cinemania 映画の記録

cinemania’s diary

ジェームズ・キャメロンのパーソナルエッセイ「映画の過去、現在、そして未来へ」

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 映画監督になる夢を抱く前から、私は映画を愛していました。子供の頃、私は1950年代に作られた古いB級SF映画を全て暗記していました。クリスマスに手に入れた小さなオーディオカセット・レコーダーに録音しては聞き返して、頭の中でも再生していました。そうした映画に触発されて、私は絵を描いたり、自作のロボットを作ったりしました。ロボットといっても、洗練されていたとはとても言えなくて、ダンボール箱にペーパータオルのチューブが入っていて、ハンドルを回すとチョコボールが飛び出してくるようなものでした。私はそれらを母の日のプレゼントなどの機会に作っていました。人型のロボットの胴体をこしらえて、リモコンで動くおもちゃの戦車に乗せて運転したりもしました。それは『ターミネーター』に登場する歩行型戦闘マシーンの前身だったのでしょう。

『2001年の宇宙の旅』は、私の脳のスイッチを入れ、創作者の道に押し出しました。私は14歳で、それまでカメラを手にしたことはありませんでした。しかしその時、私は視覚効果によるショットは、一体どのように作られているのか知りたいと思っていました。それで父のスーパー8カメラを手に入れて、映画に出てきた宇宙船の模型を作り始めました。『2001年』のメイキング本を10回は読みました。そして、アルミホイルを黒く塗って、その後ろに電球を仕掛けて、小さな穴を開けておくと、かなりまともな星空が作れることに気がつきました。私の最初の壮大な宇宙物語の制作費は10ドルでした。とても気軽なものでしたね。

 しかし、当時の私は、自分がなりたいのが作家、芸術家、物理学者、天文学者、彫刻家のいずれかなのか良くわからなかったのです。頭の中は、あらゆる方向に向けて一気に発火していました。20代の半ばになるまでは、映画監督になろうとは考えていませんでした。私の脳内には、アクロバットな動きやエネルギー兵器の火線や宇宙船の爆発といった、とても映画的な宇宙戦のイメージが浮かんでいました。そして、私は映画館で『スター・ウォーズ』というささやかな映画を観たのでした。自分が、CIAに自分の思考を盗まれないようにカツラに金属の破片を埋め込んだパラノイアであるかのような感覚に陥りました。なぜなら、自分の脳内のイメージがスクリーンに映っていたからです。私にとって、それは目新しさによるショックではなく、慣れ親しんだものからのショックだったのです。そしてこう考えました。「もしも世間が、この映画を評価するのであれば、私の頭の中にあるものには市場価値がある」 これは忙しくなるぞと。

 それから1年たった1978年、私は2人の友人とセットで『ゼノジェネシス』という長編SF映画の実現に向けた映像を作っていました。女優を目指していた女の子と、ライターだったもう一人の友人を説得して、若い宇宙のカップルの役で出演してもらうことになりました。それはとても野心的で、完全に非現実的で、実に酷い代物でしたが、映像はそれほど悪くないものでした。そして、私はとても多くのものを学びました。35mmカメラをいかに使うのか、マットペインティング、ロトスコープ。そして、「アクション」と「カット」と掛け声をかけること。そのとき、私は監督になったのです。何かを撮影して「アクション」と「カット」を何度か言うだけで良いんです。あとは予算の交渉だけです。

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 あれから40年たって、まだ情熱は宿ったままです。私が映画を作るのを止めるとしたら、ミキサー車にはねられるか、避けようのない時の流れに直面するかでしょう。けれど、今ではハリウッドについて、もっと広い視野から見ることができます。映画を作ることがもっとも大切だった時期もありました。今は違います。映画を今でも愛していますが、今では家族の大切さもわかっています。食料や環境問題、探検活動も同じくらい重要なのです。私は視野を広げることで、とても健康的になりました。そうでなければ、ハリウッドで精神的にも肉体的にも傷つけられたことでしょう。

 そうは言っても、私には労働に対しての倫理感を持ち合わせているので、さぼったりはしていません。私のスケジュールは今も変わりなく切迫しています。それがとても気に入っているのです。休みの日も、何をしたらいいのかわからないので、仕事を続けています。妻は休息を取った方がいいと思っています。でも、緊張が解けないし、いろんなことを思いついてしまうので、あまり上手くいきません。

 私は今でも映画製作から刺激を受けています。『アバター』新作映画のシーンが完成するたびにそんな気分になります。なぜなら、そのプロセスは断片的なもので、毎日届いてくるようなものではないからです。すべての作業はキャプチャーされます。長い期間目にするのは、スパンデックス製のタイツを履いた俳優たちです。そして、「カメラセッション」 と呼んでいる作業に入って、実際に色彩やキャラクターなどを確認することができます。それら全てがひとつに組み合わさると、ようやく、生物発光する海の中のシーンや、驚異的な生物と一緒に空を飛んでいるシーンが目の前に現れます。私が「これは世界でいちばんクールな仕事だ」と思うのはそんな瞬間です。

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 全てのフィルムメイカーたちは、フロリダのアパートであろうと遠く離れた惑星であろうと、登場人物の周りにシャボン玉のように現実を作り出します。無から何かを作り出すのは本当にスリルがあります。最初の『アバター』では、物理的なカメラまでも廃止しましたが、基本的な原理は変わりません。物理的な光化学フィルムの時代を通して開拓されてきた様々なスタイルやアイディアは、今でも残っています。ただ、私たちは、それをはるかに超えて、別の現実を創造する力を持っているのです。

 私たちは、今や何でもできるのです。デジタルツールと十分な資金があれば、そこに制限はありません。だからこそ、私たちが規律を守ることが重要になります。今では、俳優を撮影したら、月面や水中に配置することもできます。マスターショットを1つに収めても良いし、30回のクローズアップを重ねても良い。無限の選択肢があるということは、一瞬一瞬において、クリエイティブな決断をしなければならないということです。

 私は可能性というものを、とても前向きに捉えています。過去10年の大作映画を見ても、5億ドルとか10億ドルを稼ぐようなオリジナルIPはほとんどありません。しかし、私はまだそれが可能だと信じています。『タイタニック』は、その時代の常識に従わなかった。今振り返ってみれば、それは大した問題ではなかったのですが、当時は、あの規模の映画としてはありえないと思われていました。観客は、船が沈んで大勢の人が死ぬことをあらかじめ知っていました。シリーズになるような作品ではありませんでした。気持ちの良い結末でもありませんでした。『アバター』は、公開前に重役たちから死を宣告されていました。「大衆にとっては何の意味もない」と言われたのを覚えています。私が言いたいのは、嫌なら既存のルールなんて従わなくても良いということです。

 世界全体を見渡していると、またもや暗黒時代へと向かっているような気がしてなりません。自分の周りを見渡しても、そう感じます。映画業界は非常にリベラルな傾向があり、公民権ジェンダー問題などに関して、より良い道を人々に示してきた先駆者であると自負していました。私は今の政治的な情勢を見て「なぜ上手くいかなったのだろう? 私たちはこれまでのように、あるいはそれ以上にひどい状況に陥っている」と思っています。以前は、少しづつでも前進しているように感じていました、まさか、これほどまでに後退してしまうとは考えてもみませんでした。

 しかし、私は今でも映画やテレビが世界を照らす光であると思っています。そこには人として共同体にいる感覚があります。私たちは人間性を讃えることができます。他人の立場になって物事を考え、他人の窮地に同情心を示すことができます。それだけでは十分ではないかもしれませんが、スロットルを戻すつもりは全くありません。

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