cinemania 映画の記録

cinemania’s diary

『Mank/マンク』は、いかに歴史的事実を改変したのか――マンキーウィッツの英雄化とオーソン・ウェルズの矮小化

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 デヴィッド・フィンチャー監督の『Mank/マンク』は、実在の脚本家ハーマン・マンキーウィッツの伝記映画である。物語は、彼が代表作である『市民ケーン』の脚本を執筆していた1940年3月から5月にかけての出来事が中心となり、そこに1930年代のさまざまなエピソードが回想として挟み込まれていく構成をとっている。
 本作の企画を知って最初に思ったのは、これはオーソン・ウェルズに対して批判的な内容になるのだろうなという事だった。『市民ケーン』の脚本は、マンキーウィッツとウェルズの連名となっているが、以前からマンキーウィッツは、映画のアイディアは自分のものであり、脚本は一人で書いたと主張し、ウェルズと対立していた。この議論が再燃したのは、1971年に映画評論家のポーリン・ケイルが「ニューヨーカー」誌に発表したエッセイ「Raising Kane」によるもので、ケイルはマンキーウィッツを擁護する立場を取り、ウェルズを批判している。この記事は大きな反響を呼び、さまざまな反論が書かれた。後に、脚本の原本が調査され、現在ではウェルズが脚本に関与していたことは事実として認められている。にもかかわらず、ウェルズがこの件で不当に振る舞ったというストーリーは、その後もくり返し語り続けられてきた。

『Mank/マンク』の主なテーマは、映画『市民ケーン』の脚本は、マンキーウィッツの1930年代における、さまざまな政治的失望が色濃く反映されているというものである。この主張のために、映画では、オーソン・ウェルズの功績は無視されるとともに、マンキーウィッツの政治的な態度も単純化されている。テーマに合わせて、多くの歴史的事実が改変されているのである。以下、簡単にファクトチェックを行ってみよう。

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・1940年2月、主人公のマンクが、ヴィクターヴィルの砂漠にある別荘に、脚本の執筆のために宿泊する。同行するのは、秘書のリタ・アレクサンダーと、お目付け役のジョン・ハウスマン。映画では、ハウスマンは別の建物に宿泊し、別の作業をしている事になっているが、彼の回想によれば、マンクと同じ別荘で寝起きし、脚本作業にも関わっていた。マンクが単独で脚本を執筆したことにするための脚色だろう。

オーソン・ウェルズは、マンクに対して、90日の執筆予定を一方的に60日に短縮させているが、そのような事実があったという資料はない。

・ウェルズは、電話で『闇の奥』という映画の準備中であることをマンクに告げる。実際には、『闇の奥』は、この時点では製作中止になっていた。そもそも『市民ケーン』は、『闇の奥』の代わりに急遽企画された映画なのである。ウェルズ自身は、この頃、マンクとは別に自分も『市民ケーン』の脚本を並行して書いていたと主張しているので、別の映画に関わっていることにした方が、マンク単独執筆説の信憑性が増すと判断したのかもしれない。

・マンクは、秘書のリタに脚本を口述筆記させる。リタはすぐに、この脚本がウィリアム・ハーストをモデルにしている事に気づく。この挿話はポーリン・ケイルの「Raising Kane」に登場するが、そこでは1925年の出来事とされ、相手もマンキーウィッツ家でベビーシッターをしていたマリオン・フィッシャーなる人物である。ケイルは、マンクが『市民ケーン』以前からハーストをモデルにした脚本を構想していたことを示す証拠として、この証言を紹介している。

(『Mank/マンク』は、「Raising Kane」を実質的な原作と呼んで良いほどに、多くの挿話を、ここから採用している。しかし、このエッセイは発表当時から、その偏った内容が批判されており、現在では、その事実関係をめぐる記述の多くが否定されている)

・回想シーン。1930年のハリウッド。マンクが友人のチャールズ・レドラーに「ここなら数百万ドルが掘り返せるし、しかも競争相手は馬鹿ばかりだ(MILLIONS ARE TO BE GRABBED OUT HERE AND YOUR ONLY COMPETITION IS IDIOTS. DON’T LET THIS GET AROUND)」と、脚本家になることを勧める電報を送っているが、実際には1925年にベン・ヘクトに送った文面であり、ヘクトの回想録『A Child of the Century』で紹介されている。(映画では、同じ文面を他人にも送ったと解釈している)

パラマウント・ピクチャーズで、マンクは脚本家のベン・ヘクトや監督のジョセフ・フォン・スタンバーグらと共に、社長のデビッド・O・セルズニックに「フランケンシュタインと狼男を合わせたような」ホラー映画のプレゼンテーションを行う。しかし、当時そうした企画があったという資料はなく、一流の脚本家であったヘクトらが、モンスター映画に関わろうとしていたとも考えづらい。

・マンクは、撮影現場に迷い込み、アーヴィング・G・タルバーグにルイス・B・メイヤーを紹介され、さらにマリオン・デイヴィスと会話を交わし、ウィリアム・ランドルフ・ハーストと出会う。主要人物が都合良く一度に出揃うのは創作だろう。ここでマリオンは、火あぶりになる場面を撮影しているが、彼女の評伝『CAPTAIN OF HER SOUL:The Life of Marion Davies』を執筆したララ・ガブリエルによると、マリオンの出演作品52本のどれにも該当する場面はない。

スコット・フィッツジェラルドがマンクの事を「破滅した男」と呼んだという挿話は「Raising Kane」で紹介されているが、それを弟のジョセフ・L・マンキーウィッツが兄のマンクに電話で伝えたというのは創作と思われる。

・弟は兄に、ウィリアム・ハーストをモデルにした映画をウェルズが作っている情報が出回っていることを告げるが、この時点で情報が外部に漏れていたとする証言や資料はない。実際には、映画の完成直前にマスコミ向けに秘密の試写会を行う予定が漏れたのがきっかけだった。

・1933年、ハースト邸のパーティでマンクがヒトラーの台頭を批判している。彼が反ヒトラーであったのは事実であるが、一方で、反ユダヤ主義者のリチャード・リンドバーグの支持者でもあり、アメリカの参戦に反対していた。ジョセフ・マクブライドは、『Mank/マンク』は彼の複雑な政治的立場を単純化していると指摘している。

・マンクとマリオン・デイヴィスは親交を深めていくが、実際に二人がこうした関係にあったという証拠はない。マリオンの愛人であるハーストは、彼女に禁酒をさせようとしており――映画でもそれを暗示する場面がある――酒乱のマンクを彼女に近づけたがらなかったと言われている。
 
・ハウスマンとマンクは「クビは未経験だ」「俺はクビばっかり」という会話を交わすが、実際には、この直前にハウスマンはウェルズと『闇の奥』の脚本をめぐって対立し、4年間にわたる協力関係を解消している。

・マンクは、最初の6週間で第1幕91ページしか脚本をかけずハウスマンから抗議を受けているが、実際には第1稿250ページを完成させている。またハウスマンも執筆に協力していた。直後、オーソン・ウェルズからの電話で、ウェルズがマンクが今書いている脚本の内容を知らないことが示されるが、実際には、マンクは原稿を書き上げた部分からウェルズに送っていた。そもそも、二人は事前に長時間におよぶミーティングをおこなっており、ウェルズはヴィクターヴィルを訪問したこともある。

・看護師のフリーダが、マンクは英雄だと話す。当時、看護師がいたのは事実だが、フリーダという人物は創作である。彼女は、マンクの支援のおかげで、自分や家族を含めた村人100人以上がドイツから逃れて来られたと言う。これは、リチャード・メリーマンの『Mank:The Wit, World and Life of Herman Mankiewicz』やシドニー・ラデンソン・スターンの『The Brothers Mankiewicz』といった評伝の挿話が元になっている。当時、父親のフランツがベルリンで生活しており、アメリカへの亡命者の保証人になってほしいと頼まれ資金援助をしたと発言している。事実関係は不明だが、同様の支援を行っていたウィリアム・ワイラー監督が13人の保証人になっていたという別の挿話を踏まえると、少なくとも100人以上を救ったという話は誇張だろう。

・同じ場面で、フリーダは、マンクが反ナチス映画の脚本を書いても映画会社が作りたがらなかったと話す。これは事実に基づいており、マンクは、1933年にサム・ジャッフェと共に、『The Mad Dog of Europe』というヒトラーを風刺した映画を構想していた。しかし、アメリカ映画製作配給業者協会(MPAA)や、ユダヤ人によって組織された反名誉毀損連盟からの反対を受け頓挫している。かえって国内の反ユダヤ主義者たちを刺激させて逆効果だと見なされたのである。

・マンクは弟から脚本家組合の活動に協力を求められるが断る。実際にも、組合活動に反対する新聞広告を出すなど、労働者の権利活動には批判的だった。

・MGMの社長ルイス・B・メイヤーは、従業員からフランク・メリアム候補の選挙資金を徴収する。マンクにも協力を求めるがマンクは断る。この選挙戦を扱ったグレッグ・ミッチェルのノンフィクション『The Campaign of the Century: Upton Sinclair’s Race for Governor of California and the Birth of Media Politics』では、寄付を拒否した作家たちの名前を特定しているが、マンクは含まれていない。同書における別の作家のエピソードを流用したのではないかとも指摘されている。

(『Mank/マンク』では、マンクが次第に左翼のアプトン・シンクレア候補に肩入れするようになっていくが、弟のジョセフとは異なり、実際にマンクがシンクレア候補を応援していたという証拠はない)

・タルバーグが、アプトン・シンクレアを落選させるためのフェイクニュース映画を製作したのは事実だが、そのきっかけを作ったのがマンクの「君はキングコングが巨大でメアリー・ピックフォードが処女だと信じさせることができる(You can make the world swear King Kong is 10 stories tall and Mary Pickford a virgin at 40)」という軽口だったという挿話の真偽は不明。

・マンクは13日で脚本をさらに200ページ以上書き上げたことになっているが、実際には第1稿をもとに約40ページ分に修正を加えている。「完成した脚本を書き直した」とするよりも「未完成の脚本を書き上げた」とした方が劇的という判断だろうか。

(なお、この場面において、『Mank/マンク』の上映時間のほぼ半分に到達しており、映画『市民ケーン』の脚本は、ここで一応の完成をみたことになっている。実際には、ここからウェルズによる大幅な改稿作業が約2ヶ月にわたって行われ、マンクの付けた『アメリカ人』という仮題も、ウェルズが改名するのだが、この映画では、そうした過程は全く描かれない)

・マンクは、シェリー・メトカーフが監督したフェイクニュース動画を見て愕然とし抗議する。しかし、マンクの評伝作家のシドニー・ラデンソン・スターンは、実際には彼自身がフェイクニュースの製作に関与していた可能性もあると指摘している。また、シェリー・メトカーフは架空の人物であり、実際に撮影したのは、フェリックス・E・フェイスト・Jr監督である。

・マンクがフェイクニュースの試写を見てすぐ、マリオン・デイヴィスがMGMからワーナーに移籍することを知る。マンクは彼女に、ハーストに働きかけてニュースの上映を止めてもらうよう懇願する。実際には、マリオンがワーナーと契約を結んだのは、ニュースが映画館で上映された10月19日よりも後の10月31日である。正式に移籍したのは翌年の1月1日付。

・マンクは、チャールズ・レドラーに『市民ケーン』の脚本を見せる。レドラーは、それが自分の叔母のマリオン・デイヴィスとハーストがモデルであることに困惑する。マンクは脚本のコピーをレドラーに渡す。これは「Raising Kane」に書かれた挿話であり、レドラーは脚本をマリオンとハーストに見せて秘密が露見したとされている。しかし、レドラー本人はこれは事実ではないと主張している。ピーター・ボグダノヴィッチのインタビューに答えて、レドラーは脚本の出来は悪かったこと、モデルはハーストではなく(別のメディア王である)ロバート・マコーミックだと思ったこと、脚本はその場で返却し、他人に渡したことはないことなど、「Raising Kane」の内容は「100%完全な嘘」だと断じている。

・マンクとメイヤーが選挙の結果をめぐって借金を帳消しにするかどうかで賭けをする。メイヤーがマンクの借金を気にかけていた挿話は「Raising Kane」にあり、そこから発想したと思われる。実際には、マンクが選挙をネタに賭けをしたという事実は確認されていない。また、選挙当日、マンクがフランク・メリアム候補の集会に出席していたという記録もない。

・ジョンがヴィクターヴィルを訪れ、マンクに兄貴がハーストに喧嘩を売ったという噂が広がっていると警告する。ジョンが来たことも、この時点で脚本の内容が流出していたことも、共に証拠がない。

シェリー・メトカーフはマンクの制止にも関わらず銃で自殺する。前述の通り、彼は架空の人物である。実際のフェリックス・E・フェイスト・Jr監督は戦後も活躍し、1965年に自然死した。

・脚本を読んだマリオン・デイヴィスがヴィクターヴィルを訪れ、マンクと映画について会話を交わす。しかし、彼女がヴィクターヴィルを訪れたという証言や記録はない。また、死後に出版された自叙伝『The Times We Had: Life with William Randolph Hearst』において、マリオンは当時『市民ケーン』の脚本を読む機会はなく、完成した映画も観なかったと証言している。

オーソン・ウェルズから電話があり、ハーストによる上映妨害やメイヤーによるRKO買収といった動きについて告げる。実際には、これらの出来事は半年以上も先、映画が完成した後に起こったことである。『Mank/マンク』では、ウェルズの撮った映画ではなく、マンクの書いた草稿がこれらの騒動を引き起こしたことに改変している。

・1937年、ハーストの晩餐会で酒に酔ったマンクは大演説をし、嘔吐する。「白ワインと魚が一緒に出てきた」という台詞は、酒乱だったマンクの有名なエピソードだが、実際には映画プロデューサーのアーサー・ホーンブロウ・Jrが主賓のパーティでの出来事と言われている。この台詞に限らず、場面全体が創作と考えられる。

・ウェルズが、ヴィクターヴィルを訪れ、マンクと『市民ケーン』に彼のクレジットを載せるかどうかで激しいやり取りをする。しかし、脚本クレジットをめぐる対立は、実際には8月末から翌1月にかけて起こっている。また、会話の内容も実情を無視している。例えば、この場面でウェルズは「約束を反故にしたら脚本家協会が調停に入る」と脅しているが、ハリウッドの異端児としてすでにバッシングを受けていたウェルズが、そのような認識をしていたとは考えにくいし、実際、のちに脚本家協会に訴えたのはマンクの方だった。映画でも触れられているように、マンクは高額のギャラと引き換えにクレジットを放棄する契約を合意の上で結んでいたが、ウェルズはこの契約を破棄せざるを得なくなった(映画では、この段階でウェルズがマンクのクレジットを認めたかのように描かれているが、実際には来年の出来事になる)

・同じ場面で、ウェルズはマンクに1万ドルを支払うから手を引くようにと持ちかけているが、これも「Raising Kane」の挿話に基づいている。これについてピーター・ボグダノヴィッチは「根も葉もない噂を事実かどうかも確認せずに書きっぱなしにした」と批判している。
 
・これも同じ場面で、ウェルズは激怒して酒の入った箱を壁に投げつける。それを見たマンクは、脚本にケーンが暴れる場面を付け加える。このくだりは、マンクではなくハウスマンの回想に出てくる挿話で、実際には『市民ケーン』よりも前の話になる。また、ウェルズ自身はハウスマンの作り話だと否定している。

・マンクとウェルズはアカデミー賞脚本賞を受賞する。ウェルズとは別に会見したマンクは、記者に対して「この賞をウェルズ氏抜きで受賞できてとてもうれしく思います。なぜなら、この脚本はウェルズ氏抜きで書かれたからです(I am very happy to accept this award in Mr. Welles’s absence because the script was written in Mr. Welles’s absence)」と発言する。これ自体は事実であるが、発言の内容そのものは事実ではない。ウェルズはマンクの書き上げた草稿を受け継いで、撮影台本として採用された第7稿まで改定を続けている。

(写真は、映画では描かれなかった、ヴィクターヴィルでくつろぐウェルズ、マンキーウィッツ、ハウスマン)

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【主な参考資料】

ポーリン・ケイル「Raising Kane」
https://www.newyorker.com/magazine/1971/02/20/raising-kane-i
https://www.newyorker.com/magazine/1971/02/27/raising-kane-ii
マンキーウィッツ単独脚本説を唱えた

ピーター・ボグダノヴィッチ「The Kane Mutiny」
https://classic.esquire.com/article/1972/10/1/the-kane-mutiny
・ケイルの主張に対する反論

ロバート・L・キャリンジャー「The Scripts of "Citizen Kane"」
https://www.journals.uchicago.edu/doi/pdf/10.1086/447995
・現存する脚本の全バージョンを精査し、ウェルズの関与を明らかにした論文

シドニー・ラデンソン・スターン「The Anti-Hitler Movie That Was Never Made」
https://www.commentarymagazine.com/articles/sydney-ladensohn-stern/the-anti-hitler-movie-that-was-never-made/
マンキーウィッツの幻の企画についてのエッセイ

ベン・アーワンド「The Chilling History of How Hollywood Helped Hitler」
https://www.hollywoodreporter.com/news/how-hollywood-helped-hitler-595684
・戦時中のハリウッドとヒトラーの関係についての記事

ジョセフ・マクブライド「Mank and the Ghost of Christmas Future」
https://www.wellesnet.com/mank-welles-mcbride/
・『Mank/マンク』を含めたオーソン・ウェルズの描かれ方についての批判

トム・シェイルズ「The Grand Old Grouch」
https://www.washingtonpost.com/archive/lifestyle/1988/11/01/the-grand-old-grouch/2cda3c39-0444-42e2-9249-abd8a2429331/
マンキーウィッツの戦時中の活動についてのエッセイ

マシュー・デッセム「What’s Fact and What’s Fiction in Mank」
https://slate.com/culture/2020/11/mank-movie-accuracy-david-fincher-upton-sinclair-netflix.amp
・『Mank/マンク』の事実関係をめぐるエッセイ

「Mank (2020) – Transcript」
https://scrapsfromtheloft.com/2020/12/04/mank-2020-movie-transcript/
・映画シナリオ

「Nerding Out With David Fincher The director talks about his latest, Mank, a tale of Hollywood history, political power, and the creative act.」
https://www.vulture.com/2020/10/david-fincher-mank.html
デヴィッド・フィンチャー監督のインタビュー

『スキャンダルの祝祭』(ポーリン・ケール、小池美佐子訳)新書館 1987年
・「Raising Kane」の翻訳
オーソン・ウェルズ偽自伝』(バーバラ・リーミング、宮本高晴訳)文藝春秋 1991年
・ウェルズの唯一の公認評伝
『「市民ケーン」、すべて真実』(ロバート・L・キャリンジャー、藤原敏史訳)筑摩書房 1995年
・作品の成立過程を追ったメイキング本
オーソン・ウェルズ その半生を語る』(ジョナサン・ローゼンバウム編、河原畑寧訳 キネマ旬報社)1995年
ピーター・ボグダノヴィッチによるインタビュー集