作られなかった映画たち スタンリーキューブリック編
スタンリー・キューブリックの生涯については、すでに多くの研究書が出版されている。それらを元に、幻の企画を追ってみよう。
自主制作という形で映画作りを始めたキューブリックが注目を浴びたのは、監督第3作の『現金に体を張れ』だった。MGMのプロデューサーであるドーア・シャーリーに認められ、シュテファン・ツヴァイツの小説『燃える秘密』(みすず書房)の映画化を依頼される。少年の視点で、若い母親と伯爵の不倫を描くメロドラマだが、まもなくシャーリーがMGMを解雇されため、中止になってしまう。未完成のまま放置された脚本は、約60年後の2018年になって発見されている。(シュヴァイツの原作は、キューブリックのアシスタントを務めたこともあるアンドリュー・バーキン監督により『ウィーンに燃えて』として映画化)
その後、カーク・ダグラス主演の『突撃』を監督したのち、キューブリックは、さまざまな企画に取り組んでいる。リチャード・アダム脚本による第二次世界大戦テーマの『ドイツ軍の中尉』、カーク・ダグラスの依頼でジム・トンプソンと脚本を執筆した実録犯罪物『俺は1600万ドルを盗んだ』、グレゴリー・ペックの主演が予定されていた『ヴァージニア第7騎兵連隊』など、エンターテインメント性を意識したと思われる内容ばかりだが、いずれも実を結ばなかった。21世紀に入って、これらの脚本を復活させる動きもあるが、実現していない。
中でも野心的な企画は、マーロン・ブランド主演の西部劇『片目のジャック』である。元々の計画はチャール・ズナイダーのウェスタン小説『拳銃王の死』(東京創元社)を映画化するもので、サム・ペキンパーが脚本家として雇われていた。しかし、監督に起用されたキューブリックは、カルダー・ウィンガムを新たな脚本家として呼び寄せ、ペキンパーは企画から外されてしまう。その後、ブランドらは企画を一から見直し、新たに『片目のジャック』と題した脚本を完成させる。しかし、今度はブランドとキューブリックが内容をめぐって対立し、キューブリックは降板、ブランド自身が監督をつとめることになる。
『2001年宇宙の旅』で、来たる21世紀の未来をリアルに描き出したキューブリックは、次回作として、今度は18~19世紀の過去を舞台に選んだ。『ナポレオン』である。キューブリックは、4年がかりで、この超大作に挑んだ。彼に言わせれば、アベル・ガンスの『ナポレオン』も、セルゲイ・ボンダルチュクの『戦争と平和』も、満足できる内容ではなく、この分野における決定版を作り出す野心を抱いていた。
キューブリックの構想は、他の作品のようにナポレオンの生涯の一部を抜き出すのではなく、その幼少期から死までを俯瞰して描くことだった。あるインタビューで上映時間を聞かれ「たぶん『風と共に去りぬ』よりは短くなる」と答えており、ストーリーを効率よく語るために、アニメーションによる地図やナレーションの使用を想定していた。
見せ場のひとつは、大規模な戦闘シーンである。キューブリックは数万人の兵士が陣形を組んで突撃する様を、視覚的な美として描き出そうと試みた。まだCGの存在していない時代に、実際に戦闘のあった地域にロケーションし、エキストラとしてルーマニアから軍隊を借り受けて撮影しようと考えていたのである。
もうひとつの見せ場がエロティックなシーンである。脚本には、ナポレオンと妻ジョセフィーヌの情熱的なセックスシーンのほか、ハードコアな乱交シーンなどが含まれていた。ジョセフィーヌ役には、オードリー・ヘプバーンやジュリー・アンドリュースといったスター女優を望んでいたキューブリックだが、どうやって口説き落とすつもりだったのだろうか。
なお、ナポレオン役には、当初はピーター・オトゥール、アレック・ギネス、ピーター・ユスチノフなどを想定していたが、のちに、デヴィッド・ヘミングスとイアン・ホルムが候補に上がる。(はるかのちに企画を再検討した際は、アル・パチーノやジャック・ニコルソンの名前が挙がった)
しかし、キューブリックが精魂を傾けた企画は、あまりにも規模が大きくなりすぎたために、コントロール不能になるのを恐れた映画会社によりキャンセルされてしまう。一足先に公開された『ワーテルロー』が興行的に失敗したことから、出資者が手を引いてしまったことも要因とされている。
キューブリックの死後、膨大な資料を元にHBOがテレビシリーズ化を企画し、スピルバーグ率いるアンブリン・テレビジョンが制作を進めているが、撮影には至っていない。
キューブリックが、長年にわたり準備をし続けていたのが、少年型ロボットを描くSF映画『スーパートイズ』(竹書房)である。原作者のブライアン・オールディスによると、キューブリックとは1974年以来のつきあいだという。新しいSF映画の可能性について語り合っていた二人だが、1977年に『スターウォーズ』が公開されると、キューブリックは、いかに芸術家としての評判を落とさずに大ヒットさせることのできる企画を生み出せるかを考えるようになった。『スーパートイズ』の脚本化作業は、80年代に入って本格的に始動するが、そのときには『E.T.』への対抗心を見せていたという。
しかし、キューブリックとオールディスは脚本を完成させることが出来ず、他の英国人SF作家にも協力を依頼した。アーサー・C・クラークは、主人公が異星人と共に外宇宙へと旅立つエンディングを提案したが却下された。クラークの推薦で、ボブ・ショウが契約を結んだが、こちらも採用されず、イアン・ワトソンの手により、ようやく脚本の初稿が完成する。
しかし、『スーパートイズ』の脚本は映画化されることはなかった。1993年に発表された次回作のタイトルは『アーリアン・ペーパーズ』だった。内容は、ベルリンの壁が崩壊した時代の物語とされたが、すぐに、ルイス・ベグリーの『五十年間の嘘』(早川書房)が原作であると明かされた。ナチス占領下のポーランドを舞台に、ユダヤ人の少年が叔母と共に自らをアーリア人と偽って生き延びていく姿を描いた自伝的小説である。
主人公には、当時、名子役として名を馳せていたジョゼフ・マゼロ(最新作は『ボヘミアン・ラプソディ』のジョン・ディーコン役)、叔母役には、ユマ・サーマンやジュリア・ロバーツといったスター女優も候補となったが、無名のオランダ人女優ヨハンナ・テア・ステーゲに決定した。『ナポレオン』と同様に撮影直前の段階まで準備は進められていたが、突然、中止が発表される。しかも、それは『ナポレオン』の時とは異なり、キューブリック自身の意向によるものだった。
企画が中止した理由として、スピルバーグの『シンドラーのリスト』と時期が被ったためと説明されている。『アーリアン・ペーパーズ』は、1994年2月の撮影開始をめざして準備を進めていたが、『シンドラーのリスト』は、一足早く1993年3月にクランクインしており、クリスマスには公開すると発表されたのである。ただ、この説明については、不自然とする見解もある。両作品の内容は、ホロコーストを扱っている以外の共通点はなく、公開時期も1~2年は空くことになるし、そもそもスピルバーグが『シンドラーのリスト』をライフワークとしていたことは、以前から良く知られていたからである。
(あるファンサイトのように、ユダヤ人団体から脅迫されたのだという根拠のない陰謀論を唱える者もあるが、そんな重大な表現弾圧が実際にあれば、報道されないはずが無い)
おそらく、キューブリックの映画への情熱は衰えつつあったのだろう。ただでさえ、『フルメタル・ジャケット』を、同時期に公開された『プラトーン』と比較され酷評された過去のあるキューブリックである。『アーリアン・ペーパーズ』のような、ユダヤ人という自らの出自に向き合う重い題材を扱って、『シンドラーのリスト』のスピルバーグと張り合うだけの気力は残されていなかったのかもしれない。
新たな企画として発表されたのは、かつての『スーパートイズ』を改題した『A.I.』だった。『ジュラシック・パーク』を観て、デジタル技術の進歩に可能性を見出し、新たにクリス・カニンガムやデニス・ミューレンを招いて特殊効果の相談をしていたが、またも中止してしまう。スピルバーグは、生前のキューブリックから、代わりに『A.I.』を撮るよう、しきりに勧められていたという。かつて『スターウォーズ』や『E.T.』に対してライバル心を燃やしていた頃のキューブリックとは別人のように映る。
結局、キューブリックの最後の作品となったのは、これまた70年代から温めていた古い企画『アイズ・ワイド・シャット』だった。
参考文献