cinemania 映画の記録

cinemania’s diary

【インタビュー】クリント・イーストウッド『クライ・マッチョ(Cry Macho)』で再び馬を駆る

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――あなたは、ご自身の映画を自分のために選んでいるのですか、それとも人々にどう思われるか気にかけているのでしょうか。

どちらとも言えるかな。ただ『Cry Macho』は、ちょっと違うんだ。この物語に出会ったのは、もう40年も前のことだからね。俺は、このキャラクターにはちょっと似つかわしくないと思って断ったんだよ。ロバート・ミッチャムがお似合いなんじゃないかって助言したことを覚えているな。それでそのまま放ったらかしになってたんだ。折にふれて「あれはどうなったんだっけ」と気にかけていてね。

――なぜ、新しく西部劇を作るのに、こんなに時間がかかったのでしょうか。(注:西部劇は1992年の『許されざる者』以来となる)

さあね。俺は自分の考えを賢しらに説明するのが好みじゃなくてね。ただ、心の片隅で、そろそろ頃合いなんじゃないかと思えてきたんだ。メキシコシティにでかけて子供をさらって来るには、ちょうどいい年齢だとね。

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――あなたは、監督も手がていますが、やはりそうした作業は大変なのでしょうか。

もちろん。こういう職業の愉しみのひとつは、いろいろなアングルから物事を探求することなんだよ。30歳と今とでは物の見方が違ってくるし、年齢を重ねるごとに考え方は変わったり広がったりする。それに、自分のやってきたことの善し悪しを振り返ることもできる。人生の後半に差しかかってから考えるのも良いが、俺は演技や監督を通して、ずっとそんなことをやってきたのさ。

――以前、メリル・ストリープは、『プラダを着た悪魔』の編集長役は、1995年に出演した『マディソン郡の橋』での、あなたの穏やかだけど説得力のある演出家ぶりを参考にしたと言っていました。

そんなの初耳だな。まあ、本当のことなんだろうね。彼女には観察眼があるし聡明だからね。褒め言葉として受け取っておくよ。

――サンフランシスコでの幼少期に、何か影響を受けた映画はありましたか?

父に連れられて、映画館で『ヨーク軍曹』を観たのを覚えている。彼に興味を持ったのは、第一次世界大戦で活躍した有名な人物で奥行きがある人物だったからだ。しかし、何に影響されたかというのは難しいな。

――感化された西部劇はありますか。

子供の頃から西部劇好きだったね。自分でもあんなことをしてみたいと考えていたものさ。でも、俳優という職業について真面目に考えたことはなかったな。陸軍に召集されるまでは、自分が何をしたいのかすらわからなかった。

――しかし、なぜ俳優だったのでしょうか。

当時はシアトルに住んでいたんだが、友だちの勧められるままロサンゼルスに出て、ロサンゼルス・シティ・カレッジに通うことになってね。演技に興味を持ち始めたのは、別の友だちが授業を取っていたからだ。それを見て、これは一体何なんだと思って調べ始めたんだ。最初は、人前で催眠術か何かにかかっているようになるのが理解できなかった。だがある時、テクニックがそこにあることに気がついた。その瞬間に身を任せてしまうんだ。それで取り憑かれてしまったわけだ。

――ネット上の風説では、あなたはマリリン・モンローの影響を受けて、そのかすれ声の演技を身につけたとあります。これは本当でしょうか。

マリリン・モンローだって? いいや、彼女の影響なんてないよ。若い頃に『バス停留所』の役を受けたことがあったな。監督のジョシュ・ローガンは、私と何とかという奴のどちらかを選ぶことになっていてね。彼女は魅力的だったから、ちょっと興奮していて、これはイケるかもしれないと思ったよ。もちろんそうはならなかった。ジョシュがニューヨークで別の男をキャスティングしたからね。意気込んではみたけれど空振りだったわけだ。

――『ヒッチコック劇場』や『死の谷の日々』など、1950年代後半には映画やドラマに出ていましたね。どのような経緯で『ローハイド』に出演することになったのでしょうか。

CBSスタジオで友だちと食事をしていたら、男が近づいて尋ねてきた。「君は俳優かね?」 いきなり俺はテレビドラマをやることになったんだ。食い扶持ができたわけだ。俳優業ってやつは、努力を重ねて自らを鍛え上げないと駄目なんだが、向こうの方からも、抜群のタイミングでいろんな事が起きてくれないとどうしようもないものなのさ。

――初めは海外にでかけてマカロニ・ウエスタンをやるのは気が進まなかったそうですね。

俺は絶対に嫌だと言ったね。なのに、(タレントエージェントの)ウィリアム・モリスのところの女性が、ローマの事務所に「台本は読みます」と請け負ってしまったんだよ。それで、その内容が俺が大好きな黒澤明の『用心棒』だってことに気づいたんだ。それに、1万ドルぽっちでスペインやイタリアで仕事をする段取りだったわけだが、俺はヨーロッパを訪れたことがなくてね。じゃあ出かけて行って良い旅にしてやろうと思ったわけだ。この映画(『荒野の用心棒』)は、アメリカで上映される前にヨーロッパで大成功を収めた。人生ってやつはいろんな事から回っていくものさ。

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――イタリアの著名な監督であるセルジオ・レオーネは英語を話せませんでした。どうやって彼とコミュニケーションをとったのでしょうか。

第二次世界大戦の時に通訳をしていたポーランド人女性がいてね。彼女は5ヶ国語を流暢に話せたので連れて行ったんだよ。結局は、彼が俺の名前を呼んだり、俺が彼の名前を呼びさえすれば、どうにかなったけどね。

――今年は『ダーティハリー』、『恐怖のメロディ』、『白い肌の異常な夜』の50周年にあたりますが、1971年はあなたにとって重要な年でしたね。ご自身の「タフガイ」というペルソナについてどう思われますか。

別に自己分析はしないな。でも、時にはダーティハリーのようなキャラクターを見て、彼らはどんな気持ちなのか考えることがあるんだ。自分が見たり聞いたり感じたりして人生から得たものを、そこに写しているわけだからね。

――誇りに思っている役はありますか、それは年を追うごとに変わっていくものなのでしょうか。

なるほどね。良い方向へと変化してきたと思っているよ。『許されざる者』のことを言ってるんだがね。それまでたくさんの西部劇を作ってきたが、この映画には異なった物語の要素があったんだ。『アウトロー』も興味深い物語だった。そして『ミリオンダラー・ベイビー』だ。時にはつまづくこともある。良いことも悪いことも起きる。


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――あなたが『許されざる者』で初めてアカデミー賞にノミネートされたのは62歳になってからでした。その事は気にかかりませんでしたか。

ご機嫌だったよ。いちばん嬉しかったのは、母を授賞式に連れて行けたことだ。俺は映画監督や俳優として成功してきたけれど、あの手のお祭りとは縁がなかったからね。だから楽しんだし、彼女を連れて行ったことは、今でも忘れられないな。トロフィーはどこかにしまってあるはずだ。

――1986年に市長に選出されたカーメル市とはどういう関係なのでしょうか。

従軍していたとき、フォートオード地区に駐屯していたんだ。もし金に余裕ができたら、こういうところに住んでみたいと思ったね。それで舞い戻って来て、ずっとここに住んでいるわけだ。まさか自分が市長になるとは考えてもみなかったがね。

――息子のスコットさんは俳優としてご活躍されていますし、娘のアリソンさんも映画に出演されていますね。二人がこの世界に入ることを応援していましたか。

焚き付けたことはないね。興味を示したから後押ししただけだ。誰でも天啓を感じたのなら実行すべきだと前から考えていた。というのも、いろんな連中が、俺を諦めさせようとしたからね。母は違ったけれど、父は「そんなものには手を出すな。ショービジネスなんてみんなクソだ」と言ってたよ。父はひねくれ者だったが、内心では好きだったと思う。大恐慌の頃、彼はパーティで歌う小さなグループに入っていたんだ。

――お父様は、あなたが映画スターになるのを見届けたのでしょうか。

ああ、彼はよく人に言っていた。「俺はこいつに、こんなことをするな、夢なんか信じるなと言ってたのに!」とね。彼は良い奴だった。大恐慌のさなかに家族を養おうとしていたんだ。職を転々とするのはハードだよ。父にとっては良い時代ではなかったが、子供から大人になる分には、面白くてクレイジーな時代だったね。

――裕福になった今でも、自分は「大恐慌時代の子供」だと思っていますか?

そうだな。時給34セントで袋詰めをしていたよ。俺はもう金のためには動かない。

――あなたの『運び屋』の中で、トビー・キースは『老いに身を委ねるな(Don’t Let the Old Man In)』というバラードを歌っています。この教訓を守るのは今では難しいでしょうか。

 容易いことだ。俺はそう信じてるからね。これまでたくさんの老いた人々と出会ってきたが、哀れに思うこともあれば、刺激をくれることもあった。老いに対処できない者もいるし、うまくやり過ごせる者もいるんだ。

――あなたが毎朝ベッドから抜け出せる理由は何ですか?

 ベッドから抜け出すためさ! 91歳になったという実感が沸かないのは、俺には91歳がどんなものかわからないからなんだ。祖父が90歳になったときのことを思い出すな。祖父はかなり元気だったので、体調さえ良ければ良い人生を送れるんだなと感じたよ。それに俺の母は97歳まで生きたからね。

――引退については。

 そんな事は考えてない。いつも次に何をするか答えを探しているんだ。本であれ芝居であれ誰かのアイディアについて話し合い掘り下げていくことは今でも大好きだ。他の連中は何本か映画に出たら辞めてしまうのかもしれない。それはそれで良いことだし、何か他にすべきことがあるんだろうな。でも俺はそうじゃない。映画が好きで映画作りを愉しんでいるからね。

――ご家族から相談を受けることも多いと思うのですが、あなたのお気に入りの名言というのはありますか。

ふさぎ込んでいる時には、立ち直る方法を見つけないといけない。俺はそんな時どう助言すれば良いのかはわからないな。それでも、前向きに努力し続ける必要があることはわかってる。すぐに諦めないことだ。俺はもともと前向きな人間だからね。何かうまく行かないことがあったら、どう修正していけばいいのかを考えるのが好きなんだよ。きっと、何かできるはずだからね。

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細田守「日本のアニメーションは女性と少女の描き方に問題がある」

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 細田守は、スティーヴン・スピルバーグ宮崎駿――彼がしばしば比較の対象となる日本の偉大なるアニメーターだ――の映画に対して不満を抱えている。
 今から3年前、素晴らしくて人間味にあふれた『未来のミライ』がアカデミー賞にノミネートされた頃、細田はハリウッドのデジタル世界の扱い方や、宮崎監督の女性の描き方にうんざりしていた。
 最新作『竜とそばかすの姫』がプレミア上映されたカンヌ国際映画祭で、細田はAFP通信に対して、スピルバーグの『レディ・プレイヤー1』をはじめとした多くの映画に見られるネットへのディストピア的な表現は、誰にとっても、特に女性にとっては有益なものではないと語った。
 自身も幼い少女の父親である細田は、彼女たちの世代に恐怖を与えるのではなく、デジタルの命運をコントロールできるようにエンパワメントしたいと考えている。「彼らはネットとともに成長してきたのに、いつもネットがいかに悪意と危険に満ちたものであるかを教えられてきました」と彼は言う。

『竜とそばかすの姫』は、彼からの返答である。『美女と野獣』を21世紀風に再構築し、内向的な思春期の少女”鈴”のジェットコースターのような感情が壮麗に描かれていく。

 鈴は「U」と呼ばれるアプリのヴァーチャル世界で、ベルというポップな歌姫に変身し、彼女自身も周りの人々も驚かせる。何億人ものフォロワーを集め、ネットの罵詈雑言やハラスメントにさらされながら、鈴はネット上のアバターを操ることで、中傷者たちや自分自身の悩みから解き放たれていく。

「人間関係は複雑で、若者にとっては辛い痛みをともなうものです。しかし私は、このヴァーチャルな世界はハードで恐ろしいだけではなくポジティヴなものにもなり得るということを描きたかった」と細田は言う。

 鈴やコンピュータオタクの友人は、一般的な日本のアニメに登場する女性像とはかけ離れている。細田はこの点について、オスカー受賞者で『千と千尋の神隠し』などの名作を生み出したレジェンドである宮崎に異議を唱えているのだ。
「日本のアニメーションを見るだけで、日本の社会において若い女性たちが、いかに過小評価され、まともに扱われていないかは明瞭です」と彼は言う。

 宮崎作品よりもさらに社会性を備えた作品を作るこの監督は、当時としては珍しいシングルマザーによって育てられた。2012年の名作『おおかみこどもの雨と雪』は、彼女がたった一人で子どもたちを育て上げた、その屹然とした自立心を讃えている。
「日本のアニメーションで、若い女性が聖者として扱われているのを見ると、本当に苛立つんです。それは彼女たちの現実とは無関係なのですから」と細田は悔しそうに言う。

 細田は、宮崎の名前を出さずに、スタジオジブリの創業者に対しても厳しい意見を述べた。
「名前は伏せますけど、アニメーションの巨匠で、いつも若い女性をヒロインにしている方がいます。率直に言いますが、彼は男性としての自分に自信がないからそうしているのだなと思っています」
若い女性への崇拝は、私を戸惑わせます。私はその仲間にはなりたくないのです」と彼は強調する。彼は、ヒロインたちを、美徳やイノセンスの類型としたり、「他人と同じでなくてはならない」という抑圧から解き放とうとしている。

 細田と宮崎には因縁がある。
 現在53歳の細田は、アカデミー賞にノミネートされた『ハウルの動く城』の監督としてジブリに招聘され、ごく自然に宮崎の後継者と見なされていた。しかし、細田は自分のスタジオを設立するために途中で降りてしまった。(訳注:実際には、スタジオ地図を設立したのは『サマーウォーズ』公開の後)

 監督の好む物語とは「人間の良い面と悪い面を見せていく。そのせめぎ合いこそが、人間であることの本質です」
 だから『美女と野獣』をアップデートすることにも惹かれたのだろう。
「元の伝承では、野獣こそが最も興味深いキャラクターなのです。醜くて暴力的ですが繊細で傷つきやすい内面を隠している。美女は外見が全てで中身がない。私は彼女を複雑で豊かな存在にしたかった」

 その二面性は、彼の最初のヒット作『デジモンアドベンチャー』から始まったデジタルワールドへの関心にも現れている。
「私は、いつもインターネットに立ち戻っています。最初は『デジモン』で、2009年には『サマーウォーズ』で、そして今」
 彼は、インターネットを諸悪の根源とみなすのは間違っていると、これまで以上に確信している。
「若者たちは、そこから離れることはできません。一緒に成長してきたのですからね。私たちはそのことを受け入れて、より善き使い方を学ばくなてはならないのです」

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