skyfall 映画の記録

cinemania’s diary

『Mank/マンク』は、いかに歴史的事実を改変したのか――マンキーウィッツの英雄化とオーソン・ウェルズの矮小化

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 デヴィッド・フィンチャー監督の『Mank/マンク』は、実在の脚本家ハーマン・マンキーウィッツの伝記映画である。物語は、彼が代表作である『市民ケーン』の脚本を執筆していた1940年3月から5月にかけての出来事が中心となり、そこに1930年代のさまざまなエピソードが回想として挟み込まれていく構成をとっている。
 本作の企画を知って最初に思ったのは、これはオーソン・ウェルズに対して批判的な内容になるのだろうなという事だった。『市民ケーン』の脚本は、マンキーウィッツとウェルズの連名となっているが、以前からマンキーウィッツは、映画のアイディアは自分のものであり、脚本は一人で書いたと主張し、ウェルズと対立していた。この議論が再燃したのは、1971年に映画評論家のポーリン・ケイルが「ニューヨーカー」誌に発表したエッセイ「Raising Kane」によるもので、ケイルはマンキーウィッツを擁護する立場を取り、ウェルズを批判している。この記事は大きな反響を呼び、さまざまな反論が書かれた。後に、脚本の原本が調査され、現在ではウェルズが脚本に関与していたことは事実として認められている。にもかかわらず、ウェルズがこの件で不当に振る舞ったというストーリーは、その後もくり返し語り続けられてきた。

『Mank/マンク』の主なテーマは、映画『市民ケーン』の脚本は、マンキーウィッツの1930年代における、さまざまな政治的失望が色濃く反映されているというものである。この主張のために、映画では、オーソン・ウェルズの功績は無視されるとともに、マンキーウィッツの政治的な態度も単純化されている。テーマに合わせて、多くの歴史的事実が改変されているのである。以下、簡単にファクトチェックを行ってみよう。

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・1940年2月、主人公のマンクが、ヴィクターヴィルの砂漠にある別荘に、脚本の執筆のために宿泊する。同行するのは、秘書のリタ・アレクサンダーと、お目付け役のジョン・ハウスマン。映画では、ハウスマンは別の建物に宿泊し、別の作業をしている事になっているが、彼の回想によれば、マンクと同じ別荘で寝起きし、脚本作業にも関わっていた。マンクが単独で脚本を執筆したことにするための脚色だろう。

オーソン・ウェルズは、マンクに対して、90日の執筆予定を一方的に60日に短縮させているが、そのような事実があったという資料はない。

・ウェルズは、電話で『闇の奥』という映画の準備中であることをマンクに告げる。実際には、『闇の奥』は、この時点では製作中止になっていた。そもそも『市民ケーン』は、『闇の奥』の代わりに急遽企画された映画なのである。ウェルズ自身は、この頃、マンクとは別に自分も『市民ケーン』の脚本を並行して書いていたと主張しているので、別の映画に関わっていることにした方が、マンク単独執筆説の信憑性が増すと判断したのかもしれない。

・マンクは、秘書のリタに脚本を口述筆記させる。リタはすぐに、この脚本がウィリアム・ハーストをモデルにしている事に気づく。この挿話はポーリン・ケイルの「Raising Kane」に登場するが、そこでは1925年の出来事とされ、相手もマンキーウィッツ家でベビーシッターをしていたマリオン・フィッシャーなる人物である。ケイルは、マンクが『市民ケーン』以前からハーストをモデルにした脚本を構想していたことを示す証拠として、この証言を紹介している。

(『Mank/マンク』は、「Raising Kane」を実質的な原作と呼んで良いほどに、多くの挿話を、ここから採用している。しかし、このエッセイは発表当時から、その偏った内容が批判されており、現在では、その事実関係をめぐる記述の多くが否定されている)

・回想シーン。1930年のハリウッド。マンクが友人のチャールズ・レドラーに「ここなら数百万ドルが掘り返せるし、しかも競争相手は馬鹿ばかりだ(MILLIONS ARE TO BE GRABBED OUT HERE AND YOUR ONLY COMPETITION IS IDIOTS. DON’T LET THIS GET AROUND)」と、脚本家になることを勧める電報を送っているが、実際には1925年にベン・ヘクトに送った文面であり、ヘクトの回想録『A Child of the Century』で紹介されている。(映画では、同じ文面を他人にも送ったと解釈している)

パラマウント・ピクチャーズで、マンクは脚本家のベン・ヘクトや監督のジョセフ・フォン・スタンバーグらと共に、社長のデビッド・O・セルズニックに「フランケンシュタインと狼男を合わせたような」ホラー映画のプレゼンテーションを行う。しかし、当時そうした企画があったという資料はなく、一流の脚本家であったヘクトらが、モンスター映画に関わろうとしていたとも考えづらい。

・マンクは、撮影現場に迷い込み、アーヴィング・G・タルバーグにルイス・B・メイヤーを紹介され、さらにマリオン・デイヴィスと会話を交わし、ウィリアム・ランドルフ・ハーストと出会う。主要人物が都合良く一度に出揃うのは創作だろう。ここでマリオンは、火あぶりになる場面を撮影しているが、彼女の評伝『CAPTAIN OF HER SOUL:The Life of Marion Davies』を執筆したララ・ガブリエルによると、マリオンの出演作品52本のどれにも該当する場面はない。

スコット・フィッツジェラルドがマンクの事を「破滅した男」と呼んだという挿話は「Raising Kane」で紹介されているが、それを弟のジョセフ・L・マンキーウィッツが兄のマンクに電話で伝えたというのは創作と思われる。

・弟は兄に、ウィリアム・ハーストをモデルにした映画をウェルズが作っている情報が出回っていることを告げるが、この時点で情報が外部に漏れていたとする証言や資料はない。実際には、映画の完成直前にマスコミ向けに秘密の試写会を行う予定が漏れたのがきっかけだった。

・1933年、ハースト邸のパーティでマンクがヒトラーの台頭を批判している。彼が反ヒトラーであったのは事実であるが、一方で、反ユダヤ主義者のリチャード・リンドバーグの支持者でもあり、アメリカの参戦に反対していた。ジョセフ・マクブライドは、『Mank/マンク』は彼の複雑な政治的立場を単純化していると指摘している。

・マンクとマリオン・デイヴィスは親交を深めていくが、実際に二人がこうした関係にあったという証拠はない。マリオンの愛人であるハーストは、彼女に禁酒をさせようとしており――映画でもそれを暗示する場面がある――酒乱のマンクを彼女に近づけたがらなかったと言われている。
 
・ハウスマンとマンクは「クビは未経験だ」「俺はクビばっかり」という会話を交わすが、実際には、この直前にハウスマンはウェルズと『闇の奥』の脚本をめぐって対立し、4年間にわたる協力関係を解消している。

・マンクは、最初の6週間で第1幕91ページしか脚本をかけずハウスマンから抗議を受けているが、実際には第1稿250ページを完成させている。またハウスマンも執筆に協力していた。直後、オーソン・ウェルズからの電話で、ウェルズがマンクが今書いている脚本の内容を知らないことが示されるが、実際には、マンクは原稿を書き上げた部分からウェルズに送っていた。そもそも、二人は事前に長時間におよぶミーティングをおこなっており、ウェルズはヴィクターヴィルを訪問したこともある。

・看護師のフリーダが、マンクは英雄だと話す。当時、看護師がいたのは事実だが、フリーダという人物は創作である。彼女は、マンクの支援のおかげで、自分や家族を含めた村人100人以上がドイツから逃れて来られたと言う。これは、リチャード・メリーマンの『Mank:The Wit, World and Life of Herman Mankiewicz』やシドニー・ラデンソン・スターンの『The Brothers Mankiewicz』といった評伝の挿話が元になっている。当時、父親のフランツがベルリンで生活しており、アメリカへの亡命者の保証人になってほしいと頼まれ資金援助をしたと発言している。事実関係は不明だが、同様の支援を行っていたウィリアム・ワイラー監督が13人の保証人になっていたという別の挿話を踏まえると、少なくとも100人以上を救ったという話は誇張だろう。

・同じ場面で、フリーダは、マンクが反ナチス映画の脚本を書いても映画会社が作りたがらなかったと話す。これは事実に基づいており、マンクは、1933年にサム・ジャッフェと共に、『The Mad Dog of Europe』というヒトラーを風刺した映画を構想していた。しかし、アメリカ映画製作配給業者協会(MPAA)や、ユダヤ人によって組織された反名誉毀損連盟からの反対を受け頓挫している。かえって国内の反ユダヤ主義者たちを刺激させて逆効果だと見なされたのである。

・マンクは弟から脚本家組合の活動に協力を求められるが断る。実際にも、組合活動に反対する新聞広告を出すなど、労働者の権利活動には批判的だった。

・MGMの社長ルイス・B・メイヤーは、従業員からフランク・メリアム候補の選挙資金を徴収する。マンクにも協力を求めるがマンクは断る。この選挙戦を扱ったグレッグ・ミッチェルのノンフィクション『The Campaign of the Century: Upton Sinclair’s Race for Governor of California and the Birth of Media Politics』では、寄付を拒否した作家たちの名前を特定しているが、マンクは含まれていない。同書における別の作家のエピソードを流用したのではないかとも指摘されている。

(『Mank/マンク』では、マンクが次第に左翼のアプトン・シンクレア候補に肩入れするようになっていくが、弟のジョセフとは異なり、実際にマンクがシンクレア候補を応援していたという証拠はない)

・タルバーグが、アプトン・シンクレアを落選させるためのフェイクニュース映画を製作したのは事実だが、そのきっかけを作ったのがマンクの「君はキングコングが巨大でメアリー・ピックフォードが処女だと信じさせることができる(You can make the world swear King Kong is 10 stories tall and Mary Pickford a virgin at 40)」という軽口だったという挿話の真偽は不明。

・マンクは13日で脚本をさらに200ページ以上書き上げたことになっているが、実際には第1稿をもとに約40ページ分に修正を加えている。「完成した脚本を書き直した」とするよりも「未完成の脚本を書き上げた」とした方が劇的という判断だろうか。

(なお、この場面において、『Mank/マンク』の上映時間のほぼ半分に到達しており、映画『市民ケーン』の脚本は、ここで一応の完成をみたことになっている。実際には、ここからウェルズによる大幅な改稿作業が約2ヶ月にわたって行われ、マンクの付けた『アメリカ人』という仮題も、ウェルズが改名するのだが、この映画では、そうした過程は全く描かれない)

・マンクは、シェリー・メトカーフが監督したフェイクニュース動画を見て愕然とし抗議する。しかし、マンクの評伝作家のシドニー・ラデンソン・スターンは、実際には彼自身がフェイクニュースの製作に関与していた可能性もあると指摘している。また、シェリー・メトカーフは架空の人物であり、実際に撮影したのは、フェリックス・E・フェイスト・Jr監督である。

・マンクがフェイクニュースの試写を見てすぐ、マリオン・デイヴィスがMGMからワーナーに移籍することを知る。マンクは彼女に、ハーストに働きかけてニュースの上映を止めてもらうよう懇願する。実際には、マリオンがワーナーと契約を結んだのは、ニュースが映画館で上映された10月19日よりも後の10月31日である。正式に移籍したのは翌年の1月1日付。

・マンクは、チャールズ・レドラーに『市民ケーン』の脚本を見せる。レドラーは、それが自分の叔母のマリオン・デイヴィスとハーストがモデルであることに困惑する。マンクは脚本のコピーをレドラーに渡す。これは「Raising Kane」に書かれた挿話であり、レドラーは脚本をマリオンとハーストに見せて秘密が露見したとされている。しかし、レドラー本人はこれは事実ではないと主張している。ピーター・ボグダノヴィッチのインタビューに答えて、レドラーは脚本の出来は悪かったこと、モデルはハーストではなく(別のメディア王である)ロバート・マコーミックだと思ったこと、脚本はその場で返却し、他人に渡したことはないことなど、「Raising Kane」の内容は「100%完全な嘘」だと断じている。

・マンクとメイヤーが選挙の結果をめぐって借金を帳消しにするかどうかで賭けをする。メイヤーがマンクの借金を気にかけていた挿話は「Raising Kane」にあり、そこから発想したと思われる。実際には、マンクが選挙をネタに賭けをしたという事実は確認されていない。また、選挙当日、マンクがフランク・メリアム候補の集会に出席していたという記録もない。

・ジョンがヴィクターヴィルを訪れ、マンクに兄貴がハーストに喧嘩を売ったという噂が広がっていると警告する。ジョンが来たことも、この時点で脚本の内容が流出していたことも、共に証拠がない。

シェリー・メトカーフはマンクの制止にも関わらず銃で自殺する。前述の通り、彼は架空の人物である。実際のフェリックス・E・フェイスト・Jr監督は戦後も活躍し、1965年に自然死した。

・脚本を読んだマリオン・デイヴィスがヴィクターヴィルを訪れ、マンクと映画について会話を交わす。しかし、彼女がヴィクターヴィルを訪れたという証言や記録はない。また、死後に出版された自叙伝『The Times We Had: Life with William Randolph Hearst』において、マリオンは当時『市民ケーン』の脚本を読む機会はなく、完成した映画も観なかったと証言している。

オーソン・ウェルズから電話があり、ハーストによる上映妨害やメイヤーによるRKO買収といった動きについて告げる。実際には、これらの出来事は半年以上も先、映画が完成した後に起こったことである。『Mank/マンク』では、ウェルズの撮った映画ではなく、マンクの書いた草稿がこれらの騒動を引き起こしたことに改変している。

・1937年、ハーストの晩餐会で酒に酔ったマンクは大演説をし、嘔吐する。「白ワインと魚が一緒に出てきた」という台詞は、酒乱だったマンクの有名なエピソードだが、実際には映画プロデューサーのアーサー・ホーンブロウ・Jrが主賓のパーティでの出来事と言われている。この台詞に限らず、場面全体が創作と考えられる。

・ウェルズが、ヴィクターヴィルを訪れ、マンクと『市民ケーン』に彼のクレジットを載せるかどうかで激しいやり取りをする。しかし、脚本クレジットをめぐる対立は、実際には8月末から翌1月にかけて起こっている。また、会話の内容も実情を無視している。例えば、この場面でウェルズは「約束を反故にしたら脚本家協会が調停に入る」と脅しているが、ハリウッドの異端児としてすでにバッシングを受けていたウェルズが、そのような認識をしていたとは考えにくいし、実際、のちに脚本家協会に訴えたのはマンクの方だった。映画でも触れられているように、マンクは高額のギャラと引き換えにクレジットを放棄する契約を合意の上で結んでいたが、ウェルズはこの契約を破棄せざるを得なくなった(映画では、この段階でウェルズがマンクのクレジットを認めたかのように描かれているが、実際には来年の出来事になる)

・同じ場面で、ウェルズはマンクに1万ドルを支払うから手を引くようにと持ちかけているが、これも「Raising Kane」の挿話に基づいている。これについてピーター・ボグダノヴィッチは「根も葉もない噂を事実かどうかも確認せずに書きっぱなしにした」と批判している。
 
・これも同じ場面で、ウェルズは激怒して酒の入った箱を壁に投げつける。それを見たマンクは、脚本にケーンが暴れる場面を付け加える。このくだりは、マンクではなくハウスマンの回想に出てくる挿話で、実際には『市民ケーン』よりも前の話になる。また、ウェルズ自身はハウスマンの作り話だと否定している。

・マンクとウェルズはアカデミー賞脚本賞を受賞する。ウェルズとは別に会見したマンクは、記者に対して「この賞をウェルズ氏抜きで受賞できてとてもうれしく思います。なぜなら、この脚本はウェルズ氏抜きで書かれたからです(I am very happy to accept this award in Mr. Welles’s absence because the script was written in Mr. Welles’s absence)」と発言する。これ自体は事実であるが、発言の内容そのものは事実ではない。ウェルズはマンクの書き上げた草稿を受け継いで、撮影台本として採用された第7稿まで改定を続けている。

(写真は、映画では描かれなかった、ヴィクターヴィルでくつろぐウェルズ、マンキーウィッツ、ハウスマン)

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【主な参考資料】

ポーリン・ケイル「Raising Kane」
https://www.newyorker.com/magazine/1971/02/20/raising-kane-i
https://www.newyorker.com/magazine/1971/02/27/raising-kane-ii
マンキーウィッツ単独脚本説を唱えた

ピーター・ボグダノヴィッチ「The Kane Mutiny」
https://classic.esquire.com/article/1972/10/1/the-kane-mutiny
・ケイルの主張に対する反論

ロバート・L・キャリンジャー「The Scripts of "Citizen Kane"」
https://www.journals.uchicago.edu/doi/pdf/10.1086/447995
・現存する脚本の全バージョンを精査し、ウェルズの関与を明らかにした論文

シドニー・ラデンソン・スターン「The Anti-Hitler Movie That Was Never Made」
https://www.commentarymagazine.com/articles/sydney-ladensohn-stern/the-anti-hitler-movie-that-was-never-made/
マンキーウィッツの幻の企画についてのエッセイ

ベン・アーワンド「The Chilling History of How Hollywood Helped Hitler」
https://www.hollywoodreporter.com/news/how-hollywood-helped-hitler-595684
・戦時中のハリウッドとヒトラーの関係についての記事

ジョセフ・マクブライド「Mank and the Ghost of Christmas Future」
https://www.wellesnet.com/mank-welles-mcbride/
・『Mank/マンク』を含めたオーソン・ウェルズの描かれ方についての批判

トム・シェイルズ「The Grand Old Grouch」
https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/1988/11/01/the-grand-old-grouch/2cda3c39-0444-42e2-9249-abd8a2429331/
マンキーウィッツの戦時中の活動についてのエッセイ

マシュー・デッセム「What’s Fact and What’s Fiction in Mank」
https://slate.com/culture/2020/11/mank-movie-accuracy-david-fincher-upton-sinclair-netflix.amp
・『Mank/マンク』の事実関係をめぐるエッセイ

「Mank (2020) – Transcript」
https://scrapsfromtheloft.com/2020/12/04/mank-2020-movie-transcript/
・映画シナリオ

「Nerding Out With David Fincher The director talks about his latest, Mank, a tale of Hollywood history, political power, and the creative act.」
https://www.vulture.com/2020/10/david-fincher-mank.html
デヴィッド・フィンチャー監督のインタビュー

『スキャンダルの祝祭』(ポーリン・ケール、小池美佐子訳)新書館 1987年
・「Raising Kane」の翻訳
オーソン・ウェルズ偽自伝』(バーバラ・リーミング、宮本高晴訳)文藝春秋 1991年
・ウェルズの唯一の公認評伝
『「市民ケーン」、すべて真実』(ロバート・L・キャリンジャー、藤原敏史訳)筑摩書房 1995年
・作品の成立過程を追ったメイキング本
オーソン・ウェルズ その半生を語る』(ジョナサン・ローゼンバウム編、河原畑寧訳 キネマ旬報社)1995年
ピーター・ボグダノヴィッチによるインタビュー集

「児童ポルノ」か「社会批判」か――Netflix映画『キューティーズ!』が遭遇したボイコットをめぐって

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映画『キューティーズ!』の二つのアートワーク

『キューティーズ!』というささやかなフランス映画が、大きな騒動の真っ直中にある。監督のマイモウナ・ドゥクレは、セネガル系フランス人で、本作は彼女の長編映画デビュー作にあたる。

 映画の主人公は、11歳の少女アミで、ドゥクレ監督と同じく、イスラム教徒でセネガル人の両親を持ち、パリに住んでいる。彼女は抑圧的な家庭環境から逃れるように、同世代の少女たちのダンスチームに入るが、そこでも人間関係の軋轢や、好奇の目に悩まされることになる。映画は、女性蔑視的な社会構造や、メディアによる性的なイメージの氾濫にも批判的であり、爽快なダンススポーツ物や前向きな自己実現の物語を期待した観客は裏切られることだろう。

『キューティーズ!』は、今年2020年1月に、アメリカのサンダンス映画祭で初上映された。古くは、コーエン兄弟から、クェンティン・タランティーノトッド・ヘインズライアン・クーグラーらを輩出したことで知られ、新人監督の発掘では定評のある場所である。ワールド・シネマ・ドラマ部門に出品された『キューティーズ!』は、批評家からの称賛を受け、監督賞を受賞した。8月には、本国フランスで劇場公開されたが、その他の国では、Netflixが独占的な権利を獲得し、9月9日に一斉配信することが決まっていた。

 映画祭でもフランスでも高い評価を得て順風満帆だった『キューティーズ!』は、そこから一転して厳しい批判にさらされることとなる。

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 事件は、8月20日Netflixが本作の予告編と宣伝用のアートワークを発表したことに端を発する。後者は映画のクライマックスであるダンスシーンをイメージしたもので、少女たちが露出の多い衣装を身にまとって挑発的なポーズを取っているという内容だった。主にアメリカで、この画像が大きな反発を招いた。メディア監視団体の「ペアレンツ・テレビジョン・カウンシル」が、いち早くNetflixへ『キューティーズ!』の配信停止を要求したほか、Twitterでは、著名人を含めた多くのアカウントが、問題のアートワークや予告編から切り取られた動画をシェアし、これは児童ポルノにあたると批判した。

 のちに触れるように、ドゥクレ監督は、このアートワークを事前にチェックしていなかった。フランス本国でのポスターは、映画のワンシーンを切り取ったもので、少女たちをロングショットで捉えている。おそらく、この図案であれば批判は受けなかったのではないか。

 Netflixは、こうした反発に素早く対応した。問題のポスターをすぐさま撤回し、「私たちは、『キューティーズ!』に用いた不適切なアートワークについて深くおわびします。それは適切ではなく、サンダンスで受賞したフランス映画の内容を反映したものでもありませんでした。私たちは、画像と説明文を更新しています」という謝罪文を掲載したが その一方で、予告編はそのまま残し、配信予定日も変更しなかった。*1

 『キューティーズ!』へのバッシングは、これで収まるどころか、9月に入って、ますます加熱していった。ネット上では作品に対してだけでなく、Netflixの解約運動が起こり、賛同者は増える一方だった。

 9月3日、マイモナ・ドゥクレ監督への、騒動が起きてから初めての取材記事(英語)が掲載された。そこで彼女は、フランスでの公開準備に追われていて、問題になったポスターは自分もネットで初めて知ったこと、Netflixの最高責任者であるテッド・サランドスから、直接謝罪の電話があり、自分は何も恨んではいないこと、インターネットでの批判は、実際に映画を観ていない人達によって主導されており、すでに何件かの脅迫を受けていることなどを述べている。*2

 配信初日の9月9日には、ドゥクレ監督が自ら演出意図を語る動画がYouTubeで公開されたが、低評価が高評価の10倍以上もクリックされた。その日「キャンセル・Netflix」のハッシュタグが、ついに米国でトレンド1位となり、解約署名は60万人を突破した。その翌日には、Netflixの株価は3.9%も下落したという。*3 *4 *5

 Netflixは、アートワークを取りさげた後は事態を静観していたが、映画の配信が始まると、ドゥクレ監督と『キューティーズ!』へのバッシングに対して声明を発表する。「キューティーズ!』は幼い子供たちの性的化(sexualization)へ反対する社会的な論評である。これは賞を得た映画であり、少女たちがソーシャルメディアや社会からの圧力に直面しながら成長していく姿を描いた力強い物語である。これらの重要な問題に関心を持つ方には、ぜひこの映画を見てほしい」*6

 9月11日には、ワシントン・ポストが『キューティーズ!』を擁護する記事を掲載した。記事は、まず映画を批判する者たちの多くが、実際には作品を観てはいないことや、保守派の政治家によって政治利用されていること――これは後述する――を指摘する。そして映画の内容に細かく触れていき、ドゥクレ監督の意図は、少女たちを取り巻くソーシャルメディアの問題や、性的であることが女性的であるという価値観に異議を唱える点にあり、むしろ保守派が賛同しそうな内容であると説く。映画では、主人公たちは露出度の高い衣装を着たり挑発的なダンスを披露したりするが、映画は彼女たちの行動を称賛されるべきものとしては描いていない。問題となったクライマックスのダンスシーンについても、観るものをうんざりさせるような描写になっており「その選択が気に入らなかったり、意図したような効果を上げていないと捉えたとしても、それでドゥクレ監督が邪悪なポルノ作家になるわけではない。単に野心的であろうとした映画監督でしかない。」そして記事は以下のように締めくくられる。「不快感を与えようとしている映画を非難することは、その不快感を受け止めて分析することよりも容易だということは知っている。しかしながら、11歳の道徳教育を扱った映画によって、これほど大勢の大人たちが愚かな振る舞いを見せていることは残念だ。」*7

 同じ11日に、ドゥクレ監督のインタビューが掲載された。映画の着想は、実際に、パリで少女たちがセクシーなダンスを踊っているステージを目撃ことがきっかけだった。監督は、100人以上の少女たちに聞き取り調査を行い、彼女たちが女性らしさというものをどう捉えているのかを探っていった。また、主人公のアミには、自伝的な要素が反映しており、自分もセネガルと西洋の文化に引き裂かれていたと語る。そしてドゥクレ監督は、子役たちとは信頼関係で結ばれており親からも理解を得られていると主張した。撮影中は、児童心理学者が立ち会い、映画がバッシングを受けている今現在も彼女たちをサポートし続けている事も明かしている。騒動の発端になったアートワークについては、事前のチェックを怠っていたことを認め、次の機会があればもっと時間をかけて準備してきたいと反省点を述べている。「配信の始まった今、批判する人たちが映画を観てくれる事を期待しています。幼い子供たちの性的化を批判するという点で、私たちは同じ立場にいるのだと気がついてほしいのです。」*8

『キューティーズ!』は、保守系の政治家たちからは格好の標的となっていた。9月14日には、共和党テッド・クルーズ上院議員がFOXニュースに出演し、これは児童ポルノであると公然と批判した。司法省に対して、児童ポルノの制作と配布を禁じた連邦法に違反した疑いで調査を行うよう要請したと発言し、さらにクルーズは、唐突にバラク・オバマの名前を出し、「彼らは児童虐待で荒稼ぎしている」と主張した。*9(注:オバマ前大統領は夫人と共に、Netflixでドキュメンタリー『ハンディキャップ・キャンプ:障がい者運動の夜明け』などをプロデュースしているが『キューティーズ!』とは無関係である) 

9月14日、ドゥクレ監督はトークイベントに参加し、そこで今回の騒動について改めて言及した。「私はこの映画が受け入れられると思っていました。サンダンスで上映されたときは、アメリカの人々にも見てもらいました。これはフランス社会だけの話ではありません。子供たちの過激な性的化はソーシャルメディアを通じて行われており、そしてソーシャルメディアはどこにでもあります。サンダンスではその事を理解してもらえました。私たちは子供たちを守らなければなりません。私が望むのは、この問題に対して啓発し、解決の道を探ることです。」*10

 翌9月15日には、フランスの配給元であるBac Filmsのデヴィッド・グルムバッチCEOが取材に応じ、作品を擁護した。「私が考えるに、一連の抗議は右翼、つまり超保守の周辺から来たものだと思っている。」「フィルムメーカーたちの自由を守るために、私たちは強く団結しなければならない。それはフランスだけでなく、ハリウッドにとっても同じことだ。『タクシードライバー』において12歳で売春婦を演じたジョディ・フォスターや、『リトル・ミス・サンシャイン』、その他数え切れないほどの映画がボイコットされてきたが、もしも私たちが、このような保守主義に屈していたら、中絶や暴力などを扱った映画を作ることはできなくなる。何かを批判するためには、それを描く必要があるからだ。」「最終的には、この論争が世界中の政治家たちを動かして、あらゆる子供たちの保護を強化するような重要な法律が作られることを願っている。」*11

 同じ15日には、リサーチ会社が、ボイコット運動の反響についての調査結果を発表した。それによると、『キューティーズ!』が配信された翌日の10日より、Netflixの解約率が上昇を始め、12日には、先月平均の8倍近くにまで昇り、数年ぶりの高い数値となったという。一方でNetflixが発表した視聴者数ランキングでは映画部門の4位に入っており、良い意味でも悪い意味でも、一連の騒動が作品への関心を高めていることは明らかだった。*12

 17日には、右翼系メディアの「ザ・デイリー・コーラー」が、司法省に対し、児童ポルノの疑いでNetflixを調査するよう求める書簡が、上下院議員34人の署名のもと提出されたと報じている。*13

 9月18日、ついにフランスの映画機関であるユニフランスが、『キューティーズ!』とマイムナ・ドゥクレ監督を「全面的に支援する」公式声明を発表する。「この若い作家に限らず、世界のあらゆるアーティストにとって、芸術的創造と流通が保証される事は極めて重要だ。これは自由と多様性を護る戦いである。」と強い姿勢を見せた。ドゥクレ監督自身は、前出の講演で、この問題がアメリカ対フランスの図式に持ち込まれることを警戒しているが、実際にはそうした方向性へと流れつつある事態となっている。*14

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 ここで話は、唐突にそれるが、ちょうど同じころ、似たような騒動が別の場所でも起こっていた。作家のJ.K.ローリングが別名義で書いたミステリー小説『Troubled Blood』が、発売前からトランスジェンダー差別だと、あらぬ嫌疑をかけられたのである。

『Troubled Blood』は「私立探偵コーモラン・ストライク」シリーズの第5作で、日本では講談社より2巻が翻訳されている。ドラマ化もされた人気シリーズということで、発売前から多くのメディアに書評が掲載され、その多くが好意的な内容だった。ところが、その中にひとつだけ、この作品は差別的だと騒ぎ立てた雑誌があった。小説の中には女装して被害者に近づく殺人犯が登場し、差別を煽っているというものだった。ローリングは過去にもトランスジェンダーをめぐるTwitter上での発言が問題視されていたこともあって、この話題はたちまち拡散し、「ピンクニュース」などフェミニズム系のメディアを中心に、ローリングを非難する記事が争うように掲載された。Twitterでは「ローリング死亡」を意味する悪趣味なハッシュタグがトレンド入りし、『ハリー・ポッター』を焚書する画像や、ローリングへの殺害予告など、暴力的なツイートが大量に拡散された。(日本でも、フェミニズム色の強い「WEZZY(ウェジー)」や海外ゴシップ専門の「フロントロウ」といったウェブメディアが、ローリングを他人の受け売りだけで一方的に中傷する記事を平然と掲載している*15

 また、AmazonUKや、Goodreadsなどのユーザー欄は、トランス活動家たちによって大量に星ひとつのレビューが投稿されるという被害を受けた。*16 ためしに低評価レビューを幾つかチェックしてみると、ほとんどが判を押したように「トランス恐怖症」という言葉で作者を中傷するばかりで、本の内容についての具体的な言及を欠いており、これは「タイムズ」も指摘するように、読まずに投稿した荒らし行為と判断しても良いだろう。
 しかし、こうしたヒステリックなバッシングも、いざ単行本が発売されてしばらく経過すると、急速にしぼんでいった。なぜか。すでに幾つかの記事が指摘していたように、実際の『Troubled Blood』において、「女装する男」は数多い登場人物の中の脇役に過ぎず、物語の真の悪役は他にいるのである。そして差別的と叩かれた「女装」場面も、たった一行、簡潔な表現があるだけだった。かくして、デマはあっさりと露見し、「タイムズ」「スペクテイター」「ガーディアン」といった大手メディアがローリングを擁護する公平な記事を出したり、各書評サイトでも、今や絶賛票が嫌がらせ票を数で上回るようになった。*17 *18

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長々と脱線してしまったが、あの作品は問題があるらしいから見ないで批判しても構わないという考え方が、いかに危険で愚かであるかは、いまさら説明の必要もないだろう。ただ、ローリングの一件は、幼稚なデマの一言で片付けられるとして、『キューティーズ!』については、大きな論点が残っている。作者たちの目的が、児童を性的に消費することではない事を認めるとしても、実際に年端も行かない少女たちにセクシーな演技をさせるのでは、台無しではないかという批判である。もともと、子役に、どこまでの演技が許されるのかという議論は、かなり以前からあった。児童虐待の場面を演じさせるのは、それ自体が虐待ではないか、ホラー映画などで、子供が殺される場面は避けるべきではないか、といった論争は、たびたび起きていた。そういう意味では、決して目新しい話ではないのだ。

 特にヨーロッパでは、児童を性的なイメージで捉えたり、性的化の問題を扱った映画は、それなりに数多く作られているが、賛否を呼ぶことはあっても、ここまでの騒動に発展したという話は聞かない。*19 身も蓋もない言い方になるが、もしも『キューティーズ!』がミニシアターで上映され、文脈をわきまえた少数の観客たちだけに供給されていれば、問題にすらならなかったのではないか。

 これはNetflixに代表される定額配信プラットフォームが、必然的に抱え込んでしまった爆弾なのかもしれない。ハリウッドの大作も、韓国のテレビドラマも、日本のアニメも、アート系の作品も、すべて横並びに配信する、その利便性は計り知れないが、一方で、単一の感性や価値観によって作品が判断され得るという弊害も生じる。

 この文章を書き綴っている9月26日現在、Netflixは新たなトラブルの渦中にある。中国のベストセラー小説『三体』をドラマ化する企画に対して、保守系議員たちが政治的に問題があると批判し、それに対する反論の声明を出したのである。おそらく、これは今回の『キューティーズ!』や、ディズニープラスで配信された『ムーラン』をめぐって起きたバッシングの延長戦といった気配が強い。*20 今後もこうした衝突は、あちこちで起こるのだろう。

*1:https://twitter.com/netflix/status/1296486375211053057

*2:https://deadline.com/2020/09/cuties-director-death-threats-netflix-poster-backlash-ted-sarandos-called-apologize-1234569783/

*3:https://www.youtube.com/watch?v=Q8dsjAoazdY&feature=emb_title

*4:https://variety.com/2020/digital/news/cancel-netflix-backlash-cuties-sexualized-girls-1234765747/

*5:Netflix Stock Dropping Amid 'Cuties' Controversy

*6:Netflix Defends Cuties as Social Commentary on Sexualization of Girls - Variety

*7:Opinion | The people freaking out about ‘Cuties’ should try it. They might find a lot to like. - The Washington Post

*8:https://zora.medium.com/the-director-in-the-middle-of-the-cancelnetflix-backlash-speaks-out-90b58f5afc64

*9:Sen. Ted Cruz calls out 'Cuties' for 'sexualization of 11-year-old girls' - New York Daily News

*10:Cuties Director Maimouna Doucouré: I Share 'Same Fight' as My Critics - Variety

*11:'Cuties' Distributor Says Freedom of Expression Is Under Threat - Variety

*12:'Cuties' Backlash: Netflix Cancellations Hit Record Levels - Variety

*13:https://dailycaller.com/2020/09/17/lawmaker-barr-netflix-child-pornography/

*14:UniFrance soutient Maïmouna Doucouré et son film Mignonnes - UniFrance

*15:デマを含んだ記事はリンクしません。

*16:Trans activists deluge JK Rowling’s new Cormoran Strike book with bad reviews | News | The Sunday Times

*17:JK Rowling's latest novel isn't 'transphobic' | The Spectator

*18:JK Rowling's Troubled Blood: don't judge a book by a single review | Books | The Guardian

*19:前者の例として、ルシール・アザリロヴィック監督の『エコール』、後者の例として、エヴァ・イオネスコ監督の『ヴィオレッタ』を挙げておく。

*20:https://deadline.com/2020/09/netflix-china-response-senators-republican-liu-cixin-three-body-problem-game-of-thrones-1234585716/