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cinemania’s diary

てらさわホークの『シュワルツェネッガー主義』は、どこが問題なのか。

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 先日図書館で、てらさわホークの『シュワルツェネッガー主義』(洋泉社)という本を借りてきた。数ヶ月ほど前、新刊書店で見つけたときは、タイトルにも著者名にも惹かれるものがなかったのだが、無料だし暇つぶしにはなるだろうと、軽い気持ちで読み始めたもの、これが何とも酷い内容で、たびたびページをめくる手が止まり、不可解な点を調べるため、本棚をあさったり、ネットをさまよったりと、思わぬ時間を取られてしまった。このままスルーしても良かったのだが、せっかくなので簡単な記録くらい残しておくことにした。

 序章にあたる「はじめに」で、まず著者は、シュワルツェネッガーの魅力について、「どこがいいのだろう?」(P7)「今でもその魅力を言語化できずにいる」(同)と書く。読者とすれば、これは当然、導入のための方便であり、これから、一冊をかけて「言語化」していく過程が読めるのかと期待するだろう。しかし、それは裏切られる。最終章の結末部における「理由はわからない」(P290)に至るまで、著者は、ほとんど分析という作業を投げ出しているからである。

 では何があるのかと言うと、基本は他の著書から拝借した情報と、作品に関する素朴な感想である。300ページ足らずの本とは言え、これだけ無内容な本も珍しいだろう。

 だいたい、「シュワルツェネッガー主義」というタイトルからして意味不明だ。表紙には”Schwarzenegger-ism”なる謎の英訳も書かれているが、もちろんそんな用語は存在しない。この本を手にした時は、シュワの映画作りに対する理念なり方向性を分析した本か、あるいは著者がシュワの映画から読み取った何らかのモチーフについて研究した本か(あるいは、その両方か)という期待も無いではなかったのだが。そもそも「シュワルツェネッガー主義」という言葉が、本文には出てこない。いぶかしみながら読んでいると、全体の五分の二ほど進んだ第4章で、ようやく次のようなフレーズが出てくる。
 「シュワルツェネッガー映画。いずれも鈍器で思い切り殴りつけるようなバイオレンスと不器用なひとこと台詞に満ちて、唯一無二の味わいがあることだ」(P123)
 まあ、議論の取っ掛かりとしては、この程度の漠然とした定義でも構わないかもしれない。しかし結局、著者は、このイメージを発展させることも論理的に分析することもできない。

 第6章に入っても、『トータル・リコール』(1990)について、シュワが何故この企画に執着したのか「考えるほどに分からなくなる」(P165)などと言いつつ、考えることを放棄している。しかし、シュワがその後に自らプロデュースした『ラスト・アクション・ヒーロー』(1993)と『シックス・デイ』(2000)の二作品も、主人公が自分が偽物ではないかと悩む話であり、もう一人の自分と相対する場面が出てくる事からもわかるように、シュワが、『トータル・リコール』が描くアイデンティティの崩壊というモチーフに愛着を持っているのは明らかなのであるから、そこを掘り下げていかないと映画評論とは、とても呼べないだろう。ずっと後の箇所で、『ターミネーター:新起動/ジェニシス』(2015)の、過去の自分との対決シーンに言及するなど、問題のポイントは把握できているのに、深く踏み込もうとはしない。

 最終章にいたっても、『サボタージュ』(2014)の構成の奇妙さに触れつつ、「往年のアクション・アイコンは、その作家性さえも飲み込んで、このさいシュワルツェネッガー映画と呼ぶ他ない何物かに変えてしまった。」(P177)と言った感じで、とにかく、最初から最後まで、根拠のない断言や曖昧なごまかしが非常に多い本である。

***
 
 この本の前半は、シュワの生い立ちや作品の成立過程についての細かな記述があり、予備知識のない読者であれば、それだけで興味深く読めるのかもしれない。ただ、それらの情報は、著者が主体的に集めて構成したというよりは、すでに先行して発表された書籍やウェブからの流用が目立つ。そもそも著者は、関係者への取材を全く行っていないようなので、受け売りに終始するのは仕方がないとしても、あまりに安直に思える箇所が多い。 

 例えば、『トータル・リコール』の章におけるメイキング部分は、かなりの部分が、デヴィッド・ヒューズの著書”Tales From Development Hell: The Greatest Movies Never Made?”が出典であると推測できる。映画化権は1974年に取得、監督の初期候補はリチャード・ラッシュとルイス・ティーグ、クローネンバーグは脚本を12回書き換えた、といったデータ部分は、だいたいこの本の数ページ分で補えるからである。「火星のレイダース」(P151)といった表現も、同書の”Raiders of the Lost Ark Goes to Mars”を、そのまま訳したのだろう。

 著者の名誉のために付け加えておけば、巻末の参考文献には、ヒューズの書名も記載されており、盗作だのパクりだのと非難する意図は、こちらには全くない。しかし例えば、先ごろ出版された『幻に終わった傑作映画たち』(竹書房)では、きちんと「デヴィッド・ヒューズ著の「Tales from Development Hell」(未邦訳)で、アロノフスキーはそううそぶいている。」(P189)といったように、本文で出典を明らかにしつつ作品を紹介していた。どちらの姿勢が読者に対し誠実なのかは述べるまでもないだろう。

 参考文献と言えば、同じ章で著者は、十字軍の侵攻を描く大作『クルセイド』の企画が頓挫した理由として、とある「エピソードが残っている」(P167)と、「EMPIRE online」の記事を、かいつまんで紹介するのだが、本文はもちろん巻末の参考文献としてすら挙げていないのは何故なのだろう? 同サイトの他の記事は掲載しているので、単純なミスだろうか。

 さらに、参考文献について言うと、掲載されている書籍やウェブが全て英語版なのは、著者が語学に詳しいことを、さりげなく演出しているかのようだが、そのためなのか、日本語訳の存在に触れていないのは感心しない。『ラスト・アクション・ヒーロー』の章は、この大作がいかに企画され、迷走し、興行的に失敗したかが緻密に紹介される(費やしたページ数は、代表作である『コマンドー』や『ターミネーター』よりも長い!)が、参照元とおぼしいノンフィクション”Hit and Run”も、キネマ旬報社から『ヒット&ラン―ソニーにNOと言わせなかった男達』として邦訳が出ているのだ。

ラスト・アクション・ヒーロー』の章に限らず、この本の前半が、それなりに情報量を盛り込んでいるのに、後半が、ほぼ粗筋に感想を加えたただけの簡素な記述に終始しているのは、著者がシュワの近作を高く評価していない点もあるだろうが、単に参考にできる本が見つからなかっただけなのかもしれない。

 また、『ターミネーター』(1984)、『ターミネーター2』(1991)、『トゥルーライズ』(1994)の三つの章が、シュワルツェネッガーそっちのけで、ジェームズ・キャメロン論にかまけているのも、コンセプトを見失っているとしか言いようがない。とりわけ『トゥルーライズ』の章に顕著で、著者は「常々キャメロンに感じてきた違和感」(P222)なるものを延々と書き綴っている。『ワンダーウーマン』(2017)に対するキャメロンのコメントまで腐し始めたときは、さすがに、それシュワと何の関係もないよね……と呟かざるを得なかった(内容の豊富な本であれば、こうした脱線もまた楽しいのだが)。また、キャメロンを批判するポイントが、設定や描写の雑さというのも良くわからない。『コマンドー』や『プレデター』をあれだけ絶賛し、「いかにも醒めた目で映画を観て、上から目線で並べ立てるような、いわゆる「ツッコミどころ」。極めて嫌な考え方だが」(P68)とまで言ってのけた著者が、なぜキャメロンに対してだけは執拗にあら捜しをするのか、その個人的な理由を示せているとは、とても言い難い。

 事実誤認と言うほどではないが、首を傾げるくだりも多い。例えば、シュワのライバルであるシルヴェスター・スタローンについて「(引用者注:ノーマン・ジュイソンジョン・ヒューストンなど)少数の例外をのぞけば、その主演作品の監督は自己主張を抑えて手堅い仕事をする職人ばかりだ」(P115)「職人と言えば聞こえがいいが~主演スターにとって御しやすい業者のような存在であったはずだ」(同)と、監督たちを下に見るような発言をしている。しかし、スタローンのフィルモグラフィを丹念に追えば、ジョン・フリン、アンドレイ・コンチャロフスキーロブ・コーエンレニー・ハーリンジェームズ・マンゴールドといった個性の強い監督はいくらでも出てくるだろう。いや彼らも作家としては大した事はない、という反論もあろうが、それなら著者が、シュワが「言うことを聞かせやすい監督」(P116)とは仕事をしていなかった例として挙げている、ジョン・ミリアスウォルター・ヒルにしても、評価はさほど変わらないのではないか(だいいち、スタローンはウォルター・ヒルとも仕事をしている)。単にスタローンには、シュワにとってのキャメロンやアイヴァン・ライトマンのように、続けて大ヒットした作品を撮った監督が(スタローン自身をのぞいて)いなかったというだけの話ではないだろうか。

 こういう、きちんと裏を取らない、言いっぱなしの感想が、この本には散見される。

 随所に見られる香具師のような表現も引っかかる。『ツインズ』(1988)のレビューがおおむね否定的だった事について「どうしたことかそれが興行に影響を及ぼすことはなかった」(P132)と書くが、どうしたもこうしたも、シュワの映画はめったに批評家受けはしてこなかったのだし、観客が必ずしも映画批評に左右されないことは、最近の『ボヘミアン・ラプソディ』(2018)や『ヴェノム』(2018)の大ヒットを見ても常識の範疇というものではないか。こうした安っぽい煽りが、本書をますます退屈なものにしているのは、間違いないだろう。