スチュワートジェシー・アイゼンバーグジュード・ロウケイト・ウィンスレットペネロペ・クルスといった俳優たちは、今後アレンと仕事をすることを否定していない。『A Rainy Day in New York』の好評は、こうした流れを強めていくことになるだろう。

 以前、アレンのキャリアは終わったと早まって書いてしまったIndieWireは、最近も『A Rainy Day in New York』の酷評を掲載し、同作がアレンの最後のアメリカでの映画となるだろうと指摘している*18。しかし、今度の予測も外れるかもしれない。アメリカの映画芸術科学アカデミーは、「#MeToo運動」を受けて、過去に性犯罪を犯したハーヴェイ・ワインスタインビル・コスビーロマン・ポランスキーの3人を除名処分としたが、アレンは対象とはしなかったからである。

 最後に、「ウディ・アレンは、ディラン・ファローに性的虐待をおこなったのか?」という点について、個人的な見解を書きとめておきたい。まず、アレンが犯罪を犯した証拠とされるのは、当時7歳だった少女の証言以外にはなく、養母による捏造、刷り込みの疑いが持たれている。アレンは一度もこの件で、法的に裁かれたことはない。
 アレンが性犯罪で訴えられたのは、後にも先にも、この一度きりであり、ほかには噂すら立ったことがない。一般的にペドフィリアは再犯性が高いとされており、ロマン・ポランスキーなども、複数の告発を受けていることを考えると、アレンがそうした病的な資質を持っているとは考えづらいのではないか。

 一部のメディアは、アレンが養女のスン=イー・プレヴィンと交際したことを、アレンがロリコンである証拠であると(今でも)書き立てているが、二人の発言を信じるならば、彼らの交際はスン=イーが成人してから始まっている。彼女は、自分の父親はアンドレ・プレヴィン一人であり、ウディは母親の恋人の一人に過ぎなかったとも発言している。そして二人がその後結婚し、現在も夫婦関係が続いていることをみれば、逆に、アレンが少女に性的な関心を持っていない証拠であるように思える。
 

「Netflix最強コンテンツ、『ストレンジャー・シングス』が変えたもの」(宇野維正 )で、本当は変わっていないもの。

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 基本的に苦手な人の文章は、なるべく見ないようにしているのだが、『ストレンジャー・シングス 未知の世界』に関するコラムということで、目についてしまった。作品そのものではなく、宣伝についての話だ。

news.yahoo.co.jp

 宇野はまず、1985年が舞台となるシーズン3において、当時コカ・コーラ社が発表して、すぐに市場から消えた新製品「ニュー・コーク」(宇野は”ニューコーク”と表記)が登場することに触れる。Netflixが協力を要請したところ、コカ・コーラ社は期間限定でニュー・コークを復活させ、映画館でCMを上映したという。

映画やドラマの世界では「プロダクトプレイスメント」という、劇中に商品を出す宣伝手法が長年とられてきた。しかし、『ストレンジャー・シングス』の場合はその発想が逆。作品の制作のために要請した協力が、そのまま大規模なタイアップへと発展していった。コカ・コーラ社は「歴史の汚点」であった「ニューコーク」が作品でフィーチャーされることを面白がって、期間限定で「ニューコーク」を34年ぶりに復活させることを決定。『ストレンジャー・シングス』のキャラクターが登場するコマーシャルまで制作して、それを全米の映画館で上映した。

 まず、ここで「発想が逆」と言っているのが、よくわからない。「映画に実在の商品を出すのではなくて、映画の商品が現実に売られていて凄い!」という意味らしいのだが、それって普通のことですよね? 宇野本人も「タイアップ」という用語を使っているように、発想を逆転させるまでもない、昔からある宣伝方法だろう(古い商品の再販という手段そのものは珍しいとしても) また、宇野は、この商品展開をコカ・コーラ社が「面白がって」決めたかのように書いているが、Netflixコカ・コーラ社という世界有数の大企業が、そんな軽いノリでビジネス展開を決めたとも考えづらく、むしろ周到なマーケティング戦略あってのことではないか。

ストレンジャー・シングス』シーズン3が配信されるタイミングで、公式にタイアップした企業はコカ・コーラ社のほか、アパレルではナイキとリーバイスH&M、ファストフードではバーガーキングバスキン・ロビンスサーティーワンアイスクリーム)。他にもマイクロソフトやエピック・ゲームズ(『フォートナイト』)などが、配信に合わせてキャンペーンを行なっている。いずれも単に作品名のロゴを使った商品を発売するのではなく、作品のために制作したキャップやTシャツやスニーカーの市販化、劇中に出てくるお店をそのまま再現しての店舗営業、作品の設定(『ストレンジャー・シングス』ではこの世界とは異なる「逆さまの世界」が描かれている)を模した逆さまのロゴを効果的に使った商品など、作品と企業が一緒になって「遊んでいる」ものばかりだ(ナイキ、リーバイスH&Mなどその一部は日本でも展開されている)。

 これも、『ストレンジャー・シングス』に限らず、よくある普通のタイアップ戦略であるとしか言いようがない。アメリカの事情はよく知らないが、日本でも、街を歩けば、マーベルやゴジラエヴァンゲリオンのグッズは、いくらでも目につくだろう。劇中に登場するアイテムの商品化も、比較的よく見られるタイアップだ。企業ロゴをネタにするのも、先日の『君の名は。』地上波放送で、提供クレジットを入れ替えたジョーク企画があったばかりである。宇野は『ストレンジャー・シングス』の広告戦略を「作品と企業が一緒になって「遊んでいる」ものばかりだ」と称賛しているが、消費者にそう思わせる――親しみをもたせる――ことこそがタイアップ宣伝の要なのは説明するまでもないだろう。

(略)NetflixAmazonプライムやHuluとはじめとする動画ストリーミングサービスの特徴は、ネット局のように広告収入によって成り立っているわけではなく、視聴者が直接契約したサブスクリプションの料金によって収益が支えられていること。ストリーミングサービスが急成長した背景の一つは、「コマーシャルを見なくていい」ことを視聴者が大きなメリットとしてとらえているからだとも言われている。

 しかし、結果として『ストレンジャー・シングス』はNetflixのイメージアップとともに多額の広告収入をもたらし、それを元手に映画館では独自のコマーシャルを上映し(コカ・コーラ)、ここ日本でも地上波で湯水のように『ストレンジャー・シングス』のコマーシャルを流しているわけだ。配信ではコマーシャルが排除されている一方、その外側には『ストレンジャー・シングス』の商品や広告が溢れかえっている。『ストレンジャー・シングス』は、そんなまさにもう一つの「逆さまの世界」も実現させたことになる。

 これまた、意味がわからない。「Netflixは広告を見せないことで視聴者を集めているのに、街では宣伝しまくっていて凄い!」ということらしいが、それって普通のことですよね?(本日2回め) そもそも、番組の放送中にCMを入れること(広告収入の手段)と、その番組自体を外部で宣伝すること(広告展開の方法)は、ぜんぜん別の事象であって、別に何かが逆さまになったわけでもない。CS局だって、オリジナルドラマを制作すれば、CMなしで放送するし、広告くらい打つでしょう。映画だって、上映前の予告編はともかく、本編上映中にCMは流せない――だからこそ「プロダクトプレイスメント」という間接的な広告収入の手段が発達した――が、駅やビルに看板は出す。どれも、昔から当たり前にやっていることであり、別に、「『ストレンジャー・シングス』が変えたもの」というわけではないはずだ。


ストレンジャー・シングス』の世界の重要な用語である”The Upside Down”は、日本語版では基本的に「裏側の世界」と訳されていると思う。宇野は、これを「逆さまの世界」と微妙に言い換えた上で、何か気の利いたことを言おうとしたのだろうが、残念なことに上手くいかなかった。むしろ、既成の訳の通り「裏側の世界」を使えば、もう少し当を得た内容なったのかもしれない。なぜなら、「プロダクトプレイスメント」と「版権ビジネス」も、「広告収入」と「広告展開」も、逆さまと言うよりは、表裏一体に結びついたありきたりな事柄なのだから。



参考URL
マーケティング史に残る失敗か、はたまた戦略的な“投資”か──。 発売即“大炎上”した「ニュー・コーク」の真実
https://www.cocacola.co.jp/stories/newcoke

・『君の名は。』CMで各社のロゴ“入れ替わる” ロッテとソフトバンクサントリー日清食品など
https://www.oricon.co.jp/news/2138939/full/

Netflixのドラマ「ストレンジャー・シングス」は、わくわく感をシーズン3で取り戻した
https://wired.jp/2019/07/07/stranger-things-season-3-review/

ル・モンドの批評家たちを熱狂させた1944年以降の映画100本

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『河』ジャン・ルノワール (1951)
雨月物語溝口健二 (1953)
東京物語小津安二郎 (1953)
七人の侍黒澤明 (1954)
『奇跡』カール・テオ・ドライヤー (1955)
『理由なき反抗』ニコラス・レイ (1955)
『めまい』アルフレッド・ヒッチコック (1958)
『ぼくの伯父さん』ジャック・タチ (1959)
大人は判ってくれないフランソワ・トリュフォー (1959)


『情事』ミケランジェロ・アントニオーニ (1960)
『穴』ジャック・ベッケル (1960)
勝手にしやがれジャン=リュック・ゴダール (1960)
『8½』フェデリコ・フェリーニ (1963)
シェルブールの雨傘ジャック・ドゥミ (1964)
『ポケットの中の握り拳』マルコ・ベロッキオ (1965)
『ペルソナ』イングマール・ベルイマン (1966)
『欲望』ミケランジェロ・アントニオーニ (1967)
少女ムシェットロベール・ブレッソン (1967)
『テオレマ』ピエル・パオロ・パゾリーニ (1968)
ローズマリーの赤ちゃんロマン・ポランスキー (1968)
『ケス』ケン・ローチ (1969)
『アントニオ・ダス・モルテス』グラウベル・ローシャ (1969)
アンドレイ・ルブリョフ』アンドレイ・タルコフスキー (1969)
『悲しみと哀れみ』マルセル・オフュルス (1969)


『早春』イエジー・スコリモフスキ (1970)
フレンチ・コネクションウィリアム・フリードキン (1971)
時計じかけのオレンジスタンリー・キューブリック (1971)
『Lo Scopone Scientifico』ルイジ・コメンチーニ (1972)
『トゥキ・ブゥキ/ハイエナの旅』ジブリル・ジオップ・マンベティ (1972)
『開いた口』モーリス・ピアラ (1974)
『パリの灯は遠く』ジョゼフ・ロージー (1976)
『Passe montagne』ジャン=フランソワ・ステヴナン (1978)
『破滅の愛』マノエル・ド・オリヴェイラ (1978)
『マンハッタン』ウディ・アレン (1979)
ディア・ハンターマイケル・チミノ (1979)
『エイリアン』リドリー・スコット(1979)


天国の門マイケル・チミノ (1980)
『エレファントマン』デヴィッド・リンチ (1981)
E.T.スティーヴン・スピルバーグ(1982)
『ファニーとアレクサンデル』イングマール・ベルイマン (1983)
『わが友イワン・ラプシン』アレクセイ・ゲルマン (1984)
『童年往事 時の流れ』ホウ・シャオシェン (1985)
ショアークロード・ランズマン (1985)
『メーヌ・オセアン』ジャック・ロジェ (1986)
『蜂の旅人』テオ・アンゲロプロス (1987)


『スモーキング/ノースモーキング』アラン・レネ (1993)
ピアノ・レッスンジェーン・カンピオン (1993)
『親愛なる日記』ナンニ・モレッティ (1994)
ジェラートの天国(神の喜劇)』ジョアン・セーザル・モンテイロ (1996)
『そして僕は恋をする』アルノー・デプレシャン (1996).
『一瞬の夢』ジャ・ジャンクー (1997)
『ライブ・フレッシュ』ペドロ・アルモドバル (1997)
HANA-BI北野武 (1997)
萌の朱雀』河瀨直美 (1997)
桜桃の味アッバス・キアロスタミ (1997)
ユマニテ』ブリュノ・デュモン (1997)


『囚われの女』シャンタル・アケルマン (2000)
ヤンヤン 夏の想い出』エドワード・ヤン (2000)
『裏切り者』ジェームズ・グレイ (2000)
千と千尋の神隠し宮崎駿 (2001)
鉄西区ワン・ビン (2003)
『Talaye Sorkh』ジャファール・パナヒ (2003)
『エレファント』ガス・ヴァン・サント (2003)
ミリオンダラー・ベイビークリント・イーストウッド (2005)
ヒストリー・オブ・バイオレンスデヴィッド・クローネンバーグ (2005)
『恋人たちの失われた革命』フィリップ・ガレル (2005)
『レディ・チャタレー』パスカル・フェラン (2006)
『ブレッド・ナンバー・ワン』ラバ・アメール・ザイメッシュ (2006)
4ヶ月、3週と2日クリスティアン・ムンジウ (2007)
『うつろいの季節』ヌリ・ビルゲ・ジェイラン (2007)
『ノー・カントリー』コーエン兄弟 (2007)
『ウォーリー』アンドリュー・スタントン (2008)
『My Magic』エリック・クー (2008)
『愛の勝利を ムッソリーニを愛した女』マルコ・ベロッキオ (2008)
預言者ジャック・オーディアール (2009)
『私たちの好きな八月』ミゲル・ゴメス (2009)
『ハートロッカー』キャスリン・ビグロー (2009)


『ミステリーズ 運命のリスボンラウル・ルイス (2010)
『シャッター・アイランド』マーティン・スコセッシ (2010)
ブンミおじさんの森』アピチャートポン・ウィーラセータクン(2010)
『Le BM du seigneur』ジーン・チャールズ・フエ (2011)
メゾン ある娼館の記憶』ベルトラン・ボネロ (2011)
メランコリアラース・フォン・トリアー (2011)
ホーリー・モーターズレオス・カラックス (2012)
『サウダーヂ』 富田克也 (2012)
愛、アムールミヒャエル・ハネケ (2012)
『湖の見知らぬ男』アラン・ギロディ (2013)
『贖罪』黒沢清 (2013)
『Tip Top』セルジュ・ボゾン (2013)
『アンダー・ザ・スキン 種の捕食』ジョナサン・グレイザー (2014)
『シリア・モナムール』 オサーマ・モハンメド/ウィアーム・シマブ・ベデルカーン (2014)
『禁じられた歌声』 アブデラマン・シサコ (2014)
アクエリアスクレーベルメンドンサ・フィリョ (2016)
マンチェスター・バイ・ザ・シーケネス・ロナーガン (2016)
『ビリー・リンの永遠の一日』アン・リー (2017)
『ムーンライト』バリー・ジェンキンス (2017)
ファントム・スレッドポール・トーマス・アンダーソン (2018).
『Mektoub, My Love: Canto Uno』アブデラティフ・ケシシュ (2018)
『ハイ・ライフ』クレール・ドニ (2018)

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